価値の収束(2)

 カウンセリングルームで最初に渡されたのはドリンクメニューだった。ロングヘアの女性スタッフに聞かれ、私はルイボスティーを選んだ。ルイボスティーがどんなお茶なのかわからなかったが、メニューを読むのが遅くて相手を待たせていることに焦ってしまい、とりあえず最初に目についたものを指差した。


 それからアンケート用紙のようなものを書かされ、二重整形のメニューについて説明を受けた。糸を使った所謂「プチ整形」にもさまざまなオプションがあるようで、一通りの紹介を聞くだけでかなりの時間が過ぎた。学割が使えるのは最も「弱い」固定をするコースだが、時間が経過すると効果が取れてしまうリスクがあるそうだ。


「固定がしっかり目で、効果が持続しやすいのはこちらのワンデークイックプラスというコースになりますね。学割コースですと効果の保証期間は最大二ヶ月となりますが、こちらのクイックプラスの方ですと一年間の保証が付きます。お客様は当院のご利用が今回初めてということですので、会員登録の際に一定の条件を満たしていただくと三十パーセントオフのクーポンを付けさせて頂きまして……」


 私はちらりと、ルイボスティーが注がれたカップを見た。もらったときは熱そうだったので、程よく冷めてから飲もうと思っていたが、もはや飲むタイミングがわからない。資料を手元に置いたせいで、カップの位置が微妙に離れていて手を伸ばしづらい。手を伸ばして勝手に飲めば良いのはわかっているが、相手が見ていると思うと全身が萎縮してしまって動けなかった。


 女性スタッフの勧めるコースに言われるがまま頷くと、タブレット端末を渡された。画面には専用の入力フォームが出ていた。名前や住所を入力し、確認事項にチェックを入れ、「次へ」のボタンでページを進めていく。最後のページでは、タブレットの内蔵カメラで顔写真を三枚撮られた。


 明るい部屋で間近から撮影すると、改めて汚い顔だった。人から敢えて笑われるような特徴はないが、褒められる特徴も全くない。どこにでもある「地味」を煮詰めたような顔。肌荒れは自分で思っていた以上に酷く、頬に粉が吹いている。そして、画面の中の私の顔は今にも泣きそうな表情だった。


 どうして泣きそうなんだろう、と他人事のように思いながら、女性に促されて奥の診察室に入った。


 鼻の横に大きな膨らんだホクロのあるおじさんが、丸椅子を少し捻って私を出迎えた。白衣を着て聴診器を首に掛けており、よくいる町の内科医と同じだった。おじさんは傍のデスクの上にあるパソコンの画面と私を等分に見ながら、話を進めていった。パソコンの画面の右半分ほどに、先ほどタブレットで撮影した私の顔が表示されていた。以前海外のドラマで見た、犯罪者の顔と経歴を綴ったレポートを思い出した。


「二重を作る手術というのはね、大きくは二つ、方法があります」医師は眠たそうな口調で、さっきの女性スタッフが言ったのと同じ説明を繰り返した。「瞼をちょっと畳んで、糸で縫って留める、これが埋没法ね。これはそのうち取れてくることがあります。手術したら一生ってわけではないです。少し、診させてもらうね……」


 医師のカサカサした太い親指が伸びてきて、私の瞼をぐりぐりと押した。右、左。


「たぶんね貴女は、戻りやすい体質だと思う。瞼が厚いですね。これはね、結局裁縫みたいなものですからね、女の方ならわかると思いますが。薄い布より厚い布の方が、折り目がつきにくいでしょう」


 私はもちろん女だが、裁縫などしたことがない。小学生のときに枕カバーを作らされたな、という記憶がある。しかし最後までやれなくて、半分以上は親に縫ってもらった。


「本当にしっかりと二重で固定したいなら、切開して、脂肪を取る必要があります。こう言うとね『先生、あたし太ってるんですか!』って言う人多いんですけどね、太ってても瞼が薄い人もいれば、痩せてても厚い人もいますから」


 別に、気を遣って貰わなくていいのに、と思った。私は自分がお世辞にも痩せてはいないとわかっているし、そのこと自体は特に気にしていない。というより、それを言い出すなら、一重だってさほど気にしてはいない。手術に興味を持ったのは、同窓会で気軽に話している人たちがいたからだ。あんなふうに気軽にやって良いものなら、自分も気軽にやってみてもいいような気がしたのだ。


「二重はねぇ二種類あるのはご存知ですか」医師はペンタブを取って、画面の中の私の写真の瞼に赤い線を引いた。「目頭のところから始まってこう末広がりにね、斜めに広がってくのがアジア人に多い二重で、よくな仕上がりと言われるやつですね。それよりも一手間いるのが並行二重というやつで、端から端までこう、一定の距離で幅の広い二重です。外国の女優さんみたいな」


 医師は私の写真の右目と左目それぞれに二重の例を描いたが、その線はぐらぐら震えていて、違いがまるでわからなかった。嫌がらせで落書きをされたように見える自分の写真を私はぼんやり見つめた。


「これをするには大体は蒙古ひだと言ってね、目頭の始まりのところが下向きに食い込んでるのを、切りますね」

 医師は写真の左目の目頭に、鋭い「く」の字の輪郭を描いた。

「はあ……」

「で、瞼も切開して脂肪を取り、平行の二重を作る。これが一番大幅な、大工事になりますね。そこまでじゃなく中くらいで済ますなら、蒙古襞は残して末広のナチュラルな二重にする。脂肪は取ります。だからこれもメスを入れるね。で、一番小さい、軽いリフォームみたいなのが、今回の糸を入れる施術。これは、一つ利点があって、ある程度はやり直しが効きます。だから、試しにやってみるには丁度いい。ただ、時間が経つと戻っちゃう人も多いんです。そんで戻っちゃったからってまた同じ施術してもね、結局また戻りますね。あまり繰り返すと良くないんで、うちではこれ、何回もやり直しは基本しません。糸のプチ整形で様子見てみて、駄目そうなら早めに切開法に切り替えを勧めます。どうしてかっていうとね、あまりプチ整形を繰り返して肌を傷めてしまうと、そっから更にメスを入れるのはまたリスクがあるわけね。もし貴女の中にこれっていう理想の二重があるんなら、早めに切開法の検討をお勧めしますよ」

「糸のやつはできないということですか?」

「いえ、できなくはないですよ。はじめの一歩としてはいいと思う。ただ、貴女の場合はその後安定しない可能性が高いです。そのことをね、先に頭に入れた上で、どうするか決めて欲しいんですね」


 話の落とし所がよくわからないまま、診察が終わって待合室に返された。そこから建物を出るまでに、受付の女性スタッフ達と何を話したのかはほとんど覚えていない。次回の来院予約を勧められたが断ったような気がする。


 プレゼントの千円はちゃんと受け取った。帰り道で急に雨が降り出して、すぐには止みそうにないのでコンビニに駆け込んだ。傘とついでに買った飲み物を合わせると千円を超えていて、私の半日分の気力と労力の成果は一瞬で消えてしまった。


 それでも、前屈みの姿勢で傘を差すと誰にも顔を見られずに歩けるので、今の私には倍以上の価値があった。

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