・10-13 第159話:「祝賀会」
タウゼント帝国とサーベト帝国。
互いに長い歴史を持ち、広大な国土を有する巨大国家同士の和平は、成った。
代皇帝・エドゥアルドと、全権大使・ナッジャール。
二人は互いに固い握手を交わした後、合意した講和条約の内容を確認し合い、それぞれに自らの直筆でサインを行った。
用意された合意文書は、二つ。
ひとつはタウゼント帝国で、もうひとつはサーベト帝国で、この合意が正式なもので、有効であることを証明するためにそれぞれが厳重に保管することとなる。
そしてこの会談の成果は、今月中にはヘルデン大陸中に伝わることだろう。
ヴィルヘルムの手配で、すでに講和条約の内容が報道各社に送られ、新聞として発行される準備が整えられていた。
両国が和平を結んだという事実は、マスメディアを通じて大々的に喧伝される。
これによって、アルエット共和国の、ムナール将軍が描いていた構想は、根本的な変更を迫られるはずだ。
彼らと相対する時、タウゼント帝国の後背にはオルリック王国とサーベト帝国という比較的大きな国家がふたつ存在していたが、そのどちらともエドゥアルドは友好関係を構築してしまったからだ。
大陸を封鎖し、帝国を孤立させようとする試みはもはや、失敗したと断じてもいい。
海路から直接荷揚げするよりも効率は落ちるが陸路から必要な物品を輸出入することができるし、なにより、こちらは今後、背中を気にせずに共和国にだけ集中することが出来る。
考えてみれば、タウゼント帝国はこのヘルデン大陸の中央部で、包囲されかねない、危険な状態に陥りつつあったのだ。
西にはアルエット共和国という敵がおり、これで、東のオルリック王国、南東のサーベト帝国が敵対したら、三方向から攻撃されることになる。
そうなれば、とても耐えきることは難しかっただろう。
屈辱的な条件を無理やり飲まされ、属国同然の扱いで存続するか、あるいは、滅亡するか。
エドゥアルドはその最悪の想定から、自身と帝国を救い出すことができたのだ。
———そして、その日の夜。
講和の成立を祝う盛大な祝賀会がヴェーゼンシュタットで開かれた。
ズィンゲンガルテン公爵家の城館の中に設けられた大広間が、シャンデリアで
金や銀の装飾品と絹のテーブルクロスで美しく飾りつけられた食卓には、サーベト帝国の習慣に配慮された料理が数多く並べられていた。
(ハインリヒ殿は、こういうことの手配に本当に抜かりがない)
プロの演奏家たちによって奏でられる音楽を楽しみ、厳格に定められた戒律にのっとった材料しか使っていないのに美味な料理に舌鼓を打ちながら、こういった来賓をもてなすという点において、ハインリヒ公爵には及ばないということをエドゥアルドは痛感していた。
会談初日にアルコールを出そうとするという失態を侵した自分とは、大違い。
(ノウハウがあるのだろうな)
にこにこと祝賀会の来賓たちに笑顔を振りまきつつ、使用人たちに真剣な顔で指示を出していくハインリヒの様子をさりげなく観察しながら、ズィンゲンガルテン公爵家が「政治」を武器に長い歴史を乗り切ってきたことを思い出す。
貴族にとって、縁故は強力な武器だ。
ズィンゲンガルテン公爵家はその武器をずっとずっと磨き続けてきた。
自身の子を他家の養子や夫人として送り込み、そうして築き上げた広範な縁戚のネットワークで、政治の世界を乗り越えていたのだ。
他者と良好な関係を築きにはまず、相手のことを理解しなければならない。
相互理解と言えば簡単に思えるが、実現するのはなかなか困難だ
というのは、往々にして人は、相手のことを「理解したつもり」になってしまうからだ。
たとえば、会談が始まった際のエドゥアルドがそうだった。
こういったもてなしの場では、まず、酒を出すのがタウゼント帝国の一般的な習慣だ。
だから、酒類の中でももっとも高貴なものとされるワインを、それも特に上等で希少なものを用意した。
ナッジャールはすでに成人していた、ということもあったから、そうするべきだと思って準備したのだ。
すべては、良かれと思って。
だが、間違っていた。
サーベト帝国の人々の多くは厳格な戒律を持った宗教を信仰しており、その中には、口にしてはいけないものがいろいろと定められている。
アルコール類もそうだった。
だから、エドゥアルドのやりようは、受け取る相手によってはとんでもない非礼とされ、会談そのものが開かれることなく終わってしまった可能性がある。
(ナッジャール殿が、軽く流してくださって幸運だった。
それと、ルーシェのコーヒーを気に入っていただけて、よかった)
今度は横目でナッジャールの様子を観察しながら、そう思う。
彼は今、ハインリヒが用意してくれた料理を喜んで食べ進めながら、コーヒーのお代わりを淹れに来たルーシェと上機嫌で談笑している。
とても、演技には見えない。
この時間を目いっぱいに楽しんでいる風に見える。
(僕は、まだまだだな)
その姿を見ていると、また、実感せずにはいられない。
外交の席で、にこやかに、フレンドリーに振る舞うことも、一種の戦略だ。
できるだけ友好的な雰囲気で話を進められた方がはかどるのに違いないし、相手に好意を持ってもらう、ということは、それだけで効果がある。
人間には、よほど冷徹な者でもない限り人情がある。
そしてそういう部分は、多少なりとも政治に関わって来る。
嫌いな相手ならどんな手段だって平気で用いることができるし、逆に、好きな相手ならば、それが必要なことだと分かっていても非情な手段の実行には
貴族にとっての武器、縁故、というのも、要するにそういった感情だ。
愛する妻が泣いて「我が実家を助けて下さい! 」と頼み込めば、断れる夫はそうそういないし、家族ぐるみでつき合いを持ち、互いに交流し関係していれば、情もわく。
いざという時には味方に付いてくれるし、第一、そういった友好関係にある相手は、絶対に敵にならない。
味方を増やすだけでなく、不要な敵を作らない。
これも、政治の世界では重要なことだ。
政治とは人間が行うもので、人間とは感情に左右される生き物だからだ。
もし何かあって不倶戴天の敵だ、とても断じられてしまえば、どんな好条件を持ちかけても関係の修復は不可能となって、その対処にずっと頭を悩ませることとなってしまう。
ズィンゲンガルテン公爵家はそういった感情の部分を利用して生き延びてきた。
ハインリヒはそのノウハウを引き継いでいるのに違いない。
きっと、優秀な政治家に育つだろう。
そして、ナッジャールはこの席で、外交の重責を担う者として完璧に振る舞っていた。
寛容で、気さくで、タウゼント帝国の文化や風習を尊重し、興味を持つ姿勢を積極的に見せている。
彼と触れ合った者はみな、好意を持たざるを得なかっただろう。
かく言うエドゥアルドでさえ、(できれば、彼とは殺し合いになりたくないな……)と考えてしまっているのだから。
これは、今回成立した講和条約以上の、ナッジャールとサーベト帝国にとっての素晴らしい成果になるかもしれないことだ。
(学ぼう)
そう決心したエドゥアルドは、少なくとも他者からはそう見えるように、精一杯にこの祝賀会を楽しんでみせることにした。
———少年は、自分には才覚があると信じていた。
貴族として生まれ、貴族として生き、貴族として背負った義務を果たすために、
だが、いざ、実際に統治者として世に君臨してみると、何度も失敗を経験した。
軍事では、アルエット共和国のムナール将軍に。
外交交渉では、ハインリヒ公爵に。
自分は及ばないと、そう自覚せざるを得ない。
しかし、それも当然のことなのかもしれない。
なぜならエドゥアルドはまた、成人さえしていないのだから。
彼は、まだまだ、未熟なところが目立つ。
大切なのは、こういった失敗を積み重ねて、
至らない点は他者から学び、ヴィルヘルムやクラウスのような知恵者、ルドルフやアントンのような熟練者に、時にはメイドのルーシェに助けられながら。
エドゥアルドが持っている最大の強みは、若さ、未熟さそのものなのかもしれなかった。
彼には何度も失敗をし、そこから学び、再び立ち上がる機会がある。
己の至らなさを認め、学ぼうとする意欲もある。
そして、その歩みを止めないという覚悟を持っている。
今回の、ヴェーゼンシュタットにおける会談も、また少し、彼を成長させるはずだった。
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