第49話 魔の森の主  ソフィとの旅



始めて会った時は小さくてか弱い子でした。

でも様々な魔法薬を小さな手で作り出す姿は既に偉大な魔導学者のようでした。

リュティア教授の庇護下にある賢い小さな友人。チハヤ。

光のスプライト。ララノアをカチューシャに載せた姿はまさに異界の美少女ですね。

レナーティアーを纏えばカチューシャはティアラに代わります。

輝く魔導の鎧をハイディングのマントに隠しているのはその賢さを隠しているのと同じですね。

私はこの可愛い聖女さまと同じ時代を生きる幸運を心の中で密かに祝いました。



※※※※



サリナスの美しい都。アスカに到着するとソフィはストレージからコンパクトな三輪の魔導車を出して登録しました。

「これはサリナス製なのよ。ここでは目立たないわ」

サリナスのテツインダストリー製というT1というクルマはソフィの運転で街を自在に移動しました。

「前の2輪がこのクルマの姿勢を安定させるから安全なのよ」

ソフィはこのクルマの運転自体を楽しんでいるようでした。

「街を楽しむには転移や飛翔だけでなく道路を走るのが一番よ」

確かにクルマで移動すると街の空気感とでもいうモノを良く感じる気がしました。

今回は友好国なのでかなり自由に動けます。

ソフィは既にいくつかのホテルに予約を入れているようでした。

アスカではヘルヴィティアの時と同様に図書館に行きました。しかし今回は堂々と首都の大図書館に訪れました。

「サリナスの政治の最も大きな特徴は政党が無いことよ。サリナスが政党を無くした理由をその歴史から学ぶと良いわ。

そして他国にはあまり無い憲法裁判所や百人委員会や枢密院についても学んでね」

議会があるのに政党が無い。そして憲法裁判所と百人委員会と枢密院。

「そして司法制度と実際の運用も特異な事が多いので調べた方が良いでしょう」

と言われました。

学ぶことが多いですね。



議会政治があるのに政党が無い理由はすぐに分かりました。

かなり昔の記録のようですがサリナスでは政党というモノが利権の温床となることを学んで全ての政党を永遠に禁止することを決めたようです。

またほぼ同時期に官僚というものが自然に派閥を作りやはり利権の温床となることを学んで皇室の人々を中心に貴族が官僚の監督をするシステムを構築したのです。

この二つの改革により貴族や皇室の役割が重くなったために皇室や貴族を輔弼する枢密院の権能が強化されました。

枢密院は皇室会議が民間より選んだ人々によって構成され当然貴族を含みます。

枢密院の目的は皇室と国民の安寧です。

有能な人のみが選ばれる実力第一の集団であり組織です。

およそサリナスの人々が派閥を嫌い個人主義的であるのはこのような歴史的経過が重く関係しているようです。

議会も二院制であり貴族と皇族から選ばれる貴族院と国民から選ばれる衆議院から成立しています。

それぞれは国民による選挙で選ばれます。いわゆる全国区のみですね。もっとも貴族院は定数ちょうどしか立候補されませんから言わば信任投票ですね。

また行政府を統括する宰相も公選制です。

これらの選挙について国民の関心は極めて高くまた1回の投票ごとに褒賞があるため投票率は90%台で推移しています。

この投票率が高いことがいわゆる民主主義を健全に保つ重要な条件の一つだと言います。

それらを補完するのが憲法裁判所と百人委員会です。

憲法裁判所は宰相と最高裁判所長官と貴族院議長と衆議院議長と枢密院議長によって構成される憲法問題のみに判断を下す特別な裁判所です。

憲法は文明の姿によって制定されるために簡単には変えてはならないとサリナスでは規定されています。

その為保守的な判断つまりサリナスの文明にフィットした判断を下せるメンバーのみによって憲法裁判所は構成されています。

百人委員会は軍事と外交と経済に関してのみ判断します。

サリナスの軍事力をどの方向に進めるか。強化するのか現状を維持するのか?

サリナスの外交をどの方向に進めるか。どの国や集団と仲良くするのか?

サリナスの経済をどの方向に進めるか。何を強化するのか?

全て国家の利益と国民の利益のみを基準に判断されます。

しかし判断して勧告するだけです。

百人委員会は両院の議員を何期か務めた人の中から皇室により任命されます。なので権威はありますが権限はありません。しかし百人委員会の勧告は概ね国民に支持されます。

国民の利益を重視していますから当然です。

故にそれに反する議員たちは次の選挙での当選は危ういのです。

こうやってサリナスの政治はバランスを取り腐敗しないように形成されているのです。

そして他の法治国家と較べて非常に特徴的なのがサリナスの司法制度です。

多くの法治国家で司法裁判は法というシステムに照らしてどちらが正当か?という判断をしますがサリナスでは徹底的な真実の追及が為されます。

交通事故裁判なら誰がどのように事故を起こしたのか?が徹底的に調べられるわけです。

なので事件があって不起訴とか起訴猶予とかは在り得ません。

自衛の為の殺人なども必ず裁判は行われて無罪が正式に確定します。

司法当局が外国語に対応できないから不起訴などもあり得ません。

必ず裁判は行われます。

逆に司法当局が対応に苦慮するほどの外国人はそもそもサリナスには入国できません。

基本はサリナスとヴァイエラとイシュモニアを中心とした文明圏で話されている共通語を理解できないと入国自体が難しいです。

サリナスで事件を起こして司法官の言葉が分からない場合はそれだけで強制退去の根拠になります。

無実の証明は被告や被疑者の権利であり義務ですから外国人は情状酌量の根拠にはなりません。

むしろ国外で犯罪を犯すのは悪質というのがサリナスの司法ですから基本的には厳罰に処されます。

もちろん本当に無実無罪ならちゃんと補償されますから問題はありません。

徹底的に科学的ないし魔法科学的にも事実が調査されますから本当に無罪なら安心して良いと思います。

多くの法治国家で裁判が法的なテクニックのやり取りになっていることを考えるとサリナスの司法制度は特別ですね。

まぁイシュモニアでも魔法科学的に事実は必ず明らかにされますしヴァイエラでも真相究明が第一とされていますから似てはいますが。

フェニスの司法も真相究明を第一にするそうですね。

でも事実に関する厳格さはサリナスの司法の大きな特徴でしょう。

総合して非常に興味深い政治体制ですね。

これらの殆どがオープンになっているのも凄い国だなぁと思います。

けれど皇室に関しては結構オープンなグプタ帝国と違ってサリナスは神秘のヴェールで隠されています。

リュティアの人脈を使えば詳しく知ることができると思いますが今回は無理なら諦めましょう。



※※※※



がっちり勉強して疲れたので良いホテルをとりました。

チハヤは真面目に私の助言の通りに調査を進めたようです。

それはサリナスについての基本的な事実ですからどうしても学ばなくてはなりません。

サリナスの深さを知るには必要な予備知識なのです。

一方で私はチハヤの調査を助けるために必要な勉強を進めました。

国家の祭祀を司り国民の安寧を祈る聖皇陛下には一人の皇后と3人の皇妃がいます。

その皇子は合わせて3人。皇女は現在合わせて5人。

その他に17の宮家に皇子が13人と皇女が18人います。

サリナスの皇室が安定的に反映している所以ですね。

リュティア教授はその中のキサラギ皇妃殿下の皇女であるタチバナ姫の親友でしたね。

タチバナ姫は魔法の素養があるようですから教授と相性が良かったのでしょう。

またキサラギ皇妃の生家である祝月宮家はリュティア教授の住まいを守っているそうです。

聖皇は男子のみの承継です。ですから皇子はかなり人生を制約されますが皇女はかなり自由な選択が可能です。

皇子は宮家を継ぐ宮家を立てるなどの選択肢しかありません。きわめて稀に認められて臣下に下り公爵家を立てることが許されます。

しかし皇女は宮家の若者と結婚するも善し。民間の若者と結婚すれば即子爵家として認められます。

また子爵家の若者と結婚すれば階級が上がって伯爵家となります。

独身時代も行政府に入って官僚を管理監督する仕事もありますし外交府に入って外交官として活躍する道もあります。

また大宮と呼ばれる至高聖所の護りの宮として宗教的権威を有する道もあります。

学者や研究者あるいは芸術家として生きる道もあります。

過去には魔導に長けた皇女が軍事府に入って活躍した例もあります。

まぁ皇子も行政府や外交府で活躍する例もありますし学者や研究者または芸術家の道もあります。

皇子の場合は稀にですが魔導師として大成した方もおられるようです。

しかし全体的には皇女殿下の選択肢の広さと比較すると自由の無い人生と言わざるを得ません。

それでも頑なに男系継承を守ってきたのがサリナスという国の文明なのです。

この守りの堅さを超えてサリナスの文明の深奥に触れるのは私たちの商会の力では不可能でした。

でも今回はチハヤという少女の熱意を信じようと思います。

また私たちのような所謂財閥にとっての大問題に税制があります。

皇帝家が大金持ちで国家自体も極めて富裕なグプタ帝国では金持ち以外は無税で有名です。

サリナスはそこまではいきませんが税率は低い方ですね。

そもそも皇室や貴族が国政を監視しているのは国家財政に於ける国民負担を増やさない事も目的の一つです。

普通の暮らしの人々は暮らし易い国と言って良いでしょうね。

いわゆる先進国の中で税率が高いのは軍事国家のヘルヴィティアと官僚国家のアーネンエルベですがサリナスは普通の勤め人の場合ならそれらの諸国の3分の一以下の税金で暮らせます。

もちろん国民に限りますが。

国民以外は長期で居住すると居住税がかかります。

永住権という制度はありませんから異文明には厳しい国と言って良いかも知れません。

国民にはかなり福祉も手厚いので人口も微増していますし海外から移民を募る必要が無いのでしょう。

また宮家の所有する土地に住んでいれば居住税は免除されます。

おそらくリュティア教授はこの規定があるためにサリナスに住んでいたのでしょう。

自由人の彼女が高額な税金を払うなんて想像もできません。

特別な才能のある人々はこの特別な規定によってサリナスを居住地に選ぶ場合があります。

これもサリナスの面白い特徴ですね。




※※※※※※



「ガブリエル様。先代様です」

従者のドロシーが壮年の男を案内して来た。

「黒騎士殿。久しぶりだな」

緑の衣に緑の帽子。旅人ギルドの装束の男は気安く声をかけた。

「先代殿。お元気そうですね」

立って出迎えた黒騎士は男をソファへいざなった。

「ご活躍だそうな。谷の迷宮の鎮圧は大層な評判だったな」

男の問いかけに笑顔の黒騎士はおっとりと言葉を返した。

「とんでもありません。魔導師ギルドのお嬢さんたちにキッチリ仕切られましたよ。

私の評判が誇張されているのは彼女たちを守ろうとする人たちの情報操作です」

ドロシー自慢のブレンドコーヒーを一口すすって男は笑顔になった。

「相変わらず素晴らしい香りだ。ドロシーありがとう」

古風なメイド姿の美しい従者は優雅に一礼した。

目礼を返して男は黒騎士に向き直った。

「なるほど。こちらの情報は一部正しかったようだ」

黒騎士は笑顔のまま質問で応えた。

「ところで今回は何の御用だったのでしょうか?」

迷宮氾濫の制圧については主なギルドの上層部はかなり正確な情報を得ていた。

それだけの為に先代がわざわざ黒騎士を訪ねたとは考え難い。

男は笑顔を消して声を抑えた。

「実は魔導師ギルドのお嬢さんたちをマークしている輩がいるようだ」

「なるほど。想定はされた事態ですね。ところで今日はゆっくりされるのでしょう?」

男は帽子をとって脇の小テーブルに載せた。

「そうだな。久しぶりにお互いの情報を交換しておこうか」



※※※※※※

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る