他意の装飾(3)

 今日の俺は別人だ。鏡に向かって言い聞かせる。髪を切って服を変えたから、なんとか見られる姿にはなった。あとは、シマに会う数時間の間だけ、発言や振る舞いでボロが出ないように気をつければ良い。


 縞根は「ものすごくイキってるふつうの餃子」と書かれたTシャツを着て現れた。


 SNSで公言している通り、二十代の男だった。とりあえず大嘘つきの詐欺師ではなくて良かった。髪を暗めの赤っぽく染めて、ピアスもしているが、なんとなくチャラくなり切れてない。根は真面目そうな好青年だった。


 昨日のうちに調べておいたイタリアンレストランに入り、昼食をとりながら話すことにした。


「いやー、ケムリヤさん、割と想像どおりというか」縞根は店員の置いていった水をゴクゴク飲んで、元気よく言った。「むしろ想像よりちゃんとしてますね。あ、これって失礼かもしれませんが」

「いやいや……縞根君も、うん、イメージどおりかも。予想よりイケメンだな」

「そう、これ他の人とオフ会しても言われるんですけどね、もっと典型的なキモオタかと思ってたって、言われるんすよ」

「ええ? そういうイメージはなかったけどな……」

「なんすかねえ、まあ話題がいつも映画とアニメと漫画だし。オタはオタなんですけどね」


 縞根がわりと自分から色々喋るようなので、とりあえず俺はほっとした。無口で話題の少ない奴だったら間が持たなくなるのではと、少し危惧していたのだ。


 メニュー先頭の「本日のピザ」がアンチョビとキノコのピザで、二人ともそのセットを頼んだ。注文を取りに来た店員も、その後ピザを持ってきた別の店員も、縞根のTシャツを二度見していった。ものすごくイキってるふつうの餃子。文字だけ書かれていて、特に餃子の絵があるわけでもない。本当に意味がわからない。


 そのTシャツの逸話を聞いたり、互いのハンドルネーム「ケムリヤ」と「縞根」の由来を説明しあったり、最近観た映画の話をしたりと、そこそこ話題は尽きなかった。

 こんな感じなら、昨日あんなおかしな夢を見るほど思い詰めなくても良かった気がした。


「そういえば、ねえ」縞根は食べる手をちょっと止めて、椅子の下の籠に入れた自分の荷物をごそごそと漁った。「手土産を持ってきたんです。たまたますごいの見つけちゃって、これはぜひケムリヤさんに、と」

「そういえばなんか投稿してたね。なんだろう」

「はい」縞根は小さな紙袋を渡してきた。


 中身は赤いパッケージのカップ麺が三つだった。黒く禍々しい書体で「地獄辛」「天国辛」「異次元辛」と大きく書かれている。


「あー」と俺は言った。

「これ、今は店頭販売してなくて、ネット通販専用らしいんですけど、ちょっとした偶然で買えたんです。凄いでしょ。ちょうどケムリヤさんに会う予定だったから、ぴったりだと思って……」


 俺は激辛好きなんて一度も言った覚えはないが、確かにSNSでよく関わる界隈では全体的にこういうものが流行っている。誰かと間違えてるんじゃないかと微かな不安はあったが、まあいいかと思って受け取った。

「ありがとう。食ってみるよ」

「レポ楽しみにしてますね、えへへ」

 縞根は嬉しそうだった。俺が激辛麺を手土産にもらって喜ぶタイプの人間だと、心から確信しているようだった。そんなに自信満々で来られると、むしろ俺の方が間違っているような気がしてくる。辛いものが苦手なわけではないし、もしかして俺は前からSNS上ではそういうキャラだったかもしれない。


 その後も無難な会話が続いた。ネット上での付き合いは長くても、生身では知り会ったばかりだから、こんなものか。

 ただ、ピザのピースが減っていくのに比例して、俺の中ではこの縞根という若者への興味が急激に薄れていった。


 まったくくだらない。俺みたいな空っぽな人間に騙されて勝手に懐くなんて、所詮その程度のフォロワーだったか。思いっきり自分を棚に上げて言わせて貰えば、こっちががっかりだよ。


「この後は『アカどう』さんに会うんですよ。あの人もこっちに仕事かなんかで寄るらしくて」縞根はピザの最後の一切れを食べながら、共通のフォロワー名を挙げた。

「ああ……あの人ってこの辺なの。というか、あれっ、女性じゃなかった?」

「どうなんすかね。前にサブ垢で自撮り上げてたけど、身体は男に見えましたがね」

「ああ、そういう……」

「いや、そういうのでもなく。たまに趣味が女性っぽいですけどね。本人は何も言ってないと思います。いや、この話はやめましょう、トラブルの種だ……あ、それより、赤黄さんもですけどケムリヤさんもIT系ですよね?」

「え、ああ……」


 不意打ちのような話題転換にどきりとした。緊張で声色が変わってしまいそうになり、慌てて水を飲む。


「自分もそろそろ就活なんですけど、IT系メインで考えてるんです。今この業界どんな感じなのかなって、ちょっと本職の人に聞きたくて」


 上手いこと誤魔化して逃げなければ。必死で考えているはずが、気付けば口から勝手に言葉が出ていた。

「まあね、最近もう生成AIが出てきたから、正直コーディング自体の価値は下落してるかな。現場レベルではまだまだ人間の手は必要だけど、最早それのみでは食っていけない世界というか。フロントエンドかバックエンドか、ってのも永遠の論争だけど、最終的には個々人の適性で――」


 なんだこれ。


 縞根は真剣に俺の言葉を聞いて感心していた。今にも手帳を出してメモを取り始めそうな勢いだ。

 俺には、俺の言っていることがまったくよくわからなかった。縞根に解説してほしいくらいだ。


 チーズが胃にもたれてきた。店員が食後のコーヒーとデザートを置いて、また縞根のTシャツを二度見してから去る。

 表面にサックリとヒビの入った丸いチョコレート菓子を見下ろして、落とし穴みたいだなと思う。上からスプーンを入れると、手応えの弱い生地の下にどろりとしたソースがある。ずぶずぶと沈んでいく。甘くて、真っ黒。



 帰り道、駅のゴミ箱に激辛カップ麺の入った紙袋を投げ込もうかと思った。思い留まったのは、給料日がまだ先なのを思い出したからだ。三食分の食費は小さくない。

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