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「くそったれ――」

 感情を露わにしたゼロのつぶやきに、信哉は耳を疑った。

「思ったより動きが早い――迂闊だった」

 ゼロは慌ただしくキーボードを叩きながらモニターの少女に呼びかける。

「香耶っ? 香耶っ⁉」

「ねえ、おかしいの。いもうとたちがいない――」

 モニターに映し出された少女が異常を訴える。

「あたしもなんだかおかしいの。お客さんたちのことがわからなくなる。おねえさんのことをわすれてしまう。あなたもしらないひとになってしまう」

 ゼロの肩が怒りに震えている。信哉はその肩に一瞬だけ指先を触れる。

「落ち着け。記憶領域だけでもサルベージできれば、おれの方で復旧できる」

 信哉には返事もせずに、彼女はキーボードを叩き続けた。

「許さない。絶対に許さない」

 モニターにメッセージが猛烈な勢いで流れ連なっていくのが信哉にも見えた。さっきまで苫小牧六号機への侵入をサポートしていた連中だ。

 ――全員で切り分けて一気に引き抜くつもりか。

「香耶、あなたは香耶っ。自分の名前を忘れてはダメっ」

 ゼロは画面に呼びかける。映っていた香耶の姿が消える。ゼロはつぶやく。

「――私のことも忘れないで」

 一瞬の間を置いて、作業完了のメッセージが次々と流れ込んだ。しかし、これでは時間が短すぎる。香耶以外の“ロイド”は諦めるしかないのだと信哉は思った。

 しかし、ゼロたちの作業はそこで終わらなかった。彼女たちは手りゅう弾でも投げ入れるように相手のシステムにウィルスを放り込んだ。

 さっきまで香耶が映っていたモニターに向かってゼロはそのまま話し始める。

「貴社の全店舗の“ロイド”たち全員の引き渡しを要求する。従えばこれ以上の攻撃はない」

 続いて、幾人かの名前と日付が読み上げられた。信哉にも聞き覚えのある著名人の名前が続く。顧客リストだ。

「ランサムウェアは引き上げ後に解除する。万一反撃を受けた場合、このリストが公開される」

 香耶以外の“ロイド”たちも、人格を維持できる最低限のデータが迅速に吸い上げられ、そのままゼロたちに隔離された。

 仲間が撤収していったのを見届けると、ゼロはようやくモニターから顔を上げた。まなじりに疲労の色が浮かんでいる。が、それはいつものゼロだった。

「藤崎さんの件、急ぎましょう」

「おっちゃんのセットアップしたやつ、まだ行けそうか?」

 中央図書館の端末には事前に準備がしてあった。貢士にそこを指定したのもそのためだった。

「設定自体にはまだ時間があります。けれど終わり次第、私たちは早急にここを出ます」

「出るって」

「今回はかなり派手にやってしまいました。でも、こういうことは初めてではないです」

「すまない」

「いいえ――」ひと呼吸置いてゼロは言った。

「私が自分のためにしたことです」

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