無味の供食(4)
昼どきのイタリアンレストランは混んでいた。三人連れなのに、本来は二人掛けと思われる丸テーブルに詰め込まれ、皿の縁がテーブルからはみ出しそうだった。
私の右隣が同じ部署の
こうして昼休みを利用して会社の人達とランチに行く機会は二、三か月に一度くらいだが、行くたびにこの狭いテーブルに辟易して後悔している気がする。辺りにはオフィスビルが多いので、昼休みに出かけようとするとどこも混雑していて、自然と選択肢は限られる。いくつか候補を見繕っても、だいたいは「さほど美味くない」と評判のこの店になる。そして皿が落ちそうな丸テーブルに案内される。今後は別な店を早めに予約するか、そもそも同僚とランチなんて当分断ろう、と思うのだが、二ヶ月くらい経つと忘れている。
「前と味付けが変わってません?」前菜のサラダを食べながら、小本が言った。
「そうだっけ」と、葛西がなぜか私を見た。
私は自分の器を見下ろして、もうほとんど空になっていることに気づいた。何でも美味しく感じるようになって以来、だんだん早食いになっている気がする。
「なんか、お腹すいてて……」私は苦笑してごまかした。
「ほんとだ、もうなくなってる」葛西は笑った。
「前は白いドレッシングでしたっけ?」私は当てずっぽうに言った。
「そう、それに、雑穀とかマカロニみたいなの入っていた気が」
「あー、それなら私はこっちのほうが好きだわ」葛西は言った。「たまにあるじゃないですか、ご飯が入ってるサラダ。私はあれ、ダメなの」
「まあ、白米はちょっと違和感あるかも……?」小本は曖昧に頷いた。
「私は豆とかもダメだわ。マカロニというか、なんとかテッレとかタッレとかいう、あの……」
「蝶々の形のやつですか?」
「そういうのとかさ、貝殻みたいなのもあるじゃん」
「そんなのありますっけ」
「あるよ、あるある、ちょっと巻貝じゃないけど、まるっとした形の。あの食感が私、ダメで」
たぶん、蝶々の形のパスタはファルファッレで、貝殻はコンキリエだ。
しかし、確実にそうだという自信はないし、面倒なので知らないふりをして二人のやり取りを聞いていた。
ウェイターが気を利かせたのか、私のパスタを先に持ってきて、他の二人にも「今、メインをお持ちしますね」と告げた。
「なんかすみません、食い意地が張ってて」と私は言った。
「いやどんどん食べましょう。昼休み終わっちゃうし。どうぞどうぞ、先に食べて」葛西は笑った。
「次の皿が来るんなら、これ食べ終えないといけませんね」小本がサラダを食べる手を早めた。
「ここ、テーブル狭いよね。でも店員さん、無理やり全部乗せるんですよね」葛西は言った。「この前ね、秘書課の三池さん達と来た時、たまたま全員ピザにしたのね、そしたらピザの皿って一回り大きくて、それでデザートが最後来るんだけど、絶対置く場所がないでしょってなって……」
葛西が一緒だと葛西がよく喋るので、話題に困らない。前回、私と小本と別のもう一人でランチをしたときには、気まずい沈黙とまではいかないものの、小本がかなり気を遣って場を持たせてくれた気がする。
ランチセットで選べるパスタの種類は少なく、私と小本が同じトマトソースのパスタ、葛西が和風のスープパスタだった。
「やっぱり味変わりましたね、パスタも」小本が一口食べて、言った。
「そう?」葛西が私を見る。
「そうですね……そうかな」私は返事に迷った。「どうも最近、味音痴になってきて。違いがわからないというか、同じものでも違うように感じたり」
「ええ、なに、もしかして、つわり?」葛西は何気なく言った。
「いえいえ。そんなわけないです」私は思わず大きく首を振った。
「え、でも、新婚さんですよね。妊活とか考えてないです?」
「葛西さん、聞きすぎですよ」小本が苦笑して口を挟んだ。「最近そういうのもダメなんですから。女子同士でもセクハラですよ」
「まあね……でも普通に話題に出ちゃうよねえ」
「ほんとに無いですよ。そういうのでなく、最近味覚が変なんです」
「え、何か感染とかそっち?」
「そういう心当たりもないんですけどね……」
「結構、ストレスとか体調で変わりますよ」小本がやんわりと言った。「女性は特にね、毎月変わるって人もいますし」
小本も葛西も、適当な話題で流しつつ、パスタを食べる手はなかなか進まなかった。私はといえば、二人に合わせるようにだいぶ気を付けたつもりだったのに、気付けば真っ先に食べ終わっていた。
「ちょっと身体に気を付けたほうがいいかもですよ。食べづわりっていうのもありますし」葛西は歯に衣着せず言った。
「なんですかそれ」小本が聞いた。
「吐きづわりの逆で、食べないと気持ち悪いっていうやつ……私の姉が妊娠したとき、それで、ほんとに人が変わったように食べまくって」
「へえ……」
「でも、ほんとに無いですから」私は笑いながら、再度首を振った。「結婚してから逆に、何かと忙しくて……ほんとにそれどころじゃなくって」
そういう話をしていたのが、六月の末ごろだった気がする。結局、それから半月後にどうもおかしいと気づいて、検査をしたら妊娠していた。
柄にもなく狂喜乱舞する夫よりも、私のほうが実感がなく、「ほんとに私の子なの?」などと自分で言って笑っていた。
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