他意の装飾(1)

 目が覚めるとめちゃくちゃ汗臭くなった布団にフケが飛び散っていて本当に萎えた。昨夜少しだけ蒸し暑いと思ってドライを掛けたエアコンがつけっぱになっていて喉がカラカラだ。布団から手を伸ばして飲みかけのペットボトルを取る。昨日開けたやつだが、水だからまあ大丈夫だろう。丸まったティッシュがその周りにどっさり散らばっている。単に、鼻炎持ちだからなのだが、なんかすごく汚らしいもののように見える。じっさい鼻水とともに吐き出した雑菌やウィルスが一晩かけて蒸発しながら宙に舞い上がって汚らしいには違いない。


 枕の下を手探る。スマホが出てくる。画面が手垢に塗れている。それを枕カバーで擦ったら余計に汚くなった。あとでアルコールで拭かなければ……


 目が開かない。眠くて仕方ない。だがSNSのアプリを立ち上げて画面をスクロールする動作なら、指が覚え込んでいるからほぼ寝ながらでもできる。


『うおおお! いいの手に入ったんで今度の会う日持っていけそうです』

 フォロワーのシマから返信らしきものが来ていた。アプリの公式な機能を使ったものではなく、俺が見るであろう場所に誰宛とは明示せずに投稿しておくという、迂遠なやり方だ。彼の年代では当たり前のマナーに近いのかもしれないが、俺に対してなら絶対見落とすからやめろ、といつも伝えているのに。


『俺宛かな? わかんないけど楽しみにしてる』俺は親指を動かして投稿した。


 縞根からすぐに「いいね」がついた。こいつはいつ寝てるんだろう。学生だから時間はある程度自由になるのだろうが、それにしても昼夜問わず反応が早すぎる。

 暇なのを隠さずに済むっていいよな。若者の特権だと思う。


 他のアカウントの動向も確認し、SNSの今日のトレンドをチェックし、コメントをするか、スルーするか、単語でミュートして視界から消すかを考える。AIが判定した「おすすめ」欄は荒れ気味。昨日、間違って転職サイトへの誘導URLを触ったせいで、それ関連の広告が急に増えている。他におすすめされた広告はダイエット、疲労回復、薄毛対策。余計な世話だよ。後で、海外の観光PRを「いいね」しまくって中和しなければ。


 ようやく目が開いて身体が温まってきた。布団から出て、リビングの物干し竿に掛けっぱなしの服を漁る。どれも湿っている。一度乾いたはずのものまで湿っている。自分が今、着ているものを見下ろすが、掛かっている服と大差ない。というか、他の服よりちょっと毛玉が少なくて綺麗っぽいようにすら見える。汗くさいなんてもう今更だし、これで出勤することにした。こんなんでいちいち気にするやつは最低自給の仕事なんてしないだろ。


 レジ打ちの仕事はいつも通りクソだった。バックには未処理の商品が山積みになってて、マネージャーは残業をしてほしそうな空気を頑張って醸し出していたが、気づかないふりをして素早く退勤した。マネージャーが俺に強く出られないのはわかっている。俺の方が学歴が上だし、背も高いからだ。面と向かって頼まれたって、こちらも面と向かって断るだけだ。それが分かっているからあいつはなかなか話しかけてこない。目つきと声色だけで威圧できる下っ端は他に沢山いるし、そいつが辞めても次が来るからな。


 帰り道、歩きながらスマホを確かめる。またくだらない投稿が界隈の注目を集めて騒がれている。半年に一度はどこかで聞くような話題だ。半年ごとに記憶が消えるくらいじゃないと、SNSなんて続けられないのかもしれない。


『そんなこと言う側もどうかと思うよ? 数年前なら脊髄反射で可哀想〜って思ったりもしたけど最近ははじめっからそれ狙いの奴もチラホラいてうんざり』

 仕事の疲れが溜まっていたから、こういう投稿を書くと気持ち良かった。肩こりが軽くなる気がする。でも、読み返していると言葉の棘が強すぎる気がして、投稿ボタンを押すまではいかない。いったん「下書き」へ送る。アプリの下書き欄には俺の投稿しそびれた痛い発言がゴミのように降り積もっている。これを全世界に出さないようになっただけ、だいぶ成長していると思う。


『これは極秘情報なんだけどロー●ンのロールケーキはわりとシンプルに激うまい』

 新しく書き直して、こちらはすぐ投稿した。投稿ボタンを押せば、内容がどうであれ何かやり遂げたような錯覚は得られる。朝の挨拶とか今五時ですとか分かりきったことばかり投稿するアカウントが一定数いるのも、たぶんそのせいかも。俺はあれは超くだらないと思うけど。


 今朝の縞根から個人メッセージが来ていた。

『明後日ですけど、もし現地で行き違ったらここに連絡しますね。それともラインとかディスコとか他の手段の方がいいですか? なんなら電話番号お知らせしますけど』

『ここで大丈夫です』俺は返信した。『けっこう学生さんの待ち合わせスポットになってるから、人が多いかも。当日、服装の特徴とか知らせてもらうと楽だけどね』

『じゃあ、面白いTシャツ着て行こうかな。でも最近それ自体流行ってるから、かぶるんですよね』

 縞根は文末に「おじさん構文」みたいな顔の絵文字を三つくらい付け加えた。ギャグのつもりなのかもしれない。

 それか、本当に俺より年上とかだったらどうしよう。まさか女ではあるまいが。


 SNSでの付き合いは、しょっちゅう疑心暗鬼になる。今のところとんでもない大嘘つきに関わったことは一度もないが、それでも、画面上で見るものが全部嘘かもしれないという疑念は尽きない。


 そして一番大きな問題は、俺自身がどうしようもない大嘘つきだっていう点だ。自分が嘘をついているからこそ、周りの発言もすべて疑わしく見える。ときどきもう辞めたいと思ったって、そう簡単にアカウントをリセットできるわけじゃない。この世界にはこの世界なりの秩序や時間の流れがあって、それを放り出すってことは、今まで育ててきた人間関係やアカウントとしての信用度を捨てるってことだ。俺みたいに現実世界に何も持たない人間にとっては、それは決して小さくない痛手だった。

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