・10―9 第155話:「メイドの視点:2」
ナッジャールが示した対案。
エドゥアルドたちがどう回答しようかと頭を悩ませている難題だ。
それについて、どう思うのか。
「えっと……。
わたしが、で、ございますか? 」
自身の見解を問われることになるとは、夢にも思っていなかったのだろう。
ルーシェは戸惑い、困ったように眉を八の字にしている。
ソーサーにカップを戻したエドゥアルドは、そんな彼女に向かってあらためてたずねる。
「ぜひ、聞いてみたいんだ。
なにしろルーシェは、僕たちのいないところで、身近にナッジャール殿に接しているからね。
きっと、僕の知らない一面も見ているだろうし、思い至らないことに気づいているかもしれない」
代皇帝たちの前にいる時のナッジャールは、[好青年]そのもの、といった姿だった。
外見は容姿端麗で礼儀正しく、身なりは整っていて、しかも清潔感がある。
その性格も気さくで親しみやすく、向こうから話しかけて来てくれ、こちらのことに関心を持っているのだと積極的にアピールしてくれるし、常に相手の事情にも配慮した言動をしてくれているので好感しかない。
だが、それはあくまで、[政治の場]でのことだった。
一見すると
いつもにこにことしていて、相手にしっかりと配慮し、フレンドリーに振る舞うのは、外交を成功させるために行っているだけに過ぎない。
ただの「いい兄ちゃん」だったら、エドゥアルドたちにあれほど対応の難しい対案を吹っかけては来ないだろう。
エドゥアルドの前では常に神経を研ぎ澄ませ、立ち居振る舞いに気を使い、巧妙に[猫を被って]いるのかもしれない。
だが、ルーシェの前なら、その被り物も取れるかもしれなかった。
なにしろ彼女は一人の使用人に過ぎず、しかも愛嬌があって、ついつい本音を言ってしまいそうになる純粋さがある。
接する相手に警戒心を抱かせない、人懐っこい少女なのだ。
そういった観点からだけでなく、エドゥアルドはメイドの考えに興味があった。
彼女は時々、良い発想を与える、新鮮な見解を示してくれる。
貴族として生まれ、貴族として生きて来たエドゥアルドには分からないことに、彼女は気づく。
いつも仕事を頑張っているご
今回も、なにかヒントになる考えを持っているのではないか。
そんな期待がある。
「わかりました。そこまでおっしゃられるのでしたら……」
うなずくと、ルーシェは真剣な顔で思考を巡らせ、自身の考えをまとめていく。
おそらくだが、彼女は普段から、様々なことを考え、いろいろな意見を持っているのだろう。
だが、自身はメイドである、という意識から、遠慮してそれを口にすることがないだけなのだ。
今回も、そうだったのだろう。
身近なところでエドゥアルドやヴィルヘルム、ハインリヒが話し合っているのを聞いていたルーシェの口からは、すぐに回答が出てきた。
「ナッジャールさまがお示しになられた対案。
それを受け入れると、いろいろと大変なことになる。
けれども、受け入れなければ対外的に、タウゼント帝国が弱く見られて、いらない干渉を受けることになるかもしれない。
だから、どうしようか。
そういった点で、エドゥアルドさまたちはお悩みなのですよね? 」
「そうだな。その通りだ。
ルーシェは、どうすれば良いと思う? 」
「わたしは、ナッジャールさまが提示された五つの地域。
ルビーセア、ロアーチク、ロスベニー、テネモンログ、マドニーア。
一時的に、受け取ってしまってよろしいのではないかと思います」
「しかしそれでは、後々、困ったことになってしまうじゃないか」
「はい。ですから、一時的に、でございます。
この五つの地域の統治が難しいのは、いずれも、そこに暮らしている人々の独立意識が
でしたら、わざわざ抑え込まなくてもよろしいのではないでしょうか? 」
「それは……、つまり……。
それらの五地域に暮らす者たちが望む通り、独立させてしまえばいい、ということか? 」
「はい。そうでございます。
わたしは、そう思うのです」
これまでの発想にはなかった提案だった。
ルビーセア、ロアーチク、ロスベニー、テネモンログ、マドニーア。
サーベト帝国が、支配を維持する困難さから、手放したがっている地域。
受け取ったところで、メリットの見込めない、扱いに困る領土。
なぜ、そんなことを?
「……独立心を満たすことで、そこに暮らす人々を、僕らの味方につけるのか」
「そうでございます!
エドゥアルドさまが勝ち取り、すぐに独立させれば、そこに暮らしているみんながきっと、すごく感謝してくれると思うのです! 」
少し悩んだ後にルーシェの狙いを言い当てると、彼女は正解を言い当ててもらえた、つまり自分の意見がしっかりとエドゥアルドに理解されたことを喜んで、少し興奮した様子で頬を紅潮させる。
(盲点だった……)
そんなメイドの素直さを好ましく思いながら、感心する。
もし、エドゥアルドが独立を望む人々にそれを認めたら。
外国の支配に対しての強烈な反発心は、そっくりそのまま、タウゼント帝国と代皇帝に対する親愛の感情に変化するだろう。
独立することになる、五つの国々。
これらがすべて、友好国になるのだ。
サーベト帝国が行うのではなく、エドゥアルドが行うからこそ、こういった効果がある。
現在の支配者が自ら手放したとしたらそれは、その地域の人々の独立運動が実った、つまり彼らの活動に「音をあげた」ということになる。
だが、戦争に勝利した結果、領土を勝ち取ったエドゥアルドが独立を認めれば。
それは、彼らのためにサーベト帝国からもぎ取ってやった、という形になり、恩恵を施したと受け止められるのに違いない。
一兵を派遣することもなく。
エドゥアルドはそれらの国々を味方につけ、そこに暮らす人々からの敬愛を勝ち取ることができてしまう。
それは、とても金額では言い表せない価値のあることだった。
「それに、サーベト帝国との間には、別の国があった方がいいと思うのです」
「と、言うと? 」
「だって、直接国境を接しておりましたら、またいつ、戦争になるか分からないのです。
間に何か国かあれば、それがクッションになってくれないかな~、と。
うまくすれば、サーベト帝国ともずっとずっと、仲良くできるかもしれないのです」
(なるほど! 緩衝国にするのか……! )
メイドはナッジャールを気に入っている様子であり、だからこそ、良好な関係を築きたい、と考えているのだろう。
そういった個人の心情は別として、政略的に、強大な二つの帝国の間に中立国家が存在することには、大きなメリットがあった。
なにしろ、二大国が直接交戦することを、物理的に阻止する緩衝地帯になってくれる。
国境を接していなければ外交問題に発展する危険は小さくなり、将来的に、両国が友好関係を維持する下地になってくれるかもしれない。
それには、手を加えてやる必要もあった。
せっかく独立させた五つの国々が発展から置き去りにされ、相対的に国力を低下させたら、またサーベト帝国によって併呑されてしまうかもしれないからだ。
だから、タウゼント帝国が手を貸す。
彼らの独立が保たれるように、産業を育成し、自国を防衛するのに必要な軍備を保持させる。
そうして五か国がタウゼント帝国に対し、友好的な中立の立場でいてくれるなら。
彼らはずっと、緩衝国として機能し続けるだろう。
そして、かかる労力も費用も、五か国を領有して維持しようとした場合よりも遥かに小さくて済む。
なにしろ、そこに暮らす人々がみな、積極的に、自発的に協力してくれるのだから。
これは、帝国の南東部の国境地域がすっかり安定する、ということを意味してもいた。
国境を接しなくなるのでサーベト帝国に備える必要がなくなるし、新たに誕生する国々はみな友好国になるから、そもそも警戒する必要がない。
つまりは、そこに配置されていた兵力を削減し、他の地域に、たとえば西方に振り向けることだってできるのだ。
獲得した領土の維持にこだわらず、すぐに独立させてしまう。
その行いはきっと、タウゼント帝国にとって有利に働くはずだった。
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