第十五話 薄珂の商談(一)
数日後、薄珂様と立珂様がまた店へ来てくれた。それも意外なものを持って。
「型紙の配布をうちで!?」
「うん! 一緒にくばろう!」
立珂様がどさっと机に置いたのは『りっかのかたがみ』と手書きの文字が印刷されている紙の束だった。
「うちで配布して良いということでしょうか。でも、よろしいのですか」
「いいよー! これでみんなしあわせになるよね!」
「立珂様……!」
にっこりと愛らしく微笑むその心の清らかさに打たれ、私は立珂様の手を握ろうとした。
けれど星宇さんがすいっと私の手を阻む。
「お待ち下さい。これは卸ということでしょうか。であれば無料配布は受けられない可能性もあります」
「え?」
「う?」
突如出てきた言葉に私は首を傾げ、立珂様もきょとんと首を傾げた。
けれど薄珂様はその意味が分かったのか、すぐににこりと微笑んだ。
「そういう商談は俺がやるよ。立珂。朱莉さんに型紙の使い方教えてあげてくれ」
「はあい! 朱莉ちゃんやろう!」
「はいっ!」
私は立珂様に手を引かれて裁断台へ向かった。
けれど難しい顔をしている星宇さんのことは少し心配で気になったけれど、薄珂様と二人で別の部屋へ移ってしまう。
星宇さんなら大丈夫だと思うけど、この前少し様子が変だったし。
気にはなるけれど、それは信じて任せることだ。私は立珂様と二人で生地を広げた。
*
俺はにこやかに微笑む薄珂様を前に緊張していた。
そこまで歳は変わらないだろうが、幾分か幼く見える子供に圧倒された記憶はない。多少歳が上の大人でも商談なら対等に渡り合う自信はある。それができなきゃ隊商なんてやれはしない。
こんなに心も算段も読めない相手は初めてだ……
「じゃあ始めようか」
「卸の契約ということでよろしいですか」
「うん。口約束はしない主義なんだ。特に近しい人とは」
「賢明ですね」
そんなこと子供が気にすることではない。子供は口約束を信じ契約を怠る。そしてそこに付け込むのが狡い大人のやり方だ。
はっきり言えば口約束に持ち込んでなあなあにしたかった。薄珂様はどうも子供とは思えない。
そんな俺の気持ちなど無視して薄珂様は書類を取り出した。そこには『卸契約』と印刷がされていて、各条項も細かく記載済みだった。
「準備がよろしいですね」
「だって商談終わってから書類作りって面倒じゃない?」
「この契約書を各商談の基盤になさってるんですか」
「うん。毎回手書きなんて面倒なことやってらんないよ。どうせ契約なんて細かい条項どれも同じだし、雛型作って修正した方が早い」
そこで『よし印刷しよう』など思いつき実行などできはしない。それが可能なのは歴戦の猛者にして豪商の響玄様だからだ。
普通はあれだけの方を利用するようなことは考えない。自分の手でやる方法に思考を囚われるものだ。もっとも、人を支配し動かす立場にいる者は別だが。
「条項確認してくれる? 修正あれば作り直さないといけないから」
「……型紙の配布は無料であること。これは良いですが、仕入れ額はどういう計算で?」
「そのままだよ。衣と裳を一着組みとする。『りっかのおみせ』から『朱莉有翼人服店』へ卸すのは最低百組から。単価は十組を銅一とする」
「それは分かっています。ですが仕入れが有料なのに配布が無料ではこちらは赤字だ。利益度外視にするとしても最低でも」
「風評被害の払しょく方法は思いついた?」
俺の言葉を遮って薄珂様はにこりと微笑んだ。
これは先日の騒動の後に、皆が立珂様と彼女に気を取られている隙にこっそりと言われたことだった。
「お力添え感謝いたします」
「俺は何もしてないよ。それにこれは表面的だ。本質的には解決じゃない」
「と言いますと?」
「風評被害だよ。立珂公認っていうのは今この場にいる人しか知らない。口伝えで広まるかもしれないけど、既に朱莉さんへの疑念を確信してる人は信じないよ。信じたとしても、彼女は問題を起こす人物と印象付いてしまった」
「彼女に非はありませんよ」
「誰が正義かは関係無いんだ。善悪どうであれ朱莉さんがいたから問題がおきて、関われば巻き込まれる可能性がある。ならば近づかない方が得策だ――と人は考える。彼女は遠からず孤立し客は離れる」
「それは……」
「何か考えた方が良いと思うよ。どこで火が付くか分からない」
そう微笑み薄珂様は帰って行った。
立珂様は優しい方だ。彼女に害が及べば口添えしてくれる。それでいい、それだけの話で無事終着した――そう思った自分の浅慮さを突き付けられたのだ。
「……まだ何も」
「ならこれは有効だよ。一目で彼女は立珂公認だと一発で分かる。各家庭でも作るようになれば口伝えする人数はどんどん増える」
「なるほど。それで商品題字を立珂様の手書きにしたんですか。用意周到だ」
「俺たちだって立珂の品だって分からないと困るからね。この案内は『りっかのおみせ』にも置くよ。立珂を好きな人は必ずこれを知る」
「だが一店舗だけ。しかも立珂様の店は入店抽選すらある。それこそ知れ渡るには限界があるでしょう」
「そうだね。じゃあこれはどうかな」
薄珂様はすっともう一枚書類を出してきた。今度は『販促補助契約』となっていた。
隊商は移動するものだから特定の誰かに販促を協力依頼することはあまりない。遠方の商品仕入れができるのは隊商だけだから小手先の販促などせずとも売れるというのもある。こんな契約はあまり見ない。
だがその販促協力者名を見てさすがの俺も驚いた。
「迦陵頻伽!?」
「立珂によくしてくれてる劇団だよ。知ってる?」
「知ってるもなにも、この国で知らない者の方が少ないでしょう……」
「うん。彼らにもこの宣伝をしてもらう。立珂の型紙は『朱莉有翼人服店』で、って」
「あれほどの劇団が? 立珂様の作る服ならまだしも、うちへの協力なんてしてくれるものですか」
「だから契約書になってるんだよ。もう頼んである。今日の契約結果を伝えれば即初めてくれる。ああ、明日から全国を回るそうだから今日中には伝えないといけないけどね」
こいつ……!
やられた。これは俺では獲得できない大きな案件。こんな餌をぶら下げられては主導権は薄珂様に握られたようなものだ。
無料配布はうちの赤字。そのうえ販促まで握られるなんて、何か一手こちらが優位に立たないと……
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