第50話 魔の森の主 サリナスの文明
この旅に来るまでは派手な印象のソフィでしたが思ったよりハイディングも得意で安心しました。
ソフィも貴族と同様のVIPですから考えてみれば当然ですね。
私たちはファベルジェ商会の豪華ホテルを避けて静かで瀟洒なホテルに落ち着きました。
ソフィは勉強の為と私が落ち着くように個室を用意してくれました。
食事は基本的にはヴァイエラの料理と似ていました。
麹などを有効に使った発酵食品を中心に新鮮な魚介類や野菜や果物の素材を生かした料理が特徴的です。
様々な雑穀や玄米を粒のまま食べるサリナスの食事を楽しむとリュティアの多国籍料理がサリナスの食文化を基にしているのが良く分かります。
暖かいイシュモニアと較べると涼しいサリナスですが食材は多様に見えました。
「このジャムはイシュモニアからの輸入品よ」
クロワッサンにバターとジャムを挟んでいたソフィは言いました。
「寮の食堂にもあるベリーのジャムみたいね」
私の言葉にソフィは微笑みました。
「ご名答。でもホントはベリーとは名ばかりで木の幹に実るジャボチカバというフルーツですけどね。こちらの赤いジャムが本当のベリーのジャムよ」
ソフィは二つのジャムを較べて見せました。
確かに赤いジャムと紺色のジャムは中身がかなり違うようです。
わたしもソフィの真似をして食べ比べてみました。
「果物の食感も違うけれど。甘味のベースも違うみたいね」
「赤いジャムの甘味はハチミツでつけてあるわね。紺色のジャムはステビアとオリゴ糖がベースね」
なるほど。それぞれのジャムを良く味わうと確かに微妙な味の違いが感じられました。
「農産物も面白いわね。私魔導師じゃなかったら農家になってたかも」
「あなた果物好きだもんね。魔法薬作るの得意だから農業にも適性があると思うわ。引退したら農家になっても善いかもね。でもあなたは聖女様なんですから教会や病院とかがほっとかないと思うけど」
私は様々な作物を育てながら魔法薬を作ったり人々を治癒魔法で癒すことを想像しました。
「どこかの孤児院とかで働くのもいいかも」
「あなたは能力は派手なのに性格は地味だもんね。読書大好きだし」
そうよね。合ってるかも。
「あなたが本当にその気になったら私が孤児院を建てるわ。私も働きたいし」
驚きました。
「ソフィが孤児院?似合わないわ」
いつも明るいソフィは少し悲しい顔をしました。
「そうよね。私派手だもんね。でも本当は勉強しながら人々を助ける仕事がしたいの」
「ごめんね。見かけで判断しちゃダメよね。・・・そうだ。あなた卒業したら賢者よね?やはり商会の為に働くの?」
少し考えてから彼女は顔を上げました。
「子供の頃は何の迷いも無かったけど。今は分からないわ。本当は今の研究生の立場が好きなの。勉強は楽しいもんね」
確かにソフィは勉強家ですね。学院に編入したばかりの頃。私を助けてくれたのがマリアとソフィであった事を思い出しました。マリアは精神的に支えてくれましたしソフィは良く勉強を教えてくれました。
大財閥のお嬢様も悩みはあるんですね。
貴族のマリアも大変そうですし。私やロザリンドやサアヤのような自由な立場が本当は幸せなのかもしれません。
そう言えば新しい研究生のジュヌヴィエーヴはどうなのでしょう?
「ジュヌヴィエーヴってどんな子かなぁ?」
ソフィは少し笑って。
「どうしたの?急に。あの子はある意味普通の賢者の卵かも知れないわね。少なくとも今はそう見える。でもまだ謎の部分が多いわ」
ですよね。旅行の準備があったし。まだどんな子なのか分からないよね。
「今頃ロザリンドが鍛えてるでしょう。帰ったらいろいろ分かるわよ」
ロザリンドに捕まったら大変ね。
「ところで明日は北の港町ムツに跳ぶわよ」
ムツは漁業と貿易の街ですね。主にサアヤの故郷のムイ共和国との貿易で栄えているとか。
漁業は貝類やカニなどが豊富なようです。
※※※※
私たちはホテルの朝食を断って長距離転移しました。
清潔な北の港町ムツは海産物の宝庫でした。
私の大好きな貝類や白身のお魚。エビやカニなどが新鮮で大量に漁獲されていました。
また農業と牧畜の盛んなムイ共和国との貿易により美味しくて安全な乳製品やお肉も大量に流通していました。
私はソフィの案内で美味しい食事をたっぷりと楽しみました。
そして連れて行かれたのが漁港とも貿易港とも違う少し静かな地域でした。
「ここは何があるの?」
「・・・あれよ。東よりの方向に何か黒い船の影が見えない?」
確かにソフィが指差す方向には黒々とした船らしいものが見えました。
しかし見ているとそれは海に沈んでしまいます。
「潜水艦?」
ソフィの美しい瞳はキラキラと輝きました。
「ご名答。サリナスの海軍は潜水艦だけでできているの。その北側の護りの要がムツの軍港よ。それは地下にあるの。
私たちの足の下にも軍港は広がっているはずだわ。ここと南の島嶼部のオオシマにある軍港でサリナスの海の護りは為されているわ」
サリナスは島国なので陸軍は少なく海軍と空軍が防衛の主要な部隊と聞いていました。
その海軍が潜水艦のみで構成されていたなんて全く知りませんでした。
私と縁のあるフェニス連邦は最強海軍の国として名高いですが潜水艦は少ないと思います。
しかしサリナスはほとんど潜水艦と空軍だけで世界の軍事バランスに大きな影響を与えているわけですから素晴らしいですね。
これは魔導師や夢の宮の神獣たちで自衛しているイシュモニアよりずっと難しいと思います。
「漁港はイシュモニアにもあるけど軍港はチハヤには珍しいかもね」
「そうね。フェニスでもヘルヴィティアでも軍港は良く見なかったわ。それに私が見ても分からなかったかも。軍船と商船の区別も分からないし」
商船と漁船の区別だって近くに行かないと難しいと思います。
「私だって知識があるだけで実際は何も分かってないと思うわ。私はあなたみたいに一人で軍事レヴェルの力があるわけじゃないし」
謙虚なソフィ。でもソフィの全力なら本当は一つの都市を守れるでしょう。
「さて。美しい海を堪能したら今度は西の工業都市に行きましょう」
どんなところかな?ワクワクしますね。
※※※※※
長距離転移で着いたのは西の大都市ミノ。
ソフィの愛車を作っているテツインダストリーもサリナス有数の大財閥であるアズマ財団も本拠地はこの都市にあるようです。
そして通常は見学できませんが最強のサリナス空軍の中核である小型戦闘機シルフィを造っている工場もここにあるそうです。
何とその硬いヴェールに隠された戦闘機製造工場を今回に限って見学できるというのです。
ソフィの商会の巨大な影響力とソフィの交渉力の凄さが分かりますね。
かなり厳しいセキュリティチェックを経てソフィと私はテツインダストリーの秘密工場に入ることができました。
まず今回の見学の条件だったことの一つが私に関する高度な鑑定や計測でした。
もちろん全て非接触で私はソフィと並んで通路を歩いただけでした。
サリナスはさすがと言えるのでしょうけれど迷宮氾濫の制圧などいくつかの機会にレナ-ティアーの戦闘力などをかなり細かく測定していたそうです。
なので私のネイキッドの能力を是非とも調べたいと機会を伺っていたところに今回の私とソフィの調査旅行があったわけです。
私はハイディングのマントを隠していましたし同時に計測されたソフィもゴーレムや守護獣を隠していました。
まぁサリナスもその辺は織り込み済みのようでしたが。
もちろんヴァルキュリアなども隠していますのでテツインダストリーが把握できるのは私たちの能力の一部に過ぎません。
しかし弱いはずの私たちが迷宮の氾濫を制圧したわけですから逆にそのギャップを測ることはできるのでしょう。
ともあれお互いの合意が成立して秘密の工場を見学できたのはソフィのお手柄でした。
サリナスを軍事的に重きを為さしめている最大の要素は優れた空軍です。
その中核的存在の小型戦闘機シルフィは確かに優れたものでした。
小柄な外観に似合わない高出力の魔導ハイブリッドエンジンは確かにヘルヴィティアには存在しないものであり彼らの軍隊がどうしても攻略できないのも無理ないと思われるものでした。
これと同等な戦闘機がヴァイエラにもあるわけですから現実にサリナスとヴァイエラの連合軍に対抗するのは通常の軍隊では極めて難しいのが分かります。
イシュモニアなら魔導師と神獣が大挙して出陣すれば短期決戦なら制圧できると思われますが機械的なパワーは疲れをしりませんから長期的には厳しいでしょう。
サリナスとヴァイエラとイシュモニアがいつも合同で動くのは理由があってのことだと分かります。
三国ともに無駄な争いを避けて軍事力を温存しているのも素晴らしいですね。
ところでちょっと脱線しますがソフィにレクチャーされたことをここにまとめておきましょう。
まずサリナスで非常に素晴らしいのが税法です。
税法は極めてシンプルです。
特別なお金持ちと企業に課される財産税。
国民の全てが納める国民税。
二つしかありません。
その代わり外国人には何の特別な配慮もありませんから個別にサリナス国内の保険などに加入します。
国民は国民税を払っていれば教育医療などには優遇制度があり公立の学校や病院は非常に安価です。
老後や不自由な方々への年金も充分なものが支給されます。
とは言っても社会で活躍している人々も非常に多いですが。
またサリナス国民が赤ちゃんを産めば母子の生活は保障されます。
これはサリナス人女性だけの特権と言えますが男性が異議を唱えた事例はありません。
軍隊は志願制ですが2年の訓練期間を経て本採用されるのは優秀ないわばエリートです。待遇は特に良いです。
本採用されなかった人も2年の訓練を無事に卒業すれば闇ギルドやカルトでは無いなどの条件はありますが公務員になる資格を与えられます。
国家はアダマンタイトやオリハルコンやヒヒイロカネなどの貴重金属の鉱山を独占していてその収益だけで貴族や公務員の給与あるいは国民への保障などを賄っています。
貨幣は基本的にヴァイエラに委託して鋳造しています。
ヴァイエラは金銀銅やプラチナなどの貨幣に好適な金属が豊富だからです。
つまりサリナスの貨幣とヴァイエラの貨幣はデザインが異なるだけで同じ価値です。他の種類の貨幣に対しての相場は変動相場制です。
ピナ 1銅貨 茶碗1杯の米の値くらい
ミーナ 1小銀貨 100ピナ
ルフィア 1銀貨 10ミーナ
ルピーア 1金貨 100ルフィア
ティルス 1プラチナ貨 10ルピーア
大体実質の貴金属の価値の10倍くらいの価値が設定されています。
他に手形や小切手や国家債券などの有価証券も盛んに取引に利用されます。紙幣があると言うことですね。
サリナスとヴァイエラの通貨は多くの国で通用しますし世界の通貨の基準にもなっています。フェニスはほぼ完全にサリナスヴァイエラの通貨体系の中にあります。
グプタ帝国などはもっと金本位制に近い通貨体系をしていますので入国の際に両替しなければなりません。
ちなみにフェダイーンやトルキスタンは砂金が通貨の代わりに用いられます。つまり金本位制ということです。
ついでに言えばアーネンエルベは紙幣が中心の通貨体系です。
本来のサリナスは無税でもやっていけます。
しかし税を徴収するのは権力が特定個人や利益集団に集中してはならないのと同じで経済的なパワーも集中してはならないからです。
つまりサリナスでは特別な個人の大富豪は存在できません。
一人で国家の行方を左右するような経済的パワーの持ち主はサリナスには不要ということです。
もちろんソフィのファベルジェ商会に匹敵するテツインダストリーのような超巨大企業は存在できます。
企業は特定個人に経済的なパワーを付与する存在では無いからです。
財産税が結構高いので殆どの民間のお金持ちはホテル住まいです。
その方が楽で便利だからです。
豪邸に住んでいるのは皇族と貴族とほんの一部の特別な(特に田舎の)お金持ちだけです。
国民の殆どは個人の住宅を購入できますがその殆どは田舎暮らしです。
最もサリナスは小さな島国なので田舎と言っても都会へのアクセスは良いのですが。
以上のようにサリナスでは国民でさえあれば安楽な生活が約束されます。
それはエルフでもノームでもドワーフでも獣人でも同じです。
基本的には非常に働き者で真面目な国民性ですが。それが文明のカタチとも言えます。
ボケないためや老いぼれないために働く人は多いです。
一方では趣味に生きる人も多く著名な数学者が世捨て人のような人だったりします。
芸術家もそうですね。
音楽家は幼い頃から特別な教育を受けたエリートが多いですが作家や画家は誰がそうなのか分からない場合が多いです。
それでも全体にはサリナスらしい文明のカタチを有しています。
つまり女性や子供が夜に一人で買い物に行ける。
落とした財布がそのまま戻って来る。
大災害が起こっても略奪などは起きない。
それがサリナスの特徴です。
抜け目が無い人より真面目にコツコツが賞賛されるのがサリナスです。
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