34
碧がカップを両手に包むように持って、窓際のカウンター席からぼんやりと通りを眺めている。
貢士は思い出す。
昔、ああして同じように人待ち顔でカフェにいるはるかを見かけたことがあった。
男を待っているのだ、と思った。そして、雑踏の中で黙って道を変えた。
再構築委員会が用意したホテルの一階には、あの新宿の時と同じチェーン店がテナントとして入っていた。
自動ドアの前で貢士は立ち止まった。目を閉じて深く呼吸をしてから店内に足を踏み入れる。自分のコーヒーを買って碧のところへ行くと、彼女のカップに入っていたのはコーヒーではなくスープだった。
「なんだ、腹減ってんのか?」
貢士は声をかけながら、碧の隣に腰かけた。
「へへ。飲む?」
彼女がばつが悪そうに冗談で差し出したスープを、貢士は受け取って口にした。
思いがけない反応に、彼女は軽く動揺する。そして、貢士から戻されたカップを再び手のひらに包むと静かに微笑んで自分もひと口飲んだ。
「酷い目に会わせてしまった。本当に悪かった」
彼女は通りを見つめたまま黙って首を振る。
「会えた?」
彼は何も言わずにうなずいた。
「そっか。よかった」
碧のつぶやきを聞いて、貢士は次の言葉を探す。
ふと、彼女が顔を上げた気配がする。それで貢士も落ちてくる雨に気づく。夏らしい大きな雨滴だった。
「また雨だ」
「また?」
「さっき彼女のところも降ってた」
「はるちゃんさん、どこにいたの?」
「逗子」
貢士は嘘をつく。苦い思いが胸にしこる。
「でも――」はるかの話はこれで止めなければと思う。
「でも?」
「もう会えない」
「――そうなんだ」
碧も言葉を探して通りを見つめる。
“シティ”の舗道が黒いドットで勢いよく埋められていった。
どう声をかけたらいいのかわからない。らしくないな――お互いがそう思いながら二人はただ並んで座っていた。
ぎこちない会話に割って入るように貢士のリストデバイスが振動した。彼はディスプレイに“ジュピター”の文字を見て取ると、デバイスを腕から外して自分と碧の前に置いた。
「タイラにも聞く権利があると思う」
通話を始めると「取り急ぎ業務連絡」といきなり信哉が切り出した。
「悪いけど、まだしばらく“潜る”ことになる」
貢士も信哉がそうするだろうと考えていた。
「こっちこそ、いろいろありがとう」
「あんな会わせ方しかできなかった」
「詳しいことは、そのうち聞かせてもらえたらと思ってる」
隣で聞いていた碧が口を開く。
「班長、ちょっとあたしに話させて」
信哉が「巻き込んでしまってすまなかったな」と素直に詫びた。
碧は少しぶっきらぼうな口調で訊く。
「沖縄にいるんでしょ? どこらへん?」
信哉ではなく女性の声が答えた。
「浦添です」
「あなたがゼロさんだね。さっきはほんとにありがとう。那覇の国際通りのあたりって詳しい?」
「多少なら――」とゼロが戸惑い気味に答える。
「あそこにマーレって店があるの」
「スイーツが美味しい」
「女子は話が早い」と碧が笑う。
「そこでタイラっていうおかしなガキが働いてる。髪がドレッドのやつ」
「タイラ、さん?」
「あたしの弟。そっからならとりあえず台湾でしょ?」
「図星です」
「なら手伝える。話を通しとくから行ってみて」
てきぱきと話す碧を見て、貢士は仕事中の彼女を思い出す。彼らを無事に逃がす自信があるのだ。
「助かります。でも、なぜ――」
「いいの。でも必ず帰ってきて、二人とも」
「少し時間がかかるかもしれません」
「無事ならいいの。連絡ちょうだい」
碧の顔にいつものいたずらっぽい表情が戻ってくる。
「帰ってきてくれないと、班長、おともだちが全然いないんだよ」
「おともだち、ですか?」
困惑するゼロの後を引き取るように信哉が会話に入った。
「帰ってくるよ。友だちならおれたちも少ない」
にやりと笑う碧の隣で、貢士が言う。
「急ぐんだろ? 気をつけてな」
「ああ、またな」
あわただしい別れの通話が切れると、すぐに碧は自分の弟に連絡をした。迷いなくすべて心に決めていたかのような動きだった。
貢士は初めて耳にする碧のウチナーグチをただ隣で聞いていた。諦めとも安堵ともつかない脱力感が彼を包んだ。この雨のせいだろうと考えるように努めた。
話はまとまったようだった。
弟とのやりとりが済むと、碧は「ねえ、班長?」と貢士に向き直った。
「あたしはそういうとき、おいしいご飯をいっぱい食べるんだ」
碧の妙に真剣な顔つきがおかしくて、貢士はつい小さな笑みを漏らす。
「だよな。それがいいよな」
明るく笑ってみせるはずが、鼻の奥がつんとして貢士は少しうろたえた。
「さっきホテルの人に聞いたんだよ。最上階のレストランからすっごくきれいに見えるんだって」
「夜景とか?」
「じゃなくて、六号機」
今夜、苫小牧六号機は自己メンテナンス期間に入る。
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