第三話 蒼玉(一)

 お店に辿り着くと、いつもの行列は既に無くなっていた。けれど営業中の札は掛けてある。

 閉店間際なら入れるんだわ! やった!

 立珂様のお店は営業時間が長い。なかなか入れない人への配慮らしく、従業員数名で営業をしているのだ。

 ただ立珂様は整理券分の時間で帰ってしまうためまず会えない。だからこそ整理券の無い夜は空いている。そして予想通り店内に客はまばらで、いらっしゃいませ、と無事迎え入れて貰えた。

 走って乱れた呼吸を落ち着かせて、私は棚を一つずつ見て回った。

 けれどやはり全て購入済みの商品で、ちらほらと再入荷の札がかかっているがそれもお洒落着だった。

 店員さんに聞いてみようかな。

 並んでいないだけであるかもしれないし、予定があるなら知っておきたい。

 私は乱れた商品陳列を直している若い女性店員に声をかけることにした。


「すみません。普段着ってありますか?」

「ごめんなさい。並んでるので全商品なんです」

「完売ですか? それとも元々ない?」

「元々ないですね。うちはお洒落着だけで」

「ああ、やっぱり……」


 私は思わずがくりと肩を落とした。そんな気はしていたが、聞いてしまうとやはり悲しいものだ。

 しかし露骨に気落ちした私を見て店員はきょとんとしている。

 しまった。失礼だったわ。

 慌てて姿勢を正したけれど、店員はくすくすと笑って「いいのいいの」と言ってくれる。


「分かるわ。価格は手頃でも品質が手頃じゃないんでしょ?」

「は、はい。素敵なんですけど、家事はできないし洗い方も分からなくて」

「立珂は兄弟で森育ちだからそういうことには気が回らないのよね。仕方ないけど」

「え? 良い家のお生まれじゃないんですか?」

「違う違う。殿下が森で拾って来たんですって」

「森!?」

「そうよ。驚きよね」


 女性店員はけらけらと明るく笑った。きっと隠さなければいけないことでもないのだろう。聞いている他の女性店員は何も不思議そうな顔はしていない。

 知らなかった。てっきりお金持ちのご子息だとばっかり……

 誰からも愛されお洒落で高級な服を身にまとう。どう見ても良い身分だったのに、まさか人里にすらいなかったことは衝撃が大きかった。

 ……私はなんて愚かだったのかしら。何も知らず羨み卑下して卑屈になって

 有翼人に産んだ母を恨むことすらあった。そうしなければ生きていけないくらい心は弱っていたけれど、同じような境遇にいた私より年下の立珂様も頑張って今のようになったのだろう。

 俯いた私に見かねたのか、女性店員はとんとんと優しく背を叩いてくれた。


「よければ特注もやるわよ。生地と欲しい形を言ってくれれば立珂が商品にしてくれるし」

「本当ですか!?」

「うん。どんなのがいいの?」


 立珂様が商品にしてくれる。その言葉だけで私は悔む気持ちが吹き飛んだ。

 女性店員の両手を握り、溢れ出る言葉を滝のように流し始めた。


「軽くて動きやすい生地が良いです! 裾は回れば広がるくらいゆったりしててほしい。腰から下は内側に風通しの良い生地を付けて、大きく開いててもいいわ! 家事をする時は結べるようにしたいの! それと羽穴はもっと融通きかせたい。背をねじっても付け根に引っかからないくらいがよくて」

「ちょいちょちょい。待った待った」

「え、あ、す、すみません!」


 私は女性店員が慌てている様子に気付き、ぱっと両手を開放した。

 舞い上がりすぎた自分が恥ずかしくて深く頭を下げる。けれど女性店員は優しく微笑んでくれていた。


「ううん。すっごい良いと思うよ。ただうちの特注の域を超えるかな」

「域?」

「生地はこの中からしか選べないからそういうのは取り寄せになるわ。形いじるのも釦とかちょっとした変更くらいで、あなたの要望だと型紙から作ることになる。それに『宮廷品質のお洒落着』が立珂の方針だから、普段着の取り扱いは立珂の説得から始まるわ」

「あ……」


 そうだ。立珂様は私の欲しい物を何でも作って下さるわけじゃない。立珂様の作りたい物を私が必要としたんだ。

 自分が立珂様にとって特別な存在ではないことは分かっていた。立珂様は最初から誰にでも優しくて、だからあんな埃っぽい家にまで来て下さった。

 それがいい気になって立珂様の方針に口を出すなんて図々しいことこの上ない。

 また自分の愚かさを一つしり、私の顔は地面と平行になっていた。しかし女性店員は私の顔を支えてぐいと上を向かせてくれる。


「私は美月みつき。あなたは?」

「……朱莉といいます」

「朱莉ね。ちょっと来て!」

「え?」


 美月と名乗った女性店員は閉店作業を他の店員に任せると、店の制服から私服へ着替え私の手を掴んで街へ向かって走った。

 この方向ってまさか富裕層の南区?

 蛍宮は区画によって住民傾向が大きく異なる。東西南北に別れ、宮廷のある区画が中央とされている。北区は人間が多くて東区は獣人保護区を中心に獣人が多い。西区は 未開拓地ばかりでほぼ林だ。

 この中で別格なのが南区だ。宮廷職員や種族問わず富裕層ばかりが住んでいて、とても庶民の底辺で働きもせず生きてきた私のような者が足を踏み入れる場所ではない。立ち入り禁止ではないが、入ってはいけないと無意識的に思い込んでいた。

 夜なのに建物はどこも明かりがついて煌めいていて、蝋燭一本を節約する自宅がとても貧しいものに見えてきてしまう。

 そういえば美月さんの服もとても高級そうだわ。生地は艶やかだし刺繍の糸も絹のよう。良い家のお嬢様なんだわ。

 私が手を繋いで良い相手には見えなかった。立珂様の服を着ているから南区でも浮いていないだけで、彼女の滑らかな白い肌と天使の輪でも浮いているかのように輝く髪と比べれば格差は明らかだった。


「美月さん。あの、どこに行くんですか?」

「良い所よ! 私あなたのような人を探してたの!」

「わ、私のようなってなんですか?」

「行けば分かるわ。ほら、あそこよ」

「あそこって……え!?」


 美月さんが指差したのは一軒の服飾店だった。掲げられた看板には『蒼玉』と書かれている。

 蒼玉? 蒼玉ってたしか宮廷御用達の高級店じゃ……

 立珂様に憧れて、私なりに宮廷のことを調べた。関わっている人や集団は幾つかあり、中には蛍宮一の人気劇団『迦陵頻伽』や宮廷直営百貨店『瑠璃宮』などそうそうたる名が登場する。瑠璃宮には立珂様が手掛ける『天一有翼人店』という店もあり、ここでは人間と獣人が着れる服もあるらしい。

 だがその中で最も有名な商店が二つあり、そのうちの一つがこの蒼玉だった。

 たしか宮廷の規定服やあらゆる仕事の服を作る専門店。それも先々代皇の時代から続く老舗!

 蛍宮の名店を訊ねれば必ず登場する名前で、家からろくに出ない私ですら知っている。そんな名店に美月は躊躇すること無く飛び込むと、信じられない言葉を放った。


「ただいま! お父さん!」

「え!?」

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