第10話 魔の森の主  イシュモニアへ


目覚めた私はまだリュティアを抱きしめていました。

気を失ったままのリュティアは未だにやつれていました。

清浄魔法を使ってリュティアの身体を清めた私は魔法薬を数本飲んで全回復しました。

基本的にはリュティアは衰弱しているだけのように思われました。

私はまたリュティアの細い身体を抱きしめました。リュティアはいつものお花の香りが薄れて異世界の埃のような匂いがしました。私は何も気にしませんでしたけれど。

そして思いっきりの聖魔法を発動しました。

後でクトネシリカに聞いたのですが一度目よりも二度目の方が強力だったそうです。

魔法を発動している間に一瞬だけリュティアが男の子に見えました。

たぶん幻惑魔法だったのでは無いでしょうか?その時はそう思いました。

そしてまた私は気を失ってしまいました。



『マスター』

呼ぶ声がしました。心話です。私はどうやら自室のベッドに寝ているようでした。

『クトネシリカ』

『マスター。サイドテーブルに魔法薬があります。飲んで下さい』

見るとアムリタとソーマがありました。

自分で作った魔法薬です。飲めば回復することが分かっていましたからしっかり飲みました。

魔法光でぼんやり光る私の身体。見る見る回復していくのが分かりました。

そこにリュティアが入ってきました。

「チハヤ」

「リュティア」

リュティアはベッドの私を柔らかく抱きしめました。いつもの花のような香りで私はリュティアが元気になったのを感じました。

「ありがとうチハヤ」

「あうあう・・・」

リュティアは私の背中をポンポンとやさしく叩きました。

「何も言わなくて良いわ。ここに戻れて良かった。あなたがいたもの」

私は胸がいっぱいになって自然に涙があふれていました。しなやかなリュティアに縋り付いて泣いていました。

「もう2年も経ってしまったのね。ローズやジプシーとお話しできて良かったわ」

私はリュティアが何を言っているのか分かりませんでした。

「私の意識としては5日くらいの体感時間の経過だったの」

私は驚いて泣き止んでいました。

「それでもね。あんなに消耗しちゃった」

リュティアは少し寂しそうに微笑んでいました。

「ごめんなさいね。あの時は他に方法が無かったの。シェイプシフターがこちらに溢れたらあなたを守れなかったの。ごめんなさいね。苦労したのでしょうね」

私は首を横に振っていました。リュティアはまた少し笑って私の額にキスしてから詳しく話してくれました。


※※※※※


あの暗い聖堂のような空間で巨大なパワーが働いていました。

異界の魔物がシェイプシフターが空間の亀裂をこじ開けてこちらに溢れようとしていました。

もうリュティアの魔導力でもその亀裂を閉じるので精一杯でした。

それもあちらの世界に行かなくては完全に閉じることができません。

どのみちリュティアは亀裂を放置するわけには行かなかったのです。

リュティアはあちらの世界に跳んで亀裂を完全に塞ぎました。

けれどおぞましいシェイプシフターに囲まれてしまいました。

リュティアは難しい跳躍を何度も行って危機を逃れたそうです。シェイプシフターの空間ではリュティアの魔導の効力が不完全だったそうです。

シェイプシフターの中にはこちらの世界の神々に等しい存在もあって大変だったそうです。

そして最後の難関はこちらの世界への転移でした。

無理やりに転移すればこちらの世界への亀裂が生じてしまいます。

方法は一つしかありませんでした。

一度シェイプシフターの世界から別の異世界に転移する。次にこちらの世界に再転移する。

言葉でいうと簡単ですが渡る人と言われたリュティアでも困難なことでした。

リュティアは実はいわゆる攻撃魔法を使いません。私も習ったことがありません。

本人は「知らないから」と言いますが。

確かにリュティアのような空間魔法や重力魔法の使い手ならいわゆる攻撃魔法は必要ありません。

目や喉に唐辛子を詰め込まれたらほとんどの生き物が戦闘不能です。

可動部に金剛砂を詰め込まれたらほとんどの機械は壊れてしまいます。

エネルギー発生装置も魔導力とのハイブリッドシステムも塩を詰め込まれたら壊れてしまいます。

また自分の体重が1000倍になれば動けるモノはありません。

だからリュティアは攻撃魔法に頼る必要が無かったのです。

けれど異世界から逃げるのは極めて困難です。

この場合シェイプシフターの世界から未知の世界に転移する必要があったからです。

知っている空間へ転移すればそこを起点にシェイプシフターが侵入して来る可能性があります。

異世界の魔物であるシェイプシフターの侵略を助けるわけにはいきません。

どうしても一度は生命を失った未知の世界に転移する必要があったのです。

闇雲にでは無く死の世界を経由するのが大変だったのでしょう。

その結果ローブや履物を失ったのだそうです。


※※※※※


「時間の流れも違うんですね」

私はリュティアに問いました。

「そうね。私もこれほどとは思わなかったわ。もう少し迷っていたら何十年も経ってしまったかも」

リュティアは恐いことを言いました。

「ひどい」

「そうね。でもこれが渡るということ。未知の世界への転移は危険なの」

「私を助けてくれた時は?」

私はあの時を思い出していました。

「約束だったの」

「え?」

リュティアはにっこり笑いました。

「あなたの伯母さまとの約束よ。あなたの世界には何度も遊びに行ってるの」

「つまり既知の世界だったのですね」

「そうよ。伯母さまは立派な方でした。本当はお連れしたかった」

私はまたリュティアに抱きしめられました。

伯母さまが“秘密のお友達”と言っていた人はリュティアだったのかも知れません。

「それより努力したのね?」

グリーンジプシーやラストローズに聞いたんですね。

「魔法の進歩が素晴らしいわね。魔法薬もずいぶん作れるのね」

リュティアの優しい手がしがみついた私の背中をさすってくれました。

私は伯母の温かい手を思い出していました。

懐かしい気持ちの中で私は微睡んでしまいました。穏やかなリュティアの声には催眠効果があると思いました。

「起こしてごめんなさいね」

私は少し頭を振りました。

「いいんです。少しお腹も空いてきました」

リュティアはクスッと笑うと朗らかに言いました。

「あんなに凄い聖魔法使っちゃったもんね。まかせて。腕によりをかけるわ」

「期待してます」

リュティアは少し真面目な顔でつぶやきました。

「いずれあなたは何かの称号を得るのかも・・・」

そしてちょっと手を振ると気軽な足取りで出ていきました。

私は久しぶりのリュティアの手料理にワクワクしていました。

幸せな気持ちのままお布団に潜り込んでまた眠ってしまいました。


※※※


「ご飯ですよ」

リュティアの優しい声。もうすっかりお腹が空いていました。

「でもお肌はプルプルね。若いからかなぁ?」

リュティアはニコニコで私を抱き起してくれました。

「ここで食べる?それとも食堂?」

私は日当たりの良い食堂を選びました。



食卓はかなり豪華でした。彩りよい果物の山。具沢山の野菜のスープ。見事な海鮮料理。ボリュームたっぷりのお肉料理。

あらたまった表情のリュティアがいました。

「ごめんなさいね。心配させて。苦労させてしまったわ」

私は何も言えませんでした。ただ精一杯の想いで涙をこらえていました。

リュティアは明るく笑いました。

「楽しんで食べましょう。今日は特別よ。私久しぶりだもん」

「え?ごはん久しぶりですか?」

美味しいスープを一匙飲んでリュティアは応えました。

「感覚的には2日くらい食べてないもん。こっちの時間ではたぶん1年くらいの計算でしょ?通りでいくら魔法薬を飲んでも魔力もマナも枯渇するわよね。あっ今は大丈夫よ。チハヤちゃんの魔法薬飲んだから。でもおなかは別よね」

ですよね。私だって食べて自然回復が一番ですから。

「チハヤちゃんのお肌がプルプルなのは若さだけじゃ無いよね?魔力循環のおかげでしょ?」

寝ている時間に魔法力を体内に循環するとテロメアも復活するしお肌も内蔵も元気になってしまうんです。生命の魔法を覚えると完全にできるようになります。

攻撃魔法主体の人には苦手な人もいるそうですね。

だから白魔導師は黒魔導師より長命な場合が多いんですね。

これが魔導師の寿命を延ばす秘密なんです。

毎晩自分に回復魔法かけてるようなモノですね。もっとも白魔導師でも稀に自分を回復するのが苦手な人もいるそうですけど。

「睡眠時の魔力循環もできるようになったら魔導師として殆ど一人前ね」

「そんなことありません。まだまだですよ」

でもリュティアはニコニコしながら言いました。

「これなら学校に行けそうね」

なんかメンドクサイ。リュティアと一緒に居られるのかな?

「引っ越しが面倒ならここから通えば良いわ」

心を読んだようなリュティアの言葉。

「通えるんですか?」

「転移すれば簡単よ」

確かに。私の魔力が足りれば?魔法薬を使えば?

「転移魔法陣を使えば」

「私に使えます?」

「そうね。魔道具を使えば。でもクトネシリカは反対かも」

『クトネシリカ?』

『私はお薦めしません。マスターがご自分の魔導力で転移できるようになるのが一番ですから』

「一理あるわね。んじゃできるようになるまで寮に入るとか?学生寮完備の学校もあるし」

学生寮?なんかヤダ。

「そもそもどこの学校ですか?」

「やっぱり魔法ならイシュモニアよね。寮もあるし。ご飯も食べられるし」

『イシュモニアの高等魔導学院は学生寮もありますし魔導師として大成するなら環境は最高ですね。エディスもアイリスもいますよ』

「とりあえずイフィゲーニアに連絡とってみたいわね」

リュティアが呟いたので私はリヒタルで出会った3人の魔導師を思い出していました。

背が高くエレガントなエルフのイフィゲーニア。愛らしいノームのアイリス。人間ながら非常識な魔力とマナを保持しているエディス。

彼女たちと会えるのは楽しいと思いました。

上機嫌なリュティアは遠い昔の美しい歌曲を何曲も歌ってくれました。伴奏はクレセントムーン。器用なWLIDです。

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