怪の消息(1)

 子供のときから不思議な体験をすることが多く、父にはたびたび、お前は何かをんだ、と言われた。あの女との出会いも、そのひとつだったのかもしれない。



 小学生になったばかりの頃、キャンプに行った山奥で迷子になり、知らない大人に手を引かれて元の道まで返してもらったことがあった。両親と合流して安堵し、自分を送り届けた誰かにお礼を言おうと振り返ったら、いなくなっていた。見通しの良い砂利敷きの車道がずっと続いていて、人影はまったく無かった。両親と、一緒に来ていた従兄弟達も加わって付近をしばらく探したが、他に人が入れそうな脇道はなく、そもそも幼い私がどこに迷い込んだのかも判明しなかった。山の神さんを引き寄せたんだなあ、と父は大きな手で私の頭を撫でて言った。


 高校受験の時は事故を引き寄せた。滅多に雪の降らない土地に、その日だけ狙ったかのように雪が積もり、乗っていたバスが玉突き事故に巻き込まれた。みぞれの降り続く寒空の下に私たち乗客は降ろされ、いつ終わるとも知れない事故処理を待った。後で聞いたら、私以外の受験生はそのまま歩いて受験会場に向かい、普通に試験を受けたそうだ。私だけが何故か、その場にとどまってぼんやりと待ち、試験を受けられなかった。誰かに「ここで待ってください」と強く引き留められた覚えがあるのだが、それが誰なのか、何故私だけが引き留められたのか、後で振り返るとまったくわからなかった。

 おかげで第一志望の高校には行けず、第二志望のところへ行った。ただ、高校生活はかなり楽しかったから、あの雪の日の事故は結果的には私にとって幸運だったのかもしれないと思った。


 大学受験の日も妙なことがあった。正確には、二日目の試験を終えての帰り道だったから、受験そのものとは関係がないのだが。


 不気味な黒い鳥居のある神社に迷い込んで、境内のどこかで屋台の男に声を掛けられた。

 白い長机に赤や黒の椀がたくさん並んだ、奇妙な屋台だった。

 男はマネキンのように真っ白で特徴のない美形だった。闇を呑んだように真っ黒な眼と、同じ色の髪をしていた。

 男は赤い椀を差し出し、「願いごとは?」と聞いた。


 椀の中には金色の液体が一口ぶんだけ溜まっていた。


「合格してたらいいな、と思いますけど」私は戸惑いながら言った。


 男は少し目を細めて私の顔を眺めてから、「君自身が叶って当然と思っている願いは受けられない」と言った。


 確かに私は、その日終えた試験には自信があった。手応えがあったし、全力を出し切れたという満足感があった。


「それなら、将来……成功者になって、沢山稼ぎたい」

「いいよ」男は言った。「代償は安くないけど、払えるかな」

「いくらですか」

「君が将来授かる最初の命を貰う」

「へえ……」あまりに現実味がなくて、私はなんとなく苦笑した。「それって将来、俺の子供が死ぬってことですか?」

「そう。ひとつだけだ」色白の男は表情を変えずに頷いた。「払えるなら、それを飲んで。払えないなら、今日はもう帰りなさい」


 私は受け取った椀の中身を口に含みながら、そこまでの覚悟を決めていたわけではない。半信半疑だったし、実感が無かった。まだ、女性との付き合いどころか、まともな恋すらしたことが無かった。「命を授かる」なんてことは女性にだけ起きることで、男の自分にはすごく遠く実体がないものだと思っていた。



 結局、そのときの手応え通り、私は第一志望の大学に受かった。学生生活は可もなく不可もなくという感じで、高校のときほど楽しいことばかりではなかった。周りの雰囲気に押されて恋人を作ってもみたが、どうも違和感や不安ばかりが大きく、その手のことに向かないようだった。学生の間に二人と付き合ったが、二回とも半年も経たずに自然消滅して終わった。


 就職した会社も、一応大手ではあったが世間一般からの認知度は低い、可もなく不可もないところだった。楽な仕事ではないが、極端なブラック企業というわけでもない。同僚に誘われて入ったフットサルのサークルが楽しくて、休日は仲間達と体を動かしたり飲み会をしたりと、それなりに充実していた。


 このままではいけない、と不意に目が覚めたように焦り出したのは二十代が終わりかけた頃だ。三十歳になる年が、何かの節目のように思えた。今の生活に不満はなかったが、この先の人生がずっとこれの延長だとしたら、それは耐えがたい気がした。そして、三十を過ぎたらもはやこの先の人生を大きく転換させることはできなくなる、という予感があった。


 悩んでいたちょうどそのタイミングで、仲間の一人からベンチャー企業への誘いが来たのは、私の人生最大のだったかもしれない。仕事はきつくなり、給料は下がる。ただ、やれることの幅は広がるし、将来天井知らずに大化けするチャンスはそこにしかない。とても大きな賭けだった。


 結果的には、私個人にとってはこの転職は正解だった。残念ながら誘われて入ったベンチャーはそれから間も無く潰れてしまったが、そこでの実績を活かして似たような会社に拾われ、新サービスの立ち上げを任せてもらえた。これがかなりの成功を収め、私はプロジェクトの代表者として雑誌の取材などに応じることも増えた。

 年末に実家に帰省したとき、私の写真が載ったビジネス誌を父が何冊も買って親戚に配り回るのを見て、なんだかくすぐったい気分と共に不思議な感慨を覚えた。


 翌年に、友達の紹介で付き合い始めた女性と結婚した。すぐに息子が生まれ、私は仕事と家庭の両立に苦心した。

 息子は問題なくすくすくと育った。しかし、時が経つほどに私の中に不安が芽生え、ちくちくと胸の中につかえながら枝葉を広げていくようだった。

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