・10-12 第158話:「国交回復:2」
サーベト帝国との講和交渉に当たって、タウゼント帝国側が提示した対案の対案は、以下のようなものであった。
1:現在の国境線に沿って存在する、タウゼント帝国に習俗が近い人々が多く居住する地域は、タウゼント帝国に割譲する
2:サーベト帝国側から提示された五つの地域、ルビーセア、ロアーチク、ロスベニー、テネモンログ、マドニーアについては、一時的にタウゼント帝国が領有するが、その間に準備を行い、可能な限り早期に中立の立場の独立国として自立させる
3:講和の条件として、賠償金のやり取りは行わない
4:サーベト帝国の前皇帝、サリフ八世は、タウゼント帝国が丁重に預かることとするが、セリム四世が求めればいつでも帰国を許可する
5:タウゼント帝国は、サーベト帝国側の求めに応じ、技術顧問団・軍事顧問団を編成し、最新技術・ヘルデン大陸の兵術の導入を支援する
6:サーベト帝国とザミュエルザーチ王国との戦争において、タウゼント帝国はサーベト帝国を支援することを約束し、武器・弾薬の融通を実施する
7:サーベト帝国はタウゼント帝国との通商を速やかに再開する
テーブルの上に広げられた地図には、タウゼント帝国が領有する予定の領土と、新たに独立することとなる五か国が書き込まれていた。
帝国が獲得する領域は、当初の要求通り。
ナッジャールから割譲すると提案された広大な地域は、主要な五つの民族の分布状況に合わせて暫定の国境線が策定され、独立後の情勢が分かりやすくなるようにされている。
地図と、書き記された条文とを交互に見つめながら、ナッジャールは無言のまま。
熟慮しているようだ。
「独立することとなる五か国の正式な国境線につきましては、今後、詳細を決めることになるでしょう。
現地の住民の意向や、事情があるはずですから。
ですが、我が国としては、これらの地域を国家の一部として保有する意思はありません。
できるだけ早期に自立させる準備を整え、独立させるつもりです。
そうして、我が国と、貴国との間に、緩衝国を作ることが最善と判断いたしました。
この措置は必ず、将来に渡って両国が友好関係を構築していく、その礎となると信じております」
そんなナッジャールに向かって、エドゥアルドは包み隠さず、帝国側の意図を伝える。
(これは、サーベト帝国側の国益にも叶う提案であるはずだ)
そう確信してはいるものの、なかなか返答がないことに少年は内心で焦りを覚え、両手に冷や汗がにじんで来る。
相手がこの五つの地域を放棄する理由は、根強い独立運動が続いていることに加え、以前の敗戦が重なり兵力が減少してしまったため、保有し続けることが困難となってしまったからだ。
ザミュエルザーチ王国との戦争を生き延び、伝統的な国家体制から脱却して近代国家に脱皮するためには、反乱の危険が伴う地域を保有し続けることはマイナスにしかならない。
だから、タウゼント帝国に押しつけてしまう。
広大な領土を割譲したということで相手に華を持たせることができるし、過分な条件と引きかえに協力を引き出せれば、自国にとっては有益だ。
うまく厄介払いができて、見返りに支援を得られる。
そしてこれは、将来、サーベト帝国が国家の建て直しに成功した時代のことも見すえてのことでもあるはずだった。
統治の難しい地域を抱え込んだタウゼント帝国はきっと、そこを維持するために難儀することだろう。
多くの労力と費用をつぎ込み、その成長のペースは伸び悩む。
その間に、———逆転する。
国政改革と産業振興を同時並行させながら急速に進め、数十年後にはヘルデン大陸の列強諸国に並ぶ力を手に入れる。
そして、失ったすべてを取り戻す。
領土も、栄光も、すべて。
もし本当に、そうした展望を持っての提案であったのなら、ナッジャールはエドゥアルドからの対案をあまり喜ばないかもしれなかった。
せっかく押しつけたのに、さっさと独立させて緩衝国にされてしまったのでは、脚を引っ張るという効果は見込めないからだ。
「ひとつだけ、質問をよろしいでしょうか? 」
「なんでしょう」
不意に顔をあげて問われて、エドゥアルドは緊張して思わず居住まいを正してしまう。
「我が国が割譲する地域を五か国に分けて独立させ、中立的な立場の緩衝国にする、とのことでございますが。
これは、七つ目の条件、速やかに両国間の通商を再開することとは矛盾しないでしょうか?
アルエット共和国による海上封鎖が続いている現状、交易は陸路に頼らなければならなくなるでしょう。
その際に、これだけ国境をいくつもまたぐことになるのは、不都合なのでは? 」
「確かに、おっしゃる通りです」
うなずきつつ、エドゥアルドは内心で焦りを覚えていた。
率直に言って、失念していたことだからだ。
心なしか、視線を感じる。
ハインリヒだ。
何度も協議を重ねたのにもかかわらず、至らない点があったことに責任を感じるのと同時に、代皇帝がどう切り抜けるのかと、ハラハラしているのだろう。
「独立の準備には、時間がかかりましょう。
少なくとも、一年。
二、三年もかかるかもしれません」
相手に、動揺を悟られないように。
必死に取り繕い、平静を装いつつ、思考を巡らせる。
「それまでは、両国の交易は直通ですから、問題ありません」
「では、その後はどうなさるおつもりで? 」
「独立させた各国にお願いをして、通してもらうこともできるでしょう。
何しろ、余は彼らの恩人となるのですから」
「それはつまり、独立する五か国に対し、タウゼント帝国は強固な影響力を保持すると。
そういうことになるのでしょうか? 」
———疑われている。
直感的にそう悟って、緊張感で身体が強張る。
独立させるとは名ばかりで、その実質は、属国。
そういうことをしようとしているのではないかと、ナッジャールは問いただして来ているのだ。
「こちらとしては、あくまで独立国として、この五か国を自立させるつもりです」
答え方によっては、話がこじれるかもしれない。
そのプレッシャーに震えそうになるのを必死に耐えながら、エドゥアルドは言葉を慎重に選んで答えて行く。
「通商を妨げないようにお願いするというのも、あくまで、アルエット共和国による大陸封鎖令を解除するまでの、臨時の措置です。
我々としては、五か国に対し、必要以上の干渉をする考えはありません。
彼らが自立した国家として立ちいくように独立を認める側としての立場で支援はいたしますが、あくまでそれは、彼らが中立国として存立できるようにするための措置に留めるつもりです。
こちらの同盟国、ましてや、属国のような扱いは、絶対にいたしません」
その説明に、果たして、ナッジャールは納得してくれたのかどうか。
彼はしばらくの間、組んだ手の指先をもてあそびながら考え込んでいる様子ではあったが、最後にはうなずいてくれた。
「よろしいでしょう。
ご提示いただいた条件で、我が国として異議はございません。
喜んで、合意させていただきましょう」
———こうして、今回の交渉は双方が納得し、両国に利をもたらす形で成立した。
サーベト帝国の全権大使は満面の笑みを見せると、ヘルデン大陸の流儀にのっとり、握手を交わすために右手を差し出してくる。
エドゥアルドは深く安堵し、交渉が成功したことの喜びと、まだまだ身につけなければならない事柄の多さを感じながら、しっかりとその手を握り返していた。
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