他意の装飾(4)

 話の流れで翌週も会うことになってしまった。


 今回は少しだけまともな(惚けた顔の兎のキャラクターが沢山並んだ柄をまともと言えればだが)Tシャツで来たシマは、手土産に分厚い本を持って来た。


 建物なのか模様なのかよくわからないイラストが入った表紙に、なんとかの発達と構造史観、と重々しいタイトルが書かれていた。まずその、なんとかの部分が読めなかった。大昔に数学でこんな記号を使ったような気はする。

 タイトルの一文字目から全く読めない本ってこの世にあるんだな、と変な感心をした。


「これ、知り合いの知り合いから押し付けられたんですけど、自分は全然わかんないんで。ケムリヤさんって確か大学は建築とかそっち系でしたよね。良かったら」

「え、ああ……」

 建築の話なんて、したことがあるだろうか。まったく記憶にない。ただ、そんな話をしてないという記憶もないのが厄介だった。自分で気付かないうちにその話題に触れていて、知ったような投稿を繰り返していた可能性はある。


「この本はいいな。近現代建築の工学的実用性という観点からの再評価は、まだまだ十分とは言えないからね。特に流体力学と振動力学を前提とした検証は、本来はもっと発展して良い分野で――」

 俺の口がまた勝手に喋り出した。縞根が目を丸くして、尊敬と若干の呆れが混じった視線を向けてくる。

 その顔をしたいのは俺のほうなんだが。


「やっぱり、ケムリヤさんに持って来て良かったです。価値がわかる人に読んでもらうのが一番ですよね」縞根はにっこりした。

「でもこの本、高いんじゃないのか……いいのかな、こんなタダで貰って」

「いいんです、自分もタダで貰ったんで。そのくれた奴も、献本で押し付けられたそうで」


 その後は特に難しい話題は出なかった。スタバの隅っこの席で季節限定のなんちゃらをダラダラ呑みながら、取り留めのない話をした。お薦めの映画とか、フォロワーが関わっているイベントとか、アニメ化で話題の漫画とか。


 興味を持てない相手との長話は退屈だった。でも、深夜のレジ番でぼんやりと客を待ち続ける時間に比べたら大した苦痛ではない。どうせ用事が無ければ家でSNSを眺めてしょうもない時間を過ごすだけなんだから、どっちでも良いことだ。


 ただ、俺はそれでいいとして、こいつはこれで良いんだろうか?

 目の前で楽しそうに喋る若者を見ながら、ちょっと不安になった。


 まあ、どうせ互いの本名すら知らない関係だし、今後そうそう会うこともないだろうし、別にいいか。




 そう思っていたのに、その翌月も会うことになってしまった。


 別の奴が開催した飲み会で、俺はその主催者と直接の繋がりは無かったが、参加者八人のうち五人は俺の知っているアカウントだった。縞根もその中に入っていた。


 通されたのは、襖で仕切られた細長い座敷だった。学生の団体客もよく入っているようなチェーンの居酒屋で、俺にとっては馴染みやすい場所だった。くっつけて置いてある二卓の、継ぎ目あたりのところに敢えて座り、卓上調味料やメニュー表にうまく隠れて枝豆をつまんだ。夢の神社で貰ったあのが本物なら、縞根以外の相手に対しては俺は正体を偽れないはずだ。今日は目立たず控えめにしているに限る。


 縞根は角の席で、同じく学生の『みずる』というアニメオタクと話し込んでいた。みずるという若者は、まさしく典型的なオタクに見えた。小太りで表情の読めない顔付きで、汚い眼鏡を掛けていて、遠目にも会話は下手そうだ。それでも、縞根とは話題が合うようで、二人とも楽しそうだった。

 やはりその方がいい。若者は若者同士でつるむのが健全だ。


「ケムリヤさん、ですよね」隣に座った『コトQ』が、おずおずと話しかけてきた。

 アカウントの印象は過激な発言も多々あるアーティスト気質だったはずだが、実際目の前にすると俺とあんまり変わりなさそうな、くたびれ気味の男だった。仕事帰りにそのまま来たらしく、ネクタイを緩めてシャツの袖を捲っている。

「ああ、初めまして……初めましてなのかわからないけど」

「直接お会いするのは初めてですね」コトQは苦笑し、「とりあえず乾杯しときますか」と言って俺のビールジョッキに自分の持っていたお猪口を近づけた。

 この組み合わせで乾杯ってするものなんだっけ、と思いつつ、俺もジョッキを持ち上げた。


「こういうオフ会って結構あるんですか?」コトQが聞いた。

「いや、俺が聞きたいくらい。やる人はしょっちゅうやってるんですかね?」

「あんまそういう、陽な集団に入っていけないんで、僕は……」

「俺もだよ。あ、でも、なぜか縞根君と最近、二連続で会ったけど」

「縞根君って、あの学生さんのどっちか?」コトQは向こうの角の席を見やった。

「そうそう。一番端の、あの大学デビューしたような感じの」

「はは、確かに」


 大皿で来たサラダをそれぞれ勝手に取ってつまみながら、当たり障りのない世間話をした。アニメファンの間で最近話題になった炎上騒ぎや、SNSを始めた時期とそのきっかけ、主催者との繋がり。


「ケムリヤさんって確かSEですよね、その界隈とは繋がってないんですか?」だいぶ酒が進んだ頃に、コトQが聞いてきた。

「ああ、いや……」俺は、酔いが回っていたせいか、自分でも驚くほど普通に答えることができた。「実は今は、コンビニでバイトして暮らしてるんです。何も詳しくないしその界隈でもないですよ」

「へえー、そうなんだ? 意外です」コトQはそう言いつつ、実際にはそれほど意外とは思ってなさそうな顔で、おっとりと頷いた。


 縞根にも初めからこう言えれば良かったな、と思う。でも、やっぱり無理だろうな。俺が今こういうふうに言えたのは、相手が同年代だったからで、というか、相手がコトQだったからだ。見た感じとか雰囲気とか、あとSNSでの言動とのギャップとか、色々なものが俺と近しいような気がしたから、言えたことだ。それでも「今は」などと、いかにも一時的な生活であるかのように匂わせてるし。まあ、それくらいはな。後で縞根が話しかけてきたときに矛盾が出過ぎるのも困るし。っていうふうに、また言い訳。


「というか、たぶん僕がSNS見てるときの解像度低くて、ごっちゃになってるんですよね」コトQは急に妙なことを言い出した。「ケムリヤさんって煙草のパッケージかロゴみたいなのをアイコンにしてるでしょう」

「ああ、そうそう。アカウント取った頃はニコチン中毒だった」

「もう一人、さんってカタカナで四文字の人がいて。タバコヤさんはアカウントが煙なんですよね。煙突からモクモクって煙が出てる写真」

「えっ……?」

「てっきり同じ人のサブ垢なのかと思ってて。で、別人だとわかった後も、いっつもどちらがどちらかわかんなくなるんです。なんかカタカナ四文字で煙か煙草の人だったなーという」

「あー……確かにいたかも、タバコヤさんって。『ゴロー君』の界隈の人ですよね」

「そうそう、そっちの方」

 俺はなんとなくスマホを出してSNSの画面を開いていた。フォロワーのフォロワーで辿っていくと、確かにいる。


 タバコヤ、フォロワー207人、フォロー150人。あなたの知り合いの12名と繋がりがあります。アカウント開設日、3年前。


 自己紹介文や最近の投稿、シェアしている記事などを見ていると、何か引っ掛かるものがあった。

 まず、やたらと赤いラーメンの投稿が多い。ハバネロなんちゃらのカップ焼きそばに挑戦。辛味が十段階から選べる坦々麺屋の訪問録。遠出したのでひとまずあの有名な激辛店へ。

 それと、SEの愚痴ネタや、技術系記事へのコメントが散見された。流行りのビジネスワードや新技術について、専門用語を多用したコメントを長々と連投することも多いようだ。


 もっと遡ると、こんな投稿もあった。

「もはやなし崩し的に脱構築建築と呼ばれるけれども、あらかじめ脱構築主義を念頭においたデザインとは、設計者の意図が明確に違うわけでそこは」

 その文章とともに、何に使うのかまったく想像の付かない奇抜な形のビルの写真が添付されていた。


 俺の頭では「建築」の一語くらいしか理解できなかったが、つい最近その言葉を聞いた気がする。


 部屋の隅の若者たちをこっそりと見やった。縞根はまだ楽しげに話し込んでいた。


 いつからだ。どの時点で誤解が始まっていたのか。


 そもそもこれは誰の間違いで、何の誤解なのだろう。縞根が俺と誰かを混同していたとして、その混同に乗っかったのは俺で、で結局、の効果もあって全てに矛盾は生じなかった。俺も縞根も満足している。間違いと間違いが裏返しに重なり合って、結果的にそれは正しかったことにされた。


 今となっては、偽物は俺自身だ。本物の俺こそが、この場に居場所のない偽物なのだ。そうとは言えないか。あれ、それとも俺は、酔っているのかな。


 縞根がふと顔を上げ、俺と目が合うと、そう言えばという顔をして立ち上がった。

 嫌な予感がしたが、咄嗟に逃げ出せる位置ではなかった。


「ケムリヤさん!」

 縞根は人懐っこい笑みと共に近寄ってきた。右手にビールジョッキ、左手には小さい紙袋を持っている。それを勢いよく俺に差し出した。

「忘れないうちに、これ、ケムリヤさんに手土産です」

「いや、毎度そんなに、いいんだけど」俺は何とか苦笑いを浮かべようとした。

「偶然手に入ったんですよ。いいネタになるかと思って、あげるとしたらケムリヤさんしか思い付かなかったんで」

「はあ」

 渋々、紙袋を開ける。望遠鏡か万華鏡みたいな感じの筒が出てきた。真ん中あたりに細かい数字が延々と書かれたパーツが連なっていて、筒をひねってその配置を動かせるようだった。


 いや、なにこれ。

 どういう反応をするのが正しいのか、まったく見当もつかない。


 けれども俺の口は勝手に喋り始めていた。

「ああ、計算尺か。こういう円筒形のって珍しいな――」

 まずい、と思って強引に立ち上がった。尚も喋ろうとする自分の口を手で塞ぐ。


 これ以上はもういい。

 空いたもう片方の手で「外に出る、すまん」のジェスチャーをした。縞根がきょとんとした顔で「手土産」を紙袋に入れ直して差し出す。俺は仕方なく、もぎ取るようにそれを掴み、他の参加者を押し除けて無理やり部屋を出た。


 一人分の参加費をレジの店員に預け、靴の踵を踏み潰したまま店を出る。雑居ビルの五階だった。エレベータを待つのもしんどくて、薄暗い階段をふらつく足で駆け下りる。


 夜の街に吹く風は湿っていた。ときどき思いついたようにスマホの画面に落ちる雨粒を拭いながら、「すいません急用ができて帰ります」と、いつものアカウントで投稿した。


 縞根やコトQ、他の参加者たちが次々と「いいね」や返信を寄越した。

 お疲れ様でーす。お気をつけて。こっちこそご挨拶できずすみません。ではまたの機会に……!


 またの機会なんかあるもんか。しばらくオフ会は避けよう。誰の誘いであっても全部断ろう。


 縞根はそのうち、自分の誤解に気付くかもしれないが、それまでに俺がフェードアウトしておけば深追いはしないだろう。頃合いを見てアカウント名とアイコンも変えておこう。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていれば、どうせ忘れるはず。お互いに。


 いつもの最寄駅が見えてきて、少しだけほっとした。駅構内のゴミ箱に、先ほど押し付けられた紙袋を、今度こそ躊躇わずにぶち込んだ。


 後悔なんかない。縞根の前では格好つけたかった。本物の自分よりちょっとだけ盛った自分を見せたくて、もしそれができなかったら、今よりもっと惨めな気分でいたはずだ。こうなることがわかっていたって、引き返せたはずがない。


 ただ、少し酔いすぎたのか、急に動き回ったのが悪かったのか、帰り道ずっと寒気が止まらなかった。この俺は今もまだ本物だよな、と、不吉で意味不明な疑問が何度も浮かぶのを振り払いながら、身震いを繰り返しふらつく足で俺はひたすらに自宅を目指した。

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