27

「あたしルームサービスとか初めてだよ」

「実はおれもだ」

 貢士の部屋で二人はカレーライスの夕食を終えた。信哉がどうやってこのホテル

 を探り当てたのかは気になるが、とりあえずここにいれば安全ではある。

 彼はベッドに放り出してあったギターケースを開けて青いギターを取り出した。

「班長、ギター弾けるんだ?」

「いや。ぜんぜん」

「なんだよ」

 昔、信哉たちに教わったチューニングの仕方を、まだ手が覚えていた。そして、なんとなくフレットを押さえて掻きおろす――D。

「やっぱり弾けるんじゃん」黙って見ていた碧が言う。

 信哉や他のアルバイトに少し教わってはみたが、弾けるようになる気がぜんぜんしなかった。どうしても自分で弾いてみたい曲もない。おれは聴くだけでいいな、と思った。

「すぐやめちゃったよ。弾けるうちに入らない」

「なんかそういうとこあるよね。班長って」

 弦を何回か掻きおろすと、すぐに知っているコードはなくなった。

「とにかくそのノブさんって人は、あたしたちがここにいるの知ってるんだよね」

 ギターをかかえてぼんやりしている貢士に碧は言った。

 思わせぶりやサプライズが好きな奴だったとは思う。けれど、いたずらにしてはちょっと段取りが面倒だ。何か事情があって直接連絡ができない。このギターは本人であることの証明のつもりなのだろう。

 碧はデスクに置かれたメモを手に取った。そこには“WORKS”と“#09”いう単語が丸っこい文字で書かれていた。まさに「これだけ?」という素っ気なさだった。

「班長、このメモなんだけどさ」

 言いながら、碧はコップに残った水を飲む。

「アルバムっぽいよね」

「アルバム? ああ、音楽のか」

「そうそう。タイトルと曲順。ミュージシャンなんだしさ」

 彼女の言葉の途中で、すでに貢士ははっきりと思い出していた。

 これはあいつの自主制作盤のタイトルだ。

 そして、ラストになる#9の曲名は“ジュピター”。


 ◇


 信哉が自宅で録音や編集をしていた頃、貢士はよく彼の家に遊びにいった。曲は一人で作っていることがほとんどらしく、音源はデジタルでも構わないように思われたが、彼は実際に自分で弾くのが好きなんだ、と言った。

 彼はひと通りの楽器をこなすことができた。貢士には音楽のことはよくわからない。だから断言もできないのだが、ギターもベースも鍵盤も、少なくとも貢士の周りの誰よりも巧いように思われた。

 そして、貢士にも比較的わかりやすく認識できたのは、信哉の作詞の能力だった。こういう人間がプロを目指すのだろうと思った。才能があり、打ち込めるものがある信哉が貢士は羨ましかった。

 “ジュピター”は、もともと彼が好きで通っていたカレー店の名前だった。

「カレー屋で歌が作れるのかよ?」

「だれがカレー屋の歌なんか作るっていったよ」

 それでも完成した曲を聴いてみると歌詞にはしっかりカレーが登場していた。


 ◇


 貢士は、その“ジュピター”もすでにないことを先日、寺岡と会った時に確認していた。

「閉店したカレー屋か。あいつの考えそうなことだ」

 貢士は店の大まかな所在地と名称で検索をかけた。確かに数年前に閉店していたがコンテンツがまだグルメサイトに残されたままになっていた。

 どこか他のところにつながったら謝るつもりで電話番号をタップした。

「あたし、外そうか?」

 碧がここにいることも忘れていた。

「ごめん。いいんだ、よかったらここにいて」

 聞こえてきた呼び出し音は、旧回線のものだった。まだ一部で使用されていることは知っていたが、この音を聞くのは久しぶりだった。通信は音声だけになる。

 呼び出し音とともに薄い膜のようにノイズが広がる。思いがけない懐かしさが、貢士の胸を締めつけた。

 ガチャッと物理的に感じられる接続音が鳴った。

「はい、ジュピターっす」

 懐かしい声だった。貢士はハンズフリーのままで通話を続ける。

「もうあのカレー屋なかったよ。こないだ前を通った」

 くくっと押し殺したような笑い声が返ってきた。

「元気だったか?」

「うん」と答え、貢士は訊ねる。

「手の込んだことをするんだな。わけあり?」

「そんなとこ。実は今もあまり長くは話せない」

「明日会おうってわけにもいかなそうだ」

「それはしばらく待ってくれ。連絡先変えるなよ。おれは急に消えたりしないからな」

 険のあるもの言いに貢士はため息をつく。

「――それは本当に申し訳なかった。謝る。今はどれくらい話せる?」

「一〇分」

 即答。

「それなら」と貢士も単刀直入に話を急ぐ。

「はるちゃん、どうしてる?」

 二人のやりとりを聞いていた碧がふいに立ち上げって、カーテンの隙間から夜の街をのぞく。

「今からURLを教える。それを“シティ”の中央図書館の端末で開いてほしい」

「他のデバイスじゃだめなのか? ホテルにもPCはある」

「それもわけありでな」

「話せるのか?」

「とにかく朝になったら行ってくれ。はるちゃんの頼みでもある」

「何があった?」

 信哉はそれには答えずに告げる。

「アクセスから十五分だけ時間が取れる」

「十五分だけ――」

「それ以上だとまずいのは、見ればお前にもわかる」

 時間があまりない。貢士はこれ以上詳しい話を聞くことをあきらめる。

「わかった、ありがとう。ノブ、おれがいうのもなんだけど今度は会ってくれ。テラオカも会いたがってた」

 信哉は一瞬間を置いて話し始めた。

「――あいつが動き回ってるのは知ってる。PJにも来たんだ」

「PJ? まだあるのか?」

「目黒のほうに移転した。あいかわらずライスの盛りだけはすごいぜ」

「そうだったのか。テラオカも真面目で変わってない感じだったよ」

「ほんとはいい奴なのにな――。でもあいつはまずいんだ」

「どういうことだよ」

「後ろで動いてる奴らがいる。あいつの親がいた団体だ。きっとあいつも会員に戻ったんだろう」

「それがどうまずいんだ?」貢士には話が見えてこない。

「お前らをつけ回しているのはやつらだ。っていうか、やつらはおれを捜している」

「ひどいじゃん!」突然、碧が声を荒げて会話に割り込んだ。

「人を巻き込んどいて知らせもしないとか何考えてんのよ!」

 碧の剣幕で貢士の胸に苦いものが広がる。巻き込んだのはむしろ自分だ。

 信哉はさして動揺する様子もなく碧に語りかける。

「すまなかったな。でもコージならまだコネで再構のエージェントが動くだろうと思った。実際そうなった」

「ったく! なにそれ!」碧はベッドに尻を投げ出すように腰かけた。

「おれが再構にいたこと知ってたんだな」

「つい最近だ。なあ、おれはお前が連絡してきても会わないつもりでいた」

「当然だと思う」

「とにかくはるちゃんの頼みだから聞かないわけにはいかない。それから――」

「うん」

「おれはお前が少し羨ましかった。学歴も行くところもあってな。今だってリセットできるもんならしちまいたいと思ってる」

「そんなにいいもんでもなかったよ。だから“還って”きた」

 信哉が息を漏らすように笑う。

「けど、久しぶりにメタルのおっちゃんと話して考えが変わった」

「ギター持ってきた革ジャンの人か」

「ああ。二十世紀のロックが好きな気のいいおっちゃんだ」

 通話を始めてからかなりの時間が経過していた。通話を終えるつもりか、信哉が声の調子を改めた気がした。

「というわけで、いろいろ手じまいすることにした。お前ら流にいうと“還る”ってやつだ」

「そんなことまで調べたのか?」

「で、ひとつ頼みがある。おっちゃんが置いてったギター」

「ああ」

「ボディの内側にメモリが貼りつけてある」

 碧がベッドの上にあったギターを貢士のかたわらに移動させた。弦に手こずりながら裏側を探る。物理メモリらしきものがテープで貼ってあるのが感触でわかった。

「今どき物理メモリかよ」

「そのほうが確実なもんでな」

「これをどうする?」

「図書館で用が済んだら端末に挿してくれ。こっちの操作の仕上げをそいつがする」

「挿すだけか」

「それでぜんぶ終わる」

 一瞬だが思い沈黙の後、信哉はおどけるように言った。

「荷物になって悪いがギターは預かっといてくれ。それじゃ、ジュピターは今度こそ永遠に閉店でーす。ミドリさんも、またな」

「おい! なんでタイラの名前まで知ってるんだ」

 すでに通話は切れていた。

 碧がこらえていたものを吐き出すように、大きなため息をつく。

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