23
自分がどこへ、何をしにきたのか。午睡でもしているような街で、貢士はあらためて自分に確認しなければ忘れてしまいそうな気分になる。
人間がつくったほうの街並みは、とりたてて大がかりな再開発もなく、近年ほとんど変化をしていない。ストラクチャシステムが展開できなかったのもそのためだ。わざわざ人間を追い出すことはしない。
レンタカー店は駅のすぐそばにあった。リストデバイスから免許証やクレジットカードの情報を送信する。手続き完了のメッセージが返信されると同時に、駐車場に並んだレンタカーの一台が、あいさつをするようにハザードランプを点滅させた。
早く“彼女”に会いたいね、と碧は言った。二人の車は列車がやってきた方向に引き返すように“シティ”に向かった。
国道をしばらく進み、T字の交差点を折れると、道路の様子が一変した。唐突に目の前に現れた片側三車線の道路は、まっすぐに苫小牧六号機に向かって伸びている。道路沿いにはすでに街並みと呼べるものが出来上がっていたが、苫小牧六号機が展開している区画には更地が残されているようだった。
起動中のストラクチャシステムに接近するのは久しぶりのことだった。
アクセルを踏みながら貢士はじっと“彼女”を見つめる。碧も黙って前方を凝視していた。防御システムはもちろん解除されている。走査ユニットが向かってくることはない。
「――行けちゃうね」
碧がなぜだか声をひそめる。沁みついた警戒心を二人は持て余す。
「習慣っていうのは抜けないもんだな」
苫小牧六号機はすでに、かつての気高くも危険なストラクチャシステムではなかった。
“彼女”の周囲は、人間の工事現場と同じように鋼板のフェンスで囲まれていた。フェンスに沿ってゆっくりと徐行しながら、貢士は時々窓から“彼女”を見上げた。
フェンスが途切れるとそこがゲートだった。
碧が車を降りていき、守衛に要件を伝える。貢士が運転する車は、守衛の誘導に従ってゲートをくぐった。
再構築委員会の管理棟もストラクチャシステムによる建物を流用していた。二階建ての低層建築で、雰囲気は自治体のコミュニティ施設といったところか。ちょっと斎場のように見えないこともない。
作業着がよく似合う初老の職員がエントランスの前に立って二人を迎えた。会議室に通され、しばらく待つと、再び同じ人物がトレイにコーヒーを載せて戻ってきた。彼がここの所長だと名乗ったのは、その時だった。
「ここもだいぶ人員が減ってね。あなたたちもお疲れさんだったね」
彼は自分で運んできたコーヒーをひと口飲むと、貢士と碧にも勧めた。
「大した仕事はしてなかったもので、こうなりました」
碧が笑顔でカップを手に取ると所長も笑った。
「それは私もだな。かくして、こいつもまだ動いているというわけだ」
所長はリモコンを手にすると会議室のモニターのスイッチを入れた。苫小牧六号機の現状が概念図で表示され、各部の動作状況が把握できる。
貢士は大型の画面を見上げながら言った。
「この現場が終わっても、また近隣で再起動という話があるようですね」
「あれこれと話は聞こえてくるがね。正直なところ正式な指示はまだ何も出ていない。ここの竣工まではまだ少し時間があるしな」
所長はコーヒーをすすりながら、上目づかいでモニターに目をやった。
「でも、安田先生がこうして藤崎くんを見学によこしたってことは、そういうことなのか――な?」
「私は何も聞いてないですよ」と貢士が素直に答える。
「あの先生、ちょっとそういうとこあるよな。平良くんは先生の姪っ子さんなんだろ?」
所長が碧に笑顔を向けると、彼女は困ったような笑みを浮かべてうなずいた。
「昔からああなんですよねえ」
はは、と笑いながら所長が立ち上がった。
「さて、ご案内しよう。起動中の機体に入るのは二人とも初めてだろう」
管理棟の裏手には道路だけが整備された更地が広がっていた。大規模なビルディングがあと一棟ぐらいは建てられそうな敷地の中を、三人は“彼女”の元まで歩いた。
建設中の建物はタワー型のビルディングだった。この立地でこの建物をどう使えというのか。誰にも見当がつかないというが実際のところだろう。
澄んだ高い空の下で、人間の思惑など気にもとめずに “彼女”は作業を愉しんでいるように見えた。どこかから鳥のさえずりさえ聴こえてきそうな光景だ。
しかし、安全な場所から眺めるだけなら優雅にさえ見える
所長はエレベーターのボタンを押した。
「こういつの動力ジョイントはいま三段目が稼働していて、二段目まではエレベーターの架設が済んでいる」
やってきたエレベーターに貢士と碧を招き入れて、彼は続けた。
「もちろん全機能の非常停止もできる。幸い、また使ったことはないがね」
エレベーターは静かに高度を稼いだ。
「なに、これ――」碧が外を見つめたままつぶやく。
扉の窓に“シティ”の全貌が角度を変えながら広がっていく。長方形の敷地に幹線道路が放射状に走る街は、ユニオンジャックを思わせた。
苫小牧六号機は、そのほぼ中心に展開している。そして、エレベーターが第一動力ジョイントを通過しただけでも、“彼女”が現在どの建物よりも高い“シティ”のランドマークを建造中なのは明らかだった。
エレベーターの扉が開くと、そこにはコンパクトマンションほどの広さの管理ブースが設置されていた。数人のスタッフが常駐し、データ収集などの調査業務が続けられている。
貢士はスタッフの背中越しから、見慣れた観測データに目を走らせる。性能は鶴ヶ島三号機をはるかにしのいでいる。本当に第三世代の機体なのだろうか。さらに進化していたのではないか。
モードを切り換えて別のデータを見たい。つい出そうになった手を引っ込めて、ばつの悪さに貢士は腕を組んだ。隣で碧がくすっと笑って肩をすくめる。
「キタカンにいらしたそうですね」
モニターに向かっていたスタッフが振り向いて話しかけてくる。北関東監視局――貢士と碧がいた部署だ。
「はい。おじゃましてます」
ブースの中をきょろきょろと見回していた碧が答えた。
「遠かったっしょ」
「あたし初めてなんですよ、北海道」
彼女を中心にしてブースに和やかな空気が広がっていく。その様子を見て、貢士はついこの間までの自分たちを思い出す。
貢士は再びモニターに見入った。背後から所長が声をかける。
「大したもんだろ。このブースも来週には三段に引っ越しだよ」
「どこまで“上げる”つもりなんでしょう」
「基礎の構造からいって五段までだろう。そりゃあ安田先生も目が離せんよな」
ブース内の設備は貢士にも碧にもなじみのあるものだったが、ひとつだけモニターが見慣れないトップ画面を映し出していた。
「これは?」
「さっき言った非常停止が必要なときはそこ。ここならではの設備だな。それから、防御システムも起動できる」
「防御システム? 生きてるんですか?」
「正確に言うと復旧中だな。安田先生待ちってところだ」
所長が画面をクリックする。
見覚えがある監理画面が表示された。安田が貢士に読むよう指示したファイルにあったものだ。貢士は安田があっさりとこの見学を承諾し、研究室の経費で対応した理由を遅ればせながら悟った。
「とにかく稼働中に見せることができてよかった。こいつはそろそろ自己メンテナンスに入る」
昼時になり、スタッフも一人を残して一緒に管理棟に戻った。先ほどの会議室のドアが開くと、テーブルには出前の昼食が並んでいた。
皆で昼食をとると、二人は所長とスタッフたちに見送られて苫小牧六号機を後にした。
二人だけになると碧は耐えかねたようにくすくす笑いだした。
「まさか“シティ”で味噌ラーメン食べるとは思わなかったよね」
「そりゃここはみんなが普通に暮らしてる街だからな」
「でもさ、この街の中をラーメン屋さんがカブで走ってくるんだよ? ヘンだよね」
車の窓には、やはり違和感を伴った独特の街並みが流れていく。さっきの出前のラーメン店は一体どんな店構えなんだろうか。確かに貢士も多少は気になった。
それでも、いま走っている幹線道路には多くはないがそれなりの台数の車が流れていた。
「街がちゃんと人間の役に立ってるのさ」
「ねえ班長?」車窓から街並みを眺めながら碧が言った。
「ん?」
「やっぱり停まらなかったほうがよかった気がするね。ストラクチャシステム」
「無職はつらいよな」
貢士はちゃかす。
「そうじゃなくってさ。ブースで班長見てたらなんとなくそう思っただけ」
車内を微かなモーター音が満たしている。道路が新しいためか、ロードノイズがほとんどない。
「たぶん――」と貢士は口を開く。
「また何か新しいことが始まるよ」
ふと、昨日の寺岡からの連絡を思い出す。信哉とはるかはどこで何をしているのだろうか。
「タイラだって秋からいろいろ始めるわけだろ?」
貢士が話を向けると、碧は子どもの頃に獲得したポスターコンクールの賞について話し、自分の才能と将来性をやや悲観しながらもこれからの希望を語った。
自分の数年後を想像するのはなんだか難しい、と貢士は思う。
けれど、碧はきっとうまくやるだろう。
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