宵の籠絡(上)

 赤茶けた夕日が雨雲に呑まれるように沈んだ後、まだ小降りの続く境内には常と変わらず人が溢れていた。傘を差し雨具を纏った老若男女が、互いの足取りに流されるように狭い石畳の坂を進んでいく。左半分は境内の奥に向かって上へ、右半分はそこから引き返して下へ。


 参道の両脇には、提灯や裸電球を下げた屋台が切れ目なく並んでいる。ほとんどの屋台は昔から変わりのない食べ物や縁起物、子供の玩具を並べているだけだが、ときおり真っ白な長机に赤黒の椀を並べただけの奇妙な屋台が混じっていた。


 金が欲しい。金が欲しい。彼に会いたい。金が欲しい。合格したい。死にたい。金が欲しい。母が治りますように。


 はんしょうは長机の前に立ち、屋台の前を通り過ぎていく参拝客を一人ずつ吟味していた。色の浅黒い、鋭い目をした若者だった。袖の長いシャツを捲り上げていて、肘の近くに梵字の刺青が見えている。


「どう? いっぱい取れそ?」

 後ろからのし掛かるように、別な若者が汎鐘の両肩を掴んだ。


「クジラ」汎鐘は少しうざったそうな顔をした。

「さっきのは行けたんじゃない? お母さんが病気の人」

「ああ、あれは駄目だ。全然取れない」

「そうなの? 結構重そうな願いだったけど」

「願いの大小で決めるんじゃない。前に教えただろう」

「そうだっけ? ごめんごめん。たぶんこの怪我する前でしょ、それ……」

 クジラは汎鐘の肩から手を放し、照れ隠しのように茶色い髪をかき上げた。


 青白くつるりとした顔だが、明かりの下でよく見ると、左の目尻から口元にかけて亀裂のような傷があった。左眼は義眼のようで、薄い灰色の瞳はまったく動かない。


「この怪我だかどの怪我だか知らんが」と、汎鐘は言った。

「冷たいなー」

「冷たいのはお前だろう」汎鐘はじっと参拝客の列に目をやったまま、相手に聞こえないようにぼそりと呟いた。「……全部忘れやがって」


 どろどろと遠くから響く太鼓の音が、波のように強弱を繰り返す。小雨が本降りになりかけて、狭い参道を傘が埋め尽くす。


「ねえ、あの人は?」

 クジラがふと、赤い傘を差した若い女に目をやった。

 女は雨に濡れるのも構わず、傘の端を上げてきょろきょろと屋台を見回しながら、近づいて来る。


 一度でいいから、一位になりたい。


 彼女の中に燻る望みを、汎鐘は鋭い目を僅かに細めて見通した。

「いいんじゃないか」と、汎鐘は言った。

「本当? 俺の客にしていい?」

「どうぞ」

「なんか、適当に言ってない?」

「いや。彼女はたくさん取れると思う」

 汎鐘はクジラに場所を開け、屋台の奥側に引っ込んだ。


「どうやって見分けてるの?」クジラはちらっと振り返って聞いた。

「一言でいえば、罪の重さだ」

「それはだから、望みの大きさってことでしょう?」

「違う。望みが大それたものかどうかは関係がない」汎鐘は屋台の裏手に積まれた木箱の間の、黒い小さな壺に手を掛け、見下ろしながら呟いた。「代償の重さを決めるのは、望んだ本人だからな」

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