他意の装飾(2)

『子供の写真とかあげてる人はよくやるなあとは思うよ。鍵垢で上げた画像でも普通にネット上には残るって知ってんのかね? 知ってたらさすがにそんなことしないか』

 これはたぶんセーフだろう。俺に子供がいるかどうかまでは言及していない。


『いや最近に限らず教育者ってモノホンの世間知らずだよ? 今の公立小学校なんてマジやばいて』

 これも、まあ、言い訳はできるレベル。


『はー久々に家族サービスから解放されて晩酌だし。ひとりで優勝してる』

 ビジネスホテルの小机に発泡酒とスナック菓子を並べている写真付きの投稿。これは本当は、実家で法事があった帰りに東京のイベントに寄りたくて一泊したときなのだが、いかにも家庭持ちのサラリーマンが出張で羽を伸ばしたみたいな雰囲気を出してしまった。


 他にも、『配偶者がSNS制限してくるとかあるの? うちのはあり得ないけど』とか、『実際いつもの手料理より無性にお惣菜食べたくなる日ってあるよな』とか、『家族連れっていうだけで信号待ちでむっちゃ見てくる老人いるじゃん。あれほんと気持ち悪い』とか。

 我ながらよくこんなことを書けたなと思うほど、家庭持ちアピールの投稿は頻繁にあった。その場その場ではあまり他意はなく、適当に場の流れに合わせて書いているに過ぎないのだが、改めて遡ると多い。シマは確実に俺を妻子持ちだと思っているはずだ。


 家族関連以外では、こういうのも多い。

『日々目の前で見せられゲンナリしまくってるけど、要はねAIってハッカーが使うやつでしょ、レベルの奴らが組織を動かしている』

『モニターの縁にパスワード書いてるおっさんらが会議のたびにセキュリティインシデントとか真顔で言い出すのは怖いぞ』

『経理には経理の理屈と締日があるのはわかってるよ、でもそんなんこっちが知るかって話なんです』

『は〜〜〜〜俺より上の役職の人明日全員死なないかな〜〜〜〜!』


 ほとんどは、誰かの投稿を参考に少し変えただけだ。つまり、俺にとってはほんのジョークのつもりだ。わざわざ嘘をつこうなんて覚悟を持って、念入りに作り込んでいるわけではない。


 でも、今更いかにも貧しそうなフリーターのなりで縞根に会えないのも確かだった。縞根は趣味の学生アカウントだが、映画好きで長文レビューが上手いのでフォロワーは多い。近頃は、プロの作家や映画関係者から反応をもらっていることもある。俺と縞根のオフ会の予定は多少なりとも色々な人の目に留まっているはずで、失態を晒せば噂は予想以上に広範囲に広まるだろう。


 ああ、嫌だな。


 伸び放題になっていた髪を格安カットハウスで切って、綺麗めの服を買いそろえ、靴も忘れずに買って、それだけで疲れ果てた。鞄はどうする? 財布は大丈夫だろうか。スマホカバーは。それに、縞根はこの辺りの土地勘が無いみたいだから、店も見繕っておく必要がある。俺の普段の行動範囲にはコンビニとスーパーとファストフード店しかない。でも縞根の前では、いかにも行き付けの小洒落た店が幾つもあるような、できる大人として振る舞わなければいけない。そんなことできるか? せめて一対一じゃなければ誤魔化せた気がするのだが……


 急に体調が悪いってことにしてドタキャンできないだろうか。でも、向こうだってそれなりに遠方から来るらしいのに、無駄足を踏ませるのは忍びない。そもそも、なんで会う約束をしたんだろう。そのときは何も考えていなかった、断れば良かった。


「断れば良かった」

 駅のホームに上がるエレベータに乗り込んで、頭上の凸面鏡に映り込む自分の姿を見上げた途端、思わず溜息とともに呟いていた。そこには、鏡の歪みを差し引いても見目の悪い、全身から安っぽさが滲み出る猫背のおっさんが立っていた。


「いっそのこと、俺の代わりに別人が行ってくれないかな。なんかそういうサービス無いのかな?」

「こちら側のドアが開きます」エレベータ内のアナウンスの無慈悲な音声が告げた。


 俺は目の前で開いたドアをよく確かめずに、前へ踏み出した。




 雑踏の中を歩いていた。

 駅のホームではない。神社の境内のようだった。軽やかな小太鼓と甲高い囃子笛の音が続く中を、雑多な参拝客がぞろぞろと進んでいく。

 道は細い石畳で、緩やかな上り坂だった。


 遠くに炎が天高く上がっているのが見える。お焚き上げみたいなものだろうか。


 何かがおかしい、と直感が告げていた。フードを目深に被ったり、やけに俯いていたりと、不自然に顔の見えない参拝客が多い。その陰にあるのが本当に人間の顔なのか、と奇妙な疑いが湧いてきて、背筋が寒くなる。


 道の両脇には祭りの日らしく屋台が並んでいる。提灯の光が妙に赤い。そのせいで店に並ぶものの色合いも分かりづらく、遠目には見慣れたものが売っているような気がしても、近づくほどに何か違った品物に見えてきそうだ。思わず直視できずに目を泳がせ、俯いて人の流れに続く。


 小太鼓と笛の音に混じって、どろどろと重たい銅鑼を鳴らすような音が響き始めた。


「おじさんも何かいるの? お金?」

 不意に、耳につく子供の声に呼び止められた。


 白い長机に赤や黒の椀が幾つも並んだ、簡素な屋台の前にいた。

 古風なおかっぱ頭の少年が、小狡そうな目をこちらに向けている。歳は七、八歳くらいだろうか、紺のストライプ柄の甚平を着て、古い木箱を踏み台にして立っていた。


「お願いがあるなら、どうぞ」少年は獣じみたよく光る目で俺を見ながら、黒い椀を取って差し出した。


 中には金色の液体が一口ぶんだけ溜まっていた。


「え、飲めってこと?」

「お願いごとがあるならね。お金じゃないの? あれ、なんか違うかな……」少年は俺の顔を探るように眺め回した。

「まあ、広い意味では金だけど」俺は仕方なく言った。「今度、人に会う時までに、そいつの期待通りの人間になっていたいんだ。金持ってて、仕事と家庭があって、ちゃんとした大人にさ」

「ふーん。いつまでに?」

「明日」

「短すぎじゃん」少年は吹き出した。「絶対すげえ代償取られるよ、それは」

「代償?」

「おじさんの寿命」少年はニヤリと笑った。

「寿命か……」別にそれくらいはいいかなという気がした。「ちなみに、どれくらい?」

「まあ、持って余命半年とかじゃない?」

「はあ? じゃ、駄目だ」さすがに先が短すぎる。冗談にしても笑えない。

「ふーん。おじさんってあれでしょ、怠け者でしょ」少年はずけずけと言った。「怠け者で努力しないのに、結果だけ欲しい人でしょ。それならさ、相手を一人だけにしたら? 明日会うっていうその人だけ。その人の前でだけは、ちゃんとした大人っぽくいられるように。そういうお願いなら、もっと安く叶うよ」

「あ、そう? いくらくらいで?」

「えー、そうだなぁ、おじさんがね……たぶんもう、その人に、別に会いたくなくなると思う」

「はあ。女とデートするんじゃないんだが。元からたいして興味ないぞ」

「うん、だから、安い代償でしょ」少年は不敵に笑った。

「まあ、そうだな」

「じゃ、飲んで」少年は差し出した椀をぐいっと俺の手に押し付けた。


 重たい銅鑼の音が耳を包んでいる。雑踏のざわめきがなぜか急に遠のく。金色の液体は椀の底で、さらさらと光りながら揺れている。

 俺は何かに導かれるようにぼんやりとしたまま、それを口に含んで飲み込んだ。

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