怪の消息(3)

 会社の規模は数年で倍になった。仕事は常に山積みで、家に帰る時間も惜しいくらいだった。それでも、自分が留守の間にリョウに何かあったら、と思うと気が気でなく、無理にでも帰宅するようにしていた。私が帰る頃にはリョウはだいたい自室に篭っていて、ドアを開けて覗くと迷惑そうな顔をした。学校はどうだった、元気にしていたか、話しかけてみても通り一遍の返事が嫌そうに返ってくるだけ。それでも、リョウの顔を見ると不安がすっと軽くなり、どうにか一息つくことができた。



 やがて不景気の波が押し寄せ、会社は再編の時を迎えた。同業の大手から吸収合併の話を持ちかけられていたが、条件が芳しくなく、各所への根回しも難航していた。


 妻からただならない口調で電話がかかってきたのは、重役会議を兼ねた食事会の最中だった。


「ごめんなさい、今すぐ戻ってちょうだい。警察から連絡が来たの、ヒロが窃盗で……」

「またか」

 次男のヒロは十代の半ば頃から悪い友達とつるむようになり、それまでにも何度か万引きで呼び出されたことがあった。

「悪いけど、今日は抜けられないんだ。お前、迎えに行ってくれ。帰ったらヒロにはしっかり俺から話すから」

 他の取締役たちに話を聞かれたくなかったので、私は早々に電話を切った。


 帰宅したのは0時近くだった。リビングの明かりがぽつりとひとつだけ点いており、妻は食卓に、リョウはソファの方に座ってそれぞれ暗い顔で俯いていた。


「ヒロはどうした?」と私は聞いた。

「わからない」妻は普段とは別人のような、低く掠れた声で言った。

「わからないって、なんだよ。迎えに行かなかったのか?」

「逃げてるんだろうって、警察が。窃盗グループと一緒に」

「窃盗グループ? なんだそれは」

「何も、話を聞いてないでしょう」妻は疲れ切った溜息をついた。「金券ショップに窃盗グループが入って、警察が捜査中なの。防犯カメラにヒロが映ってたって、うちに警察が来て。でもこちらからも連絡がつかないし、スマホの位置情報も拾えない。未成年だから報道には出ないし、早めに出頭すればそこまで重くはならないから、って言われたんだけど――」

 妻の説明が、うまく頭に入ってこなかった。


 正直、次男のことはそこまで心配してこなかった。私があの日約束した代償は最初に授かる命、ひとつだけ、のはずだったから、それが嘘でも本当でも、次男には影響がないはずだ。だから次男には色々なことをのびのびさせてやれたし、私が口うるさくして締め付ける必要もないだろうと考えていた。この数年はやんちゃをしているようだったが、それもきっと一時的なもので、そのうち落ち着くだろうと思っていた。


「窃盗グループって、反社ってことなのか?」仕事の疲れもあって、つい苛立った声をあげていた。「なんで、そんなことになってるんだ。そんなになるまで放っといたのか? 途中で気づくだろうが、お前がちゃんと見ていてくれれば――」

「母さんのせいにするなよ」リョウがソファに掛けたまま、怒りを込めた目で私を睨んだ。「ヒロがああなったのは、お前のせいだろ」


 初めて、息子から「お前」と言い捨てられたことと、その内容のせいで、私は言葉を失ってリョウを見返した。


「お前が、兄弟で差をつけるから……おれのことばかりいつも過保護にして、ヒロを無視してばっかりきただろ。おれがそれを喜ぶとでも思ってたの? なあ。お前、ヒロの誕生日とか今何歳かとか、どこの学校行ってるかとか、ちゃんと覚えてる? そもそも知ってるの?」


 まさか、息子の誕生日や年齢を忘れるはずはない。学校もわかっている。しかし、学年には自信が無かった。入学したのはだいぶ前だった気がするから、三年生のはず――だが、受験をどうするといった話を聞いた覚えはない。進学ではなく就職を考えるという話も、聞いたような気もしたし、聞いていないような気もした。


 私が言葉に詰まっているのを見て、リョウは心底呆れた目で立ち上がり、リビングを出て行った。


 次男の行方はそれきりわからなかった。長男のリョウも、まもなく一人暮らしを始めて家に寄り付かなくなった。リョウは大学でダイビングのサークルに入り、あちこちに遠征して潜っているらしかった。いつか水難事故に遭うのではと、私はやはり不安で仕方なかったが、もはや止めさせるすべは無かった。


 みねと出会ったのは、ちょうどその頃だった。

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