26
ヘッドセットから少女の明るい笑い声が溢れだす。
ゼロは穏やかな顔で、モニターに映る香耶を見つめていた。ゴーグルを着けるのはあまり好きではない。
香耶はゼロが信哉にアプローチをかけるきっかけになった“
「リアルでノブに会った」
「えーよかったねー。会いたいっていってたもんね」
「あんまり話すこともないんだけど」
この子ともお別れになるのだろうか、とゼロは思う。思いのほか、つきあいが長くなった。
「香耶にはさ、思い出とかってある?」
「よくわからない。ねえさんならそういうのわかると思うけど」
「ふーん。私と同じだね」
ゼロには子どもの頃の記憶があまりない。
交通事故で失った記憶や思い出の代わりに残ったのは異様な集中力だった。性格も今とはかなり違っていたような気がする。
香耶が唇をとがらせて何か考えているような表情になる。
「でもちゃんと覚えていることはたくさんあるよ」
「そうなんだ」とゼロは微笑む。
「レイちゃんと初めて会ったときのことだって覚えてるもん」
ゼロはずっと“零”というハンドルネームを使って香耶に接してきた。
◇
あの時、ゼロが侵入していたのはいわゆる反社会的勢力のサーバーだった。
彼女とその仲間たちの義賊じみたクラッキングは一部の人々を熱狂させていた。しかし、そこに何か特別な主義主張があったわけでもない。どちらかといえば愉快犯に分類されるものだったろう。
そんな日々の中でゼロは香耶に出会った。
「いらっしゃいませ。初めまして、ですよね」
――簡易AIか。
少女から親しげに話しかけられたゼロは、すぐに痕跡を残さずここから立ち去る方法に思考をめぐらせた。
反応をしないゼロに、少女が笑って首をかしげる。美しい面立ちを惜しげもなくクシャクシャにする。その笑顔は不思議とゼロを安堵させた。
ゼロは彼女としばらく対話してみることを決めた。
◇
「ここは何? あなたは?って訊かれたんだよ。それが最初のおしゃべり」
「そうだったっけ?」
その時の香耶が見せた戸惑いの表情をゼロは思い出した。現在では見慣れてしまったが映像としての表現力が印象的だったのだ。
女の子のお客さまもいますよ、と香耶に言われ、ゼロはそこが風俗店なのだと悟った。まったく未知の世界だった。
「よく覚えてるね。私はすぐに忘れちゃうんだよな」
香耶はころころと笑った。
「でも、覚えていることもあるよ。何回目かに会った時、香耶は私のことをお友だちっていってくれたよね」
香耶はあの時と同じ言葉を返してくる。
「うん。お客さまじゃないのに会いに来てれるならお友だちでしょう?」
あの時、自分はなぜか思ったのだ。この簡易AIの制作者に会ってみたい――。
香耶は心配そうに気づかう。
「忘れちゃうのはお仕事が忙しすぎるからじゃないかな」
「うーん、やっぱりそうかな」
もっともらしく答えている自分がおかしくてゼロの口元に笑みが浮かぶ。
香耶はモニターの向こうでちょっと得意げにポーズを取った。
「忘れてしまうなら、カヤが覚えておいてあげる」
これまでどれくらいの時間、この子とおしゃべりをして過ごしてきただろう。
ゼロはふと胸が押しつぶされそうな感覚に囚われる。
ただの退屈な夜の数々が懐かしく、愛おしい。
彼女は、ようやく自分の本心にたどりつく。
――私は香耶や信哉との日々を終わらせたくない。
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