・10-10 第156話:「対案の対案」
サーベト帝国が割譲を申し出て来た五つの地域。
ルビーセア、ロアーチク、ロスベニー、テネモンログ、マドニーア。
これを、無理に領有する必要はないのではないか。
そこに暮らしている人々が独立を望んでいるというのなら、そうしてしまえばいい。
これによってエドゥアルドは解放者としての名声を得、恩恵を受けた人々からの敬愛を勝ち取ることができる。
帝国の南東部に、こちらに対して好意的で、十分な広さを持った緩衝地帯を形成することもできてしまう。
ルーシェのその提案に魅力を感じたエドゥアルドはさっそく、ブレーンであるヴィルヘルムと、ズィンゲンガルテン公爵・ハインリヒを集め、それぞれの見解をたずねた。
最初、二人は戸惑っている様子だった。
領土を受け取るか、受け取らないか。
その二者択一しかない、という先入観が生まれてしまっていたのだ。
ヴィルヘルムはいつものように顔色を変えることはしなかったが、ハインリヒと一瞬、視線を交わした仕草から、新しく示された提案について意外に思ったのは間違いない。
「大変、興味深い、大いに考慮する価値のある策であると存じます」
だが数秒の間を置いて、彼は主君の方をまっすぐに見ると、そう言ってうなずいてみせていた。
「サーベト帝国からこれほど広大な地域を獲得することは、我々が勝利者であることをより強く印象付けることになりましょう。
そして、その地域を、そこに暮らす人々の望み通りに独立させてやることは、かの地に暮らす者たちを味方につけることにつながるだけではなく、我が国が危険な拡張主義を有していない、穏健な国家であることを示すのにもつながります」
「ふむ……。
強大な、武力侵略を
「はい。
まず、陛下が目指しておいでなのは、このヘルデン大陸に覇を唱え、未来永劫、人々に畏怖されるような覇者として名を残すこと、などではなかったはずでございます。
タウゼント帝国に、次の一千年を迎え得る基盤を作り上げること。
国政を刷新し、殖産興業を果たし、民を豊かにし、強兵を育成するのも、それらによって、誰もが安泰に暮らすことができる場所を作るためだと、心得ております。
その目的を果たすためには、必要以上に諸外国を警戒させる必要はありません。
人は、代えの効かない、国家にとって第一の資産です。
覇権を争って諸外国と戦いに明け暮れるより、彼らとは務めて友好関係を結び、相互に通商を行った方が、発展には役立ちましょう。
そもそも、我が国は諸外国が世界中で行っている植民地の獲得競争には出遅れており、関与できる余地は少ないです。
こうした状況では、無理に領土獲得に走るより、自国の強化に全力を挙げ、質的な増強を進めるべきではないでしょうか。
そういった意味でも、五か国を独立させることは、我が帝国の姿勢を明らかにする上で一定の方向性を示せると考えます」
諸外国と円滑に交易を行うなど、アルエット共和国からの海上封鎖を受け、そういった状況を打開する術を持たない現状からすれば、気の遠くなるような未来の話に思える。
だが、そうなった方が良い、ということは明らかだった。
領土の広さは、その国の豊かさに結び付く。
その事実は、過去も、今も変わりはない。
だが、産業革命の進展によって、新しい道も開かれた。
科学技術と産業機械の発達、蒸気機関の普及と言った動力面での革新。
こういった事例から、自国の領土を無理に拡張せずとも、技術の開発によって国を豊かにする手段が生まれている。
産業が発達すれば、より多くの資源が必要となる。
そうであるのならばやはり領土は広い方がいい、という考えも生まれるだろうが、これまでずっとヘルデン大陸上のことにしか目を向けてこなかったタウゼント帝国は、イーンスラ王国やアルエット共和国のように海外に領土を獲得する基盤を有してはいなかった。
長大な交易路を保護するための海軍力も不十分であるし、この世界にはどんな場所があり、そこにどんな資源が眠っているのかを探索するための拠点さえ有していない。
今さら拡張主義に目覚めて、他国のように躍起になって海外植民地を獲得しようとしても、すでに大きく出遅れてしまっているのだから、追いつけない。
有望な土地の多くはすでに先駆者たちによって占められているだろうし、残された数少ない領域を獲得しようと血眼になって多くの労力をかけたとしても、十分な見返りは期待できない。
しかも、無理に領土を押し広げることは、諸外国に強い警戒心を喚起させてしまう。
そうなるくらいだったら、
必要な資源は、殖産興業を果たし、多くから求められる商品を生み出すことで、それと引きかえに貿易によって確保する。
これはエドゥアルドの施政の基本方針ともなっており、ルーシェの、敵を作らず、味方を増やす、という提案はそれとよく合致していた。
「
ヴィルヘルムに続いて、ハインリヒ公爵もうなずく。
「新たに得られる領地は、以前にも申し上げましたが、統治の困難な場所です。
そこに暮らす人々は外国による長年の支配に恨みを募らせており、旺盛な独立心を有しております。
我が国の領土に組み込めば、その矛先は我が方へと向けられましょう。
また、陛下やヴィルヘルム殿が危惧しておられる通り、極端な拡張主義は諸外国の警戒心を喚起し、今後の外交をやりにくくしてしまいます。
また、
「ならば……、決まりだな。
重臣たちに出した手紙の返事の内容も加味する必要はあるが、基本的にこの方針で行きたい」
「「御意」」
ヴィルヘルムもハインリヒも、
迷いなく賛同してくれている様子だった。
「あとは……、この、対案の対案を、ナッジャール殿が飲むかどうか。
どう切り出すか、だな」
だが、これですべての問題が解決したわけではない。
交渉は、こちらだけでなく、相手方も同意して初めて、成立する。
タウゼント帝国にとっては間違いなく良策と思えるものを、ナッジャールには受け入れてもらえるのかどうか。
言い方、提案のしかたひとつで、結果が左右されることもある。
失敗の出来ない、一発勝負だった。
この後、三人は数日もかけ、慎重に、どういったアプローチで交渉を進めて行くかを煮詰めていった。
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