・10-15 第161話:「祝賀会のあとに:2」

 ルーシェのことが、欲しい。


 その言葉に、エドゥアルドの思考は困惑で支配された。


(ルーシェを……、え?

 なんで? )


 どうしてそんなことを言い出すのか。

 そもそも、ナッジャールの意図が分からない。


 それに。

 それに!


(それは……、ダメだ)


 国家元首として、両国の関係を良好に保たなければならない。

 ここで要求を断れば、せっかく結ばれた友好が、破綻はたんしてしまうかもしれない。


 そう分かる理性と、それを圧倒的に上回るほどの感情があふれ出て来て闘争し、エドゥアルドはどんな反応も示すことができずに固まってしまっていた。


 表情を強張らせ、緊張して全身を硬直し、冷や汗を浮かべている代皇帝の様子を目にして、ハインリヒ公爵が「こほん」と咳払いをする。


「ナッジャール殿。

 そこにいるメイドを得て、どうなさるおつもりなのですかな? 」

「もちろん。

 ———妻にいたします」


 ナッジャールはちらりとルーシェの方を見て、それから、はっきりとそう言ってみせる。


「ふっ。わはははっ!

 ……っと、これは、ご無礼を」


 その真剣な様子に、ハインリヒは思わず吹き出してしまい、慌てて居住まいを正した。


「ナッジャール殿。

 確かに、ルーシェ殿は良いメイドです。

 ですが、聞くところによりますと、その、彼女はただの平民出身であるとか。

 タージュ家に連なる貴殿が妻に、などというのは、いかがなものかと」

「なるほど、確かにそうかもしれません。

 我ら、血統によってしばられている者にとっては、出自というのはなによりも大事なことです。

 ですが、見方を変えていただきたい」

「見方を変える?

 それは、どうのように? 」

「ルーシェ殿は、平民。

 どんな家柄も、なんのしがらみも背負ってはおりません。

 つまりは、彼女を花嫁として迎えれば、———わたくしは、自由でいられるのです」


 その言葉に、ハインリヒは面食らった様子で黙り込んだ。


 思ってもみなかった発想だったのだろう。


 ズィンゲンガルテン公爵家は代々、縁故を築くことで繁栄して来た。

 当然、歴代の公爵がめとって来たのは、お家の存続に貢献してくれそうな、高貴な家柄の娘ばかりだ。


 ナッジャールの考えは、それとは真逆だ。

 そういった縁故がなければ、[自由]でいられる。


「縁故というのは、強力な武器です。

 ですが、同時に、恐ろしい呪縛でもあるのです」


 誰もが呆然自失としていたが、それにかまわず、異国の青年は言葉を続ける。


「我が国の帝位の周りでも、そうでした。

 良家の娘を迎えれば、その実家が外戚がいせきとして絶大な影響力を振るう。

 時には、皇帝が傀儡かいらいに成り下がったことさえあるのです。

 ……我が国は、先に貴国に敗北しました。

 自慢の軍団であったイェニ・チェリは壊滅し、縁故によって権勢を振るって来た旧来の特権階級も、姿を消した。

 わたくしは、わたくしの子らに、しがらみを背負わせたくはない。

 血の呪いを授けたくはない。

 そのためには、———ルーシェ殿がいい。

 貴女にこそ、我が、生涯の伴侶になっていただきたいのです」


 自分が、プロポーズされている。


「……ふへぇっ!?

 ぇええーっ!!!?

 わ、私が、で、ございますか!? 」


 ようやくそのことを理解したメイドは、素っ頓狂な悲鳴をあげ、動転してあわあわと奇妙な踊りを始める。

 この場から逃げ出したい。

 しかし、そうすることができない。

 そんな葛藤が全身からにじみ出ていた。


 それを知ってか知らずか、ナッジャールは真正面から口説きにかかる。

 有無を言わさず、押し切る。

 そんな戦いぶりだ。


「ルーシェ殿。

 貴女は、貴女ご自身が考えているよりもずっと、素晴らしい女性なのですよ」

「ひ、ひぇっ!?

 だ、だって、私なんか、ただのメイドでございますよ!? 」

「そんなことはありません。

 貴女は、とても親切で、素直だ。

 ヴェーゼンシュタットにいる間、貴女は、本来の主でもないのに、わたくしのために本当に一生懸命に、親身になってくれました。

 わたくしは、そんな一生懸命な女性ひとにこそ、妻になって欲しい」

「そっ、それは、あ、当たり前のことをしただけでございます! 」

「その謙虚なところも実にいい!

 きっと、貴女は愛すと決めた相手を、生涯、大切にしてくださることでしょう。

 しかも、とても聡明だ。

 お聞きしたところによれば、今回の講和条約、タウゼント帝国側が示して下さった条約案の原型は、貴女が提案したものなのだとか。

 五か国を独立させ、緩衝国としてしまう。

 慧眼けいがんと申せましょう。

 これほどの視点を持った女性は我が国にはまず、いないでしょう。

 現在国政を担う立場にいる者の中でも、いったい、何人いることやら。

 つまり貴女は、公私共に、最良の伴侶パートナーとなるのに違いないのです! 」


 ナッジャールの言葉は段々と熱を帯び、嫌と言うほど、これが冗談などではないのだということが伝わって来る。


 メイドは、しょせんは使用人に過ぎない。

 国家の大事のためであれば、当たり前のように[売られて]しまうかもしれない。


 本人の意志など、関係ない。

 だって、ルーシェにはなんの[縁故]もないのだから。

 嫌だ、と言っても、誰もその意志を尊重してはくれないし、守ってもくれない。


「え……、エドゥアルドさまぁ……っ! 」


 そんな不安と恐怖にさいなまれ、どうしようもなくなった少女は、涙目で、すがりつくような視線をエドゥアルドへと向けて来る。


 少年はまだ、反応することができない。

 ルーシェと、国運とを天秤てんびんにかけ、まだ、決めかねているのだ。


「……我が国としては、残念ながら強く断るのは難しいかと存じます」


 そんな彼に身体を寄せたハインリヒが、そっと耳打ちをする。


わたくしは、陛下があのメイド殿をどれほど大切にしておられるのか、よく存じてはおりません。

 ですから、ご無礼のほどは、平にご容赦を。

 しかしながら、そうした立場から見ますと……、使用人の一人、お渡しになるのを渋ることは、リスクが大き過ぎるように思われます」


(ルーシェは、そんな、売り買いするような相手じゃない! )


 エドゥアルドはその言葉を吐き出すのを、ぐっとこらえた。


 ハインリヒは別に、悪気があって言っているわけではないのだ。

 ただ、価値観が違うだけ。

 平民出身の、なんの縁故もない少女と、国家全体の命運を比較すれば、国家を取る、というだけのこと。


 貴族としては、当然の選択をしているのに過ぎないのだ。


 エドゥアルドも、貴族だ。

 特権階級として、生まれながら人々を統治する権利と責務を背負って来た。


 だから、理屈としては、理解できる。

 できてしまう———。


(僕は、どうしたら……)


 決められない。

 だが、決めなければならない。


 悩みに、悩んで。

 悩み抜いて。


 やがて覚悟を決めた少年は、両手を強く握りしめ、顔をあげて、真っ直ぐにナッジャールのことを見すえた。

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