25

 貢士の返事がどこかうわの空になっていることに碧は気づいた。ハンドルを握りながら幾度もルームミラーに目を向けている。彼の緊張を察した碧も、ヘッドレストの脇から後続の車の様子をうかがう。

「感じ悪い」

 片側二車線の道路だ。こちらが邪魔ならば追い越せばいい。煽られているわけではない。が、貢士はその車間距離の取り方に違和感を覚えた。尾行? けれど誰が何のために? 碧も再び前を向いてシートに腰を据え直した。

 再構築委員会の管理所を出るところは見られているだろう。だが、二人はすでに職員ではないし、退職後までターゲットにされるほどの役職でもなかった。

 道路はまだ直線が続く。貢士はあらためてルームミラーを凝視した。運転手の他に助手席、それから後部座席にもたぶんもう一人――。

「停まってみるか」

 貢士はハザードランプを点けて速度を落とした。

 前を走っていた車のブレーキランプが一瞬点灯する。

 ――やっぱりな。

 車種は異なるが同程度の車格のセダンに前後を挟まれていることにも不自然さを感じていた。そもそも最近ではセダンなどあまり見かけない。

 貢士は路肩に寄せて車を完全に停止させた。

 後続のシルバーのセダンが何食わぬ様子で静かに通過していった。ウィンドウのフィルムに遮られて車内は見えない。

「このまま旧市街に戻るのはまずいかもな」

「うん」走り去るセダンを見つめたまま碧がうなずく。

「とにかく教授に連絡するか――」


 貢士はいったん“シティ”のエリアを出た。そして、人目の多いショッピングモールの駐車場に車を入れると、そこから安田に連絡した。安田は「調べて折り返す」といって通話を切った。

 宙ぶらりんな不安を持て余した碧が「班長も食べる?」とバッグから取り出したのは駄菓子のようだった。

 パッケージに得体のしれない動物のキャラクターが印刷されている。スナックなのかチョコレートなのか中身がさっぱりわからない。そんなものを深刻な顔つきで差し出されて貢士はつい笑ってしまった。

 リストデバイスが振動し、ディスプレイには安田の名前が表示される。

「どうやら再構とは直接関係はなさそうだな。何か面倒なことに首を突っ込んでるんじゃないのか?」

「心当たりがないですね。退職してから人探しはしてますけど」

「人探し?」

「はい。でも昔の友だちです」

 安田が少しの間、沈黙する。

「何かマズいですか?」

「わからんが、念のためにそっちに人をよこしておく。非公式だからお前たちに直接挨拶をすることはないが、何かの時には頼りになるだろう」

 日が暮れるのを見計らって安田が指定した街まで車を走らせた。鉄道で二駅ほど離れた街だった。指示されたレンタカー店で車を乗り捨てる。店舗の脇では苫小牧六号機の先ほどのスタッフが私用のRV車で待っていてくれた。

 二人はスタッフの運転で再び“シティ”に戻った。旧市街のホテルの予約はそのままにして、再構築委員会が来客時に使用しているホテルに運ばれた。


 ストラクチャシステムが建てたその建物は、例によって何に使用されることを想定しているのか怪しいものだったが竣工後にホテルに改装された。インテリアや照明も人間によって吟味され、ヨーロッパ調にまとめられている。

 無人ではない、昔ながらの有人のフロントでチェックインをした。

「ご予約の通り、二名様でよろしいでしょうか?」

 なぜ、そんなことを訊くのだろうと貢士は思う。フロントの女性の視線が貢士たちの背後にあるロビーのソファに向けられた。

 そこには一人の男が腰かけていた。女性が「お客様のご到着を待たれているようなのですが」とやや声をひそめて言う。

 もう気づかれている――碧も硬い表情で男を見すえる。

 白髪まじりの長髪を束ねた男は、ソファから立ち上がるとフロントに向かって歩いてきた。少し太り気味の中年の面持ちに革のライダースジャケットとブーツ、そして左手にぶら下げたギターケースは、ラウンジの中で明らかに浮いていた。

 男は自分の外見のことなど気にする様子もなく、二人の前に立つと無精ひげの顔に人懐こい笑みを浮かべた。

「ノブちゃんの知り合いってあなたかな?」

「代田信哉くんのことですか?」

「うん、ダイタくんだ。これを預けてくれと頼まれた」

 男はギターケースを少しだけ持ち上げて見せた。

「あなたは、ノブの――」

「昔からの知り合い」

「なぜここがわかったんです?」

「それはおれにもわかんないな。ノブちゃんに聞いてみてよ」

 男はまたにっこりと笑った。

「中を見せてもらっていいですか?」

 貢士が言うと、男は床に横たえたギターケースを慣れた手つきで開けた。

 ブルーのグラデーションで彩られたアコースティックギターが現れる。貢士は懐かしさで息が詰まるような気がした。

「な? ノブちゃんのだろ?」

「で、ノブはどこにいるんですか?」

「今日のところは詳しい話をしないでくれって言われてるのよ」

 男は革ジャケットの胸のファスナーを開けると紙切れを取り出した。

「その代わり、これ。伝言のメモ」

 貢士の背後からのぞき込もうとする碧と目が合い、男はにやりと微笑んでみせる。

「あなたなら見ればわかると言っていた。連絡先だってさ」

「これだけ? ですか」貢士はメモを受け取った。

「うん。これだけ」

 苦笑いも人懐こい男だった。碧も「あらまあ」という顔で笑みを浮かべている。

「じゃあ、おれは帰るよ」

 エントランスに向かいかけて、男は何かを思い出したように振り返った。

「ノブちゃんに会ったら、あなたたちもうちにおいで。函館のライブハウス」

 貢士は返事に戸惑っていると、碧が返事の代わりに子どものように手を振った。

 男は彼女に向かって親指を立てた拳を突き出すと、また同じようににっこり笑ってホテルを出ていった。

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