第八話 敵襲(二)

 口の中を切ったのか星宇さんの唇に血が滲み、星宇さんは親指でぐいっと唇の血を拭う。


「宋睿の定めた法はまだいくつか残っている。最も重い罪は何だと思う?」

「知るか!」

「死罪だよ。宋睿はとても残忍な男だった。傷害罪を数度繰り返せば死罪となる。これが『宋睿陛下』の定めた法だ。そして俺は一切抵抗しない。何しろ非力な人間だから獣化した肉食獣人には敵わないからな。できることと言えば殴られ終わった後に刑部へ訴えるくらいだ」


 星宇さんは立ち上がり両手を広げてにこりと微笑んだ。


「さあどうする?」


 男達はぎりぎりと歯ぎしりをした。二人で顔を見合わせると私の商品を床に叩きつけ乱暴に扉を開けた。


「覚えてろ!」

「いいだろう。では名を名乗れ。裁判に必要だ」


 星宇さんはまた美しく微笑むと、男達は舌打ちをして逃げて行った。


「ふん。他愛のない」


 す、すごい……

 星宇さんは男達が開けっぱなしで出て行った扉を閉めると、座り込んだままの私の手を引いてくれた。


「怪我は?」

「あ、だ、大丈夫です! それより星宇さんの方が!」

「これくらいなんともない。俺より商品だ」


 殴られた時に切れたのか、星宇さんの口元から血が流れていた。しかしそれを軽く拭うと、床に散乱した商品を拾ってくれた。

 私も慌ててかき集め、作業台の上に広げて一つ一つの状態を確認する。 


「……駄目ですね」


 予約販売のための見本だから赤字になるわけではないが、これではもう予約も受けられない。

 わずかに残っていた商品もめちゃくちゃで、売れる物は一つも無かった。


「やっぱり立珂様みたいにはなれないや……」


 立珂様のように誰からも認められる服だったらこんなことは起きなかっただろう。

 私は大きなため息を吐いたけれど、ぽんっと星宇さんは頭を撫でてくれる。


「羽根一枚が銀一になる方を引き合いに出す必要は無いさ」

「……銀一?」


 銀一といえば私の月の生活費に近い金額だ。母と二人で銀三にもならないが、それを羽根一枚で賄うということになる。


「え!? 嘘ですよ!」

「本当だ。立珂様の羽根は極北明恭との外交で活用されているが、宮廷は一枚銀一で立珂様から買い取るんだ。最高で金一にもなるという」

「金一……」

「宮廷が生地を提供するのも立珂様の羽根を確保するためのもの。同列になろうとしてなれるものじゃない」

「え、て、てっきり服を認められて宮廷とご縁を得たのだとばかり」

「まさか。あの店だって宮廷の離宮だ。服が良いだけで与えるわけがない」

「離宮!?」


 私は思わず椅子に座り込んだ。

 確かに立珂様の羽根は美しい。純白なんてありえない、私もそう思ったわ


「そんな凄い方だったんですね……」

「凄いか。俺はあんたの方が凄いと思うがな」

「え? 私?」

「立珂様の店がこれほど拡散された理由は何だと思う?」

「健康に過ごせてお洒落もできるからです」

「違う。価格だ。五着で銅二枚、もしくは一着羽根一枚と交換。とてつもなく手に入れやすいんだ。実際有翼人専用服は南で流通がある。ただ蛍宮では隊商からしか購入できず、しかも高い。最低で一着銀一はする」

「そういえばお代は羽根で良しというのは何でですか? 私は支援して下さってる方のご配慮なんですけど」

「そこまでは知らないが、その経営方針を定めたのは立珂様の兄君であられる薄珂様だ。彼はあの『鬼才護栄』と直接商談もするらしい。何か思惑があるのだろうな」

「護栄って……」


 護栄様は天藍様と同じくらい名の知れている方だ。蛍宮の政治の要で宰相と呼ばれる方なのだが、天藍様の解放軍で軍師をしていたという。

 天藍様が宋睿を討ったことは言ってみれば国崩しだ。しかも天藍様は兎獣人。獅子獣人の宋睿に立ち向かうなど自然の摂理に反することだ。

 壮絶を極めるだろう国崩しは『蛍宮解放戦争』と呼ばれているのだが、実はこの戦争は知らない人も多い。

 何故なら戦争は三日で終わり、国民に死傷者は一人も出なかったのだ。そしてこの戦略を練ったのが護栄様らしいのだが、彼は三日の間は一度も姿を見せなかったという。一つ二つ噂を流して宋睿側を混乱させ、誤った情報に踊らされ自滅した――ということだ。

 そして最も驚くべきはこの時護栄様はたったの十八歳だった。今は政治を率いているけれど、それでもまだ二十三歳。つまり私とさして変わらない。


「え? あの宰相様と……直接、ですか……?」

「ああ。それもかなり目を掛け手元に置きたがってるという話もある。相当なやり手なんだろうな」


 薄珂様の姿を思い出すけれど普通の少年だった。いつも笑顔で愛おしそうに立珂様を抱きしめて、きっととても優しい方なのだろう。私にも露店をやると良いと助言をして下さった。

 あ、あの助言も何か特別な意味が!?

 私は身震いがした。立珂様と薄珂様にそんな凄まじい逸話があるとは思ってもなかった。


「それはともかく、彼等は規格外だから売れて当然なんだ。けど君は違うだろう?」

「いいいいい一般人です!」

「そうだ。それに君の服はちっとも立珂様と似ていない。だが完売続きで予約も多数。それこそ先代皇派の馬鹿共が乗り込まずにはいられないほどの評判になっているんだ」

「評判……?」

「そうだ。胸を張れ。立珂様よりお前を求める者もいる。俺の妹とかな」

「……はい。有難うございます」


 星宇さんは頷くと、ぼろぼろになった商品を全て広げた。


「明日からどうしよう……」

「見本はもうないのか?」

「はい。製造が決まってないものしかないんです……」

「そうか。ならちょうどいいな」

「え?」

「あんたに提案したいことがあって来たんだ。商売は販売戦略で大きく変わるのはもう分かっただろう?」

「せ、戦略?」

「目先の利益は捨てる。代わりに顧客満足度を上げよう」

「……ふあ?」


 星宇さんは妖しく微笑んだ。それはとても美しくて、私はぼうっと見惚れていた。

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