無味の供食(1)
学生のときは何かの打ち上げとか歓迎会とか壮行会とか、理由をつけては飲み会をしていた気がする。あまり重なると金欠になって、仕方なくその直後だけ自炊に励んだりしていた。焦げた卵焼きを弁当箱に詰めて持って行ったら、研究室の先輩に鼻で笑われた。
「手慣れてない感じが、好感持てるね」
なんでこいつは私の夫でも彼氏でもないのに私の料理に評点つける態度なんだろう、と思った。あの頃、不快なこと嫌なことなんて沢山あったはずだが、大抵の記憶は年月と共に薄れてしまった。イラッとした記憶として今でもはっきり残っているのは、この一件くらいだ。
それで、結局その先輩が今では私の夫なのだが。
学生のときからそういう仲だったわけではなく、就職して転職した先で偶然再会した。部署も違うし仕事上の接点はほぼ無いが、なんとなく同郷、同年代で顔馴染みという安心感で、お互いそろそろいい歳だし、という焦りもあって、一緒になった。恋愛というより自主的なお見合いに近い結婚だった。
籍を入れてからも、私の戸籍上の名字が変わった以外には何の変化もなかった。職場で使う名前は旧姓のままで済んだし、もちろん仕事も今まで通りだ。寿退社なんて今は死語なのかしらね、と、正月に会った母はぶつぶつ繰り返した。娘を進学校の理数科に入れて大学まで行かせておいて今さら何言ってるんだか、と言い返したら、しばらく変な顔をしていた。うまく言い表せないが、今後何年かはたまに夢に出てきそうな顔だった。その後また、何かのおりに恐る恐るといった感じで「子供は……」と聞かれた。自分がそのときどう返事したのかは覚えていない。
結婚してから定期的に聞かれるようになったのが、家事の分担、特に毎日の食事についてだった。もちろん当初は私がしていた。そういうものは妻がしなければならない、という固定観念は私の方が強くて、夫から「そこまでしなくても」と言われてもなかなか受け入れられなかった。
ただ、やっぱり人間には向き不向きがある。私ははっきり言って、料理には向いていなかった。レシピを見てその通りに作るくらいはどうにかこなせるが、毎日の献立を計画して、買い出しから食材の管理まで継続するには、まったく別の才能が必要だった。専業主婦ならまだしも、仕事の片手間にとなると、まるで上手くいかない。
新婚三ヶ月くらいで、私は力尽きた。
それ以降は、食事と買出しの担当は夫がすることになった。
余所で話すとだいたい、素晴らしい旦那さんだと言われる。自分でもそう思う。一度試してみて自分自身は挫折したことだから、これは実感のこもった本音だ。食事を作ってもらえるのは本当にありがたい。
ただ、まあ、うちの夫が用意する食事は多くの人が思い浮かべるような「家庭料理」とはだいぶ違う気はする。
私が洗濯物を干している間に「遅くなったわ、ごめんごめん」と言いながら帰ってきた夫は、荷物を下ろしてすぐにキッチンへ向かった。冷蔵庫や食器棚を開け閉めする音、電子レンジの回る音やフライパンで何か焼く音が立て続けにして、「お待たせ、食べよー」と夫に呼ばれる。この間、十五分弱だ。
食卓に並ぶのはパックに入ったままのレトルトご飯、インスタント味噌汁、両面を軽く焼いたハムが一人三枚ずつと、千切ってバターで炒めたほうれん草。
昨夜とまったく同じメニューだ。ついでに言えば、一昨日の夜も、先週の夜もだ。
たまにほうれん草がプチトマトになったり、ハムがウィンナーになったりする。納豆かふりかけが付くこともある。
何か文句を付けるようなメニューではない。ただ、取り立てて褒めるようなところはないし、毎日この連続だとすっかり飽きてしまう。とはいえ、夫だって疲れて帰ってきて手の込んだ料理はしたくないだろうし、無理をすれば続かなくなってしまうだろうし。
「あれ、食欲ない?」食卓の向かいから夫が聞いた。
面長で背の高い夫はこの位置からはヒョロヒョロとして見えるが、最近は歳のせいか腹だけ出てきている。いつも、変わり映えのしない夕食を掻き込んだ後、自分だけビールを開けてポテトチップスやコンビニの唐揚げを食べる。私も以前は晩酌に付き合っていたのだが、体重が気になってきて近頃は控えている。
夫にとっては、晩酌のおつまみで塩分や脂を補給できるから、夕食はあっさりしているくらいが丁度良いのだろう。一方、私はこれだけ食べて終わりだ。決して足りないわけではないが、なんだか不公平な気もしてくる。
「最近このほうれん草、飽きてきちゃってね」私はなるべく軽口めかして笑いながら言った。
「ああ」と夫は頷いた。「もうあと一回分で使い切るから、次は違う野菜買うよ」
「おひたしなら好きなんだけど。この、ソテーというのかな、バター炒めみたいなのは、嫌いってほどじゃないけど、たまにでいいというか」
「まあちょっと、面倒くさくてねえ」夫は苦笑した。「炒めるだけの方が洗い物も少ないし楽なんだよ」
「おひたしだって茹でるだけでしょう」
「でも、その後冷まして、しぼって、切って、出汁につけて……」
「いや、もう茹でるだけでいいのよ、私は。それでそのまま、薄めた麺つゆで食べるから」
「まあ、余裕ある日はそうしてみるよ」
夫は頷いたが、そうする気がまったく無いことは顔を見ればわかった。たぶん本人はおひたしにするよりバターソテーの方が好きなのだろう。作ってもらう以上、どうしても相手の好みのほうが優先されがちになるのは仕方ないのだが。
なんとなく納得がいかなくて、その週末に夫が出張で家を空けた隙に、自分でほうれん草を茹でた。小鍋でさっと茹で、薄めた麺つゆに浸す。わざわざフライパンで焼くよりも楽だと思ったのだが、食べてみたらびっくりするほど苦かった。口の中にしばらく変な感触が残りそうだった。
美味しく仕上げるにはもうちょっと手間を掛けないといけないらしい。そうなると時間が掛かるし、洗い物も増えるのだろう。夫がおひたしを作りたがらない理由は納得できた。
ただ、結局私がいまひとつ満足しきれないという問題はそのまま残る。我儘なのは百も承知だが、理屈だけでは私の舌と胃袋の不満感をどうしようもないのだ。
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