第6話 逆上がりが、できた。

 軍事教練で殴られた、軍隊で殴られた、との話を職場で関わる老人からよく聞く。

 そうした目に遭った人達は、戦争が終わって社会へ戻っても、職場で怒鳴られたり殴られたり、が日常茶飯事だったらしい。

 女性は女性で、よく男性から殴られている。日々関わる老人達には、負の思い出が渦巻いている。

 ある男性は、教練で殴られた相手のことをずっと覚えていて、恨みに思っている。

 当時の時代背景では、殴る方の立場は、教育のため、との大義名分があり、お国のためでもある。

 男性の高齢者が三人ほど集まると、戦時中の過酷さと戦後の社会の急激な方向転換への戸惑いの経験が語られることが多い。

 職員のほとんど全員は、彼らの盛り上がるそうした話題を避け、忙しく立ち働いている。自分の仕事に精一杯なこともあるが、興味が全く湧かないようだ。

 東條英機はピストル自殺を図って死ねなかった。あんなに国民に対してはお国をために命を捧げよ、と言っていたのに、とその出来事を昨日のことのように苦々しげに言う。

 わしは、それに加えて、人一倍、運動神経が鈍かったから…、との声が聴こえ、そうか、昔からそういう人は居たんだ、と、当たり前とも言えることに気付いた。さぞ、生きにくかっただろう。自分の子供時代よりも、遥かに。

 老人達の時代は、軍隊、軍事教練。僕の時代は、体育。

 今も体育はあるが、スポーツ医学やスポーツ心理学が発達し、昔とは体育教育の内容が大きく変わっている。

 怒鳴ったりする教え方は、犯罪扱いとなる時代となっている。変われば変わるものだ。

 もっと良くなれば良い。同時に、あの時怒鳴られ馬鹿にされ非難された自分の悔しさ悲しさはどこへ持って行けば良いのか、との気持ちもある。

 老人の介護も、以前は老人に対して怒鳴って怒って言うことを聞かせる場面が当たり前に見られたが、今では許されない。

 ただ、直近では人手不足が進み、老人に納得させず無理に従わせようとする対応も見受けられる。が、怒鳴るようなことはなくなっている。


 息子と公園へ行く。鉄棒の練習をしたいようだ。

 逆上がりができない僕は、公園へ行く前に、逆上がりのコツをネットで検索していた。

 それを思い出しながら、両足を天高く突き上げる気持ちでやってみたら、くるっと身体を回転させることができていた。

 子供の頃、何度練習しても絶対にできなかった逆上がりが、四十歳を過ぎた今、初めてできた。

 当時は、大人や友達からやり方を何度も教わるが、教われば教わるほど頭が混乱し、できなくなっていった。今、できた。

 息子に、自分なりに理解した逆上がりのコツを伝えると、息子も、できた。


 ネットの集合知というものは、凄い。

 昔は、学校でも仕事でも、分からないことは聞け、と言われた。

 だから懸命に聞こうとしたが、聞き方、聞くタイミング、聞く相手、によって、聞いた結果分かったこと、分からないままのこと、ますます分からなくなることがあった。

 恐る恐る聞くことが多かったので、分からなくなることの方が圧倒的に多かったと思う。

 聞き方や聞くタイミングによって、相手をイライラさせたりもした。分からないから、と同じことを聞き返すことは難しい。

 ネットでは、そういうことがない。

 ネットの向こうには人がいるのだが、ネット空間というフィルターを通して関わるので、感情が入らない。

 一度見て分からないことも、何度も見ることができる。同じことについて他からの情報を見て分かることも多い。自分のペースで理解に至ることができる。

 直接聞いた方がよく分かることもあるが、逆上がりのやり方などの純粋に技術的なことは、できない様子に驚かれたり呆れられたりイライラされたり馬鹿にされたりのないネットの方が分かりやすい。


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