第2話 魔の森の主    始まり

とても優しい朝でした。暖かくてふかふかに柔らかくてほんのり爽やかな花の香りがしました。用意された寝床はそれは素晴らしいものでした。

「お目覚めですね?」

朝の眩しい光の中で緩やかな白い衣を着たリュティアは紫の髪の天女のようでした。

「ごはんにしましょう」

うなずく私をリュティアは別の部屋に導きました。彼女の家はほとんど全て木材でできています。見慣れてしまった今でも清潔なその家はとても居心地の良いものです。

木の香りの廊下を通ってリュティアは私を食堂に案内してくれました。今になるとはっきりと分かるのですが厨房に隣接したそこは暖かくていつも美味しいパンやお菓子の匂いがします。

「あなたの故郷の食べ物に近いと思います」

木の椀にはおかゆのようなものがありました。とても良い匂いがしたのを今でも覚えています。

リュティアは木の匙でとろりとした食べ物を掬い私に食べさせてくれました。

柔らかく炊けた雑穀の豊かな風味。細かく刻まれた野菜の旨み。軽い塩味と淡い甘味。

「とても美味しいです」

答えた私に微笑んだリュティアは匙を私に握らせました。

「自分で食べれます?ゆっくりで良いからがんばってね」

てっきり故郷でのように食べさせてもらえると思った私はちょっと残念に思いましたが食べ物を欲する子供の身体がそれに優りました。

「お肉もお魚も食べましょうね」

そう言って厨房に入ったリュティアは驚くほど新鮮な果物と一緒に当時の私には不思議な料理を載せたお盆を持って来ました。彼女は異国の歌を歌いながらとても上機嫌に見えました。

料理は木製の小鉢で供されました。そしてお箸。リュティアは私よりも上手に箸を使いました。

果物のなかにはコケモモやサルナシもありました。よく冷えて美味しかったのを覚えています。後で知りましたがこの世界ではなかなか珍しいものだそうです。

おそらくリュティアが私の食べなれたものを用意してくれたんでしょう。


リュティアの家は木造の居住部分から出るとそこは鍾乳洞です。

つまり大きな鍾乳洞の中に木の家が建っているわけです。鍾乳洞の入り口の近くには小鳥の巣がありました。グリーンジプシーとその家族の家のようです。雛の囀りがします。

仄かなヒカリゴケに照らされた鍾乳洞の景色は私を夢中にさせましたがリュティアは一定の範囲に不可視の“結界”を張っており私の好奇心は完全には満たされませんでした。

鍾乳洞の中には住居と隣接して浴室の小さな区画がありました。不浄を流す小部屋もその区画にありました。リュティアは暇があると入浴する人でしたから私もお風呂好きになってしまいました。その浴室のお湯は私の故郷のそれと同じような温泉でした。

リュティアの鍾乳洞はこの世界では有力な国であるサリナスという皇国の山岳地帯にあります。

彼女はかなり広い範囲を占有しています。これは鍾乳洞が広いのでその全てを占有するためなのでしょう。確かに誰だって自分の家(?)の一部が他人に占有されるのは好みませんよね。

とは言えリュティアがいつも広大な空間を必要とするわけでは無いと思います。むしろ狭いところに潜り込んで読書するのが大好きなようです。

また広い占有面積があると言っても実はサリナスの非常に高い地位の方の代々の支配地に含まれているそうです。もっともその人たちはリュティアのテリトリーを特別に尊重しているそうですけれど。

好きと言えば彼女は料理も好きですし料理に使う野菜や果物を育てるのも好きだと思います。鍾乳洞の外の所有地には透明な構造物でできたドーム型の建物があってその中では様々な植物が育っています。

野菜や果物が多いのですが薬草や特別な樹木も育てています。それらはラストローズの眷属が育て護っているのです。



数日が経ち私がすっかり元気になったある日の夕食後にリュティアは言いました。

「そろそろあなたの人生のことを考えましょう」

私はゆっくりと頷きました。

「もう目にはなれましたか?」

不思議なことですが目が見える事に私はとても短い期間で慣れることができました。

それはリュティアの言っていた超感覚とか超実在認知能力とか言うものと関係があるのかも知れません。

私が頷くとリュティアは続けました。

「まずあなたはあなたを常に助けてくれる味方を得なければなりません。私もですが人は極めて不完全な生物です。なのでその人生をサポートしてくれる味方が必要なのです」

何でもできるように見える聡明なリュティアが不完全なのだとしたら私はまさに孤独な赤子のような存在でしょう。それも広大な森に取り残された赤子です。

「私たちこの世界の人間の中の一定の人々は人生を助けてくれる存在を持っています。例えば私のクレセントムーン」

リュティアはすべらかな胸元から三日月の形のペンダントを取り出しました。もっともその時は私は三日月の姿を知りませんでしたけれど。

「クレセントムーンは私と莫大な知識のイレモノであるグランドマザーを繋げてくれます。そして様々な方法で私を助けてくれます。あなたにも同じような味方が必要だと思います」

確かにリュティアのような人にさえ必要とされる存在であるなら私のような子供には是非とも必要であるに違いありません。

うなずく私にリュティアは続けました。

「よかった。分かってもらえたのね。・・・これがあなたの終生の味方になる“クトネシリカ”よ」

リュティアはテーブルの上に一つのペンダントを置きました。

「さわって良いですか?」

尋ねた私にリュティアは微笑んで頷きました。

そら豆ほどの大きさで手に取るとそれは少し暖かいのが分かりました。磨かれた石のように滑らかでヘッドの形は私に馴染みのあるものでした。小豆より小粒のビーズの部分はクリーム色。ヘッドはほぼ透明なブルーでした。

「気に入った?」

「はい。この形は?」

「あなたの故郷のものの姿を借りたの。勾玉ね。美しいわ」

「私もそう思います。とてもとても気に入りました」

「よかった。その子は私の特製だから。頼りになるわよ。ではいつも首にかけておいてね」

彼女にかけてもらったペンダントの“クトネシリカ”は心地よい存在感をもっていました。

「使い方は段々に分かるわ。その進捗次第で学校に行きましょうね」

「学校?」

リュティアは穏やかに微笑みました。

「それもクトネシリカが教えてくれるわ。心の中で話しかけてごらんなさい」

『クトネシリカ』

『はいマスターよろしくお願いします』

それが私とクトネシリカの出会いでした。それは同時に私の小さな冒険の始まりでした。

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