22

「この間も話した通り、“ロイド”はもうおしまいにする」

「――ですか」

 ゼロは、切れ長の目でアイスコーヒーのグラスを見つめたまま小声でつぶやいた。

 信哉は彼女のまなざしを見て、美しい一重だなと思う。セミロングの髪の色はもう少し明るくもいい。

「あんたに引き継いでもらっても構わない」

 信哉の言葉にゼロは顔を上げる。薄い唇に皮肉の色が浮かんだ。

「ノブでも勘違いをすることがあるんですね。察しのいい人なのに」

「断るだろうと思ったけどさ。一応訊いてみただけ」

「ノブが関わっていない女の子なんて、その程度のシステムならいくらでもあります」

 信哉はため息をつく。

「うれしいね。アーティストにもなったような気分だ」

「そうでしょう、実際」

 彼はしばらく考えて口を開いた。

「ありがたいけど、それはやっぱりちょっとちがうかな」

 ウェイトレスがテーブルに皿を置いた。スパイスの香りが広がる。

「ずっとこれが食いたくてさ」

 信哉の前にあるタコライスを見てゼロは小さく微笑む。

「あんたはほんとに何も食わなくていいのか?」

 いらない、というだろうと思っていた信哉の予想に反して、ゼロは無言で手を上げてウェイトレスを呼んだ。

「やっぱり最後に一度くらいごちそうになりましょう」

 そう言いながら、彼女はチョコレートのスフレをオーダーした。

「最後か――そうなっちゃうか」

 二人はしばらく無言で目の前のものを口に運んだ。何かを考えている。お互いがそんな気配を感じていた。

 信哉が食べ終えると、ゼロもスフレを少し残したまま紙ナプキンを口元にあてた。

「私がうまくやれば、まだビジネスは続けられるはずです。けれど、ノブ的はそういう問題ではないということですね」

「おかげでほんとに仕事がやりやすくなった。あんたがいなかったらとっくに前科者だよ」

「私も楽しませてもらいました。ノブの女の子たちも好きです」

 “ロイド”の話をするとき、彼女はいつもより少しだけ感情を前面に出す。

「あんたの“好き”っていうのが、おれにはいまいちわかんないけどね」

「理由とかそんなに必要でしょうか?」

 自分の感情の動きが彼女自身にもうまく理解できず、持て余しているのではないか。信哉はそう思うことが何度かあった。

「ビジネスを止めて、それからどうするんですか?」

「決めてない」

 彼女の薄い唇に、今度はいくらか大きな笑みが浮かぶ。

「だろうと思いました。一応訊いてみただけです」

 信哉も静かに笑った。

「物理的な意味ではもう片付けは済んだようなもんだ。おれの部屋には何も残ってないも同然だし、ネット上の掃除はあんたがやってくれる」

「準備はできています。ノブの情報はいつでもリセットできる」

「ありがとう。でも、ひとつちょっと面倒なお願いがあるんだ」

「できるのはネットワークに関することだけです」

「十分すぎる。でもほんとは、あんたが人の心もハックできりゃ話が早いのになって思うよ」

「苦手分野ですね。あいにくですけど」

 信哉はメッセンジャーバッグからラップトップを出すとテーブルに置いた。

「あまり気分のいいもんじゃないけど、ざっと見てくれるかな」

 モニターに信哉の部屋が映し出される。

 ゼロは眉を寄せてアイスコーヒーをひと口だけ飲むと、姿勢を変えてモニターをのぞきこんだ。

「ライブじゃない。おれがまだ船に乗ってた夜の動画」

 三人の男が室内を物色していた。

「ビジネスを止めるのは彼らのせいですか?」

「うん。まあ、だいたい」とはっきりしない返事をして信哉は言った。

「たぶん、えにしの会の皆さん」

 目立たないようにだろう。黒っぽい服装はしているが、いずれもパーカーやトレーナーといったごく普通のものを着ていた。侵入のためにわざわざ仕立てられたものではないだろう。どこかおずおずとした立ち居振る舞いからも、こうしたことに慣れているわけではないことが伝わる。

「なんていうか、ずいぶん素人っぽいですね」

 ゼロはあきれ果てたという感じのため息をついた。

「いくらか手慣れている奴もいるみたいだけどね。でも、プロじゃないよな」

 男たちはPCが起動しないことを悟り、そのまま筐体ごとを持ち出そうとする。

「でもまあ、とりあえず雑でもいいんだよ。こっちだって警察に届け出るわけにはいかないんだしさ」

「この程度の相手ならどうにでもなるんじゃないですか?」

 信哉はゼロの言葉には答えず、黙ってしばらくモニターを見つめたあと、動画を一時停止した。三人のうちの一人がカメラに顔を向けている。

「これ。こいつ。おれの昔の友だち」

 ゼロはモニターから視線を外し、信哉の横顔をじっと見つめた。

「うまく言えないですけど――残念ですね」

「だね。残念だ」

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