・10-8 第154話:「メイドの視点:1」

 帝国の重臣たちの意見も聞くべく、交渉の経緯や、ナッジャールが示した対案の内容、そしてそれに対するエドゥアルドたちの見解などをまとめて記した手紙を送り出した後も、代皇帝は気が抜けなかった。


 ただ返事を待つだけ、というわけにはいかない。

 サーベト帝国の全権大使を国賓こくひんとして出迎えている以上、国家元首であるエドゥアルドは、彼をもてなさなければならなかった。


 ほとんどの準備は、会談を開催する場所となったヴェーゼンシュタットの主、ハインリヒ公爵がつつがなく済ませてくれる。


 どうやら公爵にはこういったことに対する才覚や知識があったらしい。

 会談初日にエドゥアルドはナッジャールに対してアルコールを勧めてしまうという理解の無さを示してしまったが、ズィンゲンガルテン公爵はそういったことはしなかった。

 サーベト帝国の習俗に合わせた料理を用意してもてなし、いつでも相手国で好まれる音楽を演奏できるようにし、最大限の配慮と尊重リスペクトをしてくれていた。


(さすが、ズィンゲンガルテン公爵家の当主だ)


 その手腕には、素直に感心させられてしまう。


 先代の当主、フランツとは激しく敵対することとなってしまったが、ズィンゲンガルテン公爵家はノルトハーフェン公爵家と同列であり、敬意を忘れたことはない。


 元々、ズィンゲンガルテン公爵家は外交や政治工作が得意、という評判であった。

 彼らは巧みに婚姻同盟を結び帝国諸侯や諸外国の貴族と縁戚関係を築くことで多くの[ツテ]を確保しており、それを利用して巧みに動き回る。

 バ・メール王国やフルゴル王国のように、王家に対して娘を送り込み、深い関係を築いてもいる。


 もっとも、ハインリヒがサーベト帝国の習俗に通じているのは、彼がタウゼント帝国の南方地域を統括する立場におり、長年に渡って相手方と対峙して来たおかげかもしれない。


 いつ、敵対するかもわからない相手。

 研究せずにはいられなかっただろう。


 そうしたハインリヒの行き届いた手配の下で、エドゥアルドはナッジャールとの交流を続けた。


 ヴェーゼンシュタットや、近隣を観光してもらう際に案内を行ったり、毎晩の夕食会を共にしたり。

 両国の理解を深めるため、自国の文化を紹介するもよおしに参加し、社交パーティなどにも顔を出さねばならなかった。


 エドゥアルドは代皇帝。

 それに対して、ナッジャールはサーベト帝国の皇帝の一族に連なるとはいえ、臣下の一人に過ぎない。


 だが、彼は国家元首に相当する人物として扱われていた。

 それだけ今回の国交正常化に向けた交渉が重要だ、ということもあったし、ナッジャールが皇帝から全権を預けられた、つまりはその[分身]という身分でやってきている、ということもある。


 もし不敬なことがあればそれは、サーベト帝国の皇帝に対して無礼を働いた、ということに受け取られかねない。

 見る者によっては遊んでばかりいるように思えるかもしれなかったが、これらは立派な公務であり、少しも気の抜けない、緊張した時間の連続であった。


 普通なら疲れ果ててしまい、嫌になってしまう所であったが、不思議とそういった感覚はなかった。

 確かに疲労は感じるものの、少しも苦にならない。


 それはおそらく、ナッジャールの人柄によるものだろう。


 彼はエドゥアルドたちに難題を突き付けて来た一方で、タウゼント帝国での滞在を素直に楽しんでいる様子であった。


 会う時は、いつもにこにことしていて機嫌が良さそうで、ずいぶん苦労して習得したらしいこちらの言葉を駆使して冗談を交えながら会話を盛り上げてくれる。

 その内容も、周囲の人々にしっかりと気づかいが感じられる内容で、不愉快に思う場面など皆無だった。


「ナッジャール殿は……、なんというか。

 気さくなお方だな」


 今日のもてなしのイベント終え、自室に戻って普段着に着替え、リラックスしながらソファに身体を沈めたエドゥアルドは、ナッジャールの笑顔を思い起こしながらそう呟いていた。


 なんというか。

 まだ公式には敵である国の人間で、しかも油断ならない、腹黒い政治家という一面を持っていると分かっているのに。

 友人として、好きになってしまいそうだ。


「はい!

 ナッジャールさまは、とっても素敵なお方だと思います! 」


 その呟きが聞こえたのか、エドゥアルドのためにドングリの代用コーヒーを用意していたルーシェが嬉しそうな顔で答える。


「いつも、わたしのコーヒーを「美味しい」ってめてくださいますし、とっても優しくしていただいております」

「へぇ……」


 少しもやもやとした感情を覚えながら身体を起こし、コーヒーを一口。


「うん。今日も美味しいよ、ルーシェ」

「えへへ~。エドゥアルドさまにもめていただけて、毎日幸せです~」


 不意に湧いたナッジャールへの対抗心のようなもののために、敢えて口に出した言葉に、メイドはほくほくとした満足そうな笑みを浮かべる。


 本当に嬉しくてしかたがないのだろう。


(そう言えばルーシェには、ナッジャール殿のコーヒーを淹れてもらっているんだよな)


 その屈託のなさに毒気を抜かれた心地がしながら、エドゥアルドはそのことを思い出していた。


 コーヒーを淹れるのが得意な者なら、ズィンゲンガルテン公国にもたくさんいる。

 サーベト帝国で愛飲されているのと同じかそれ以上に、タウゼント帝国でもコーヒーは大切な飲み物であるからだ。


 ではなぜ他の使用人ではなくルーシェがナッジャールのためにコーヒーを用意しているかと言うと、相手から指名があったからだ。

 いわく、様々な味わいのものが楽しめるから、ということらしいが、———もっと俗な部分もあるのではないかと思えてしまう。


 というのは、サーベト帝国では宗教上の決まりで、女性は人前で肌をほとんど見せないからだ。

 素顔をさらすのは特に身近な者たちの前だけで、普段は布の被り物を身に着けている。


 タウゼント帝国にはそういった習慣はないから、メイドはいつも素顔をさらして、元気に働いている。

 そういうところが新鮮で、より魅力的に見えるのは当然だろうと、普段から彼女に側で働いてもらっているエドゥアルドには、よく想像できるのだ。


(……つまりルーシェは、ナッジャール殿に詳しいわけか)


 コーヒーをすすりながら、ふと、その点に思い至る。


 ルーシェは現在、代皇帝とサーベト帝国の全権大使の、共通の知り合い、ということになる。

 こちらが気づかないような視点を持っているかもしれない。


「なぁ、ルーシェ。

 お前は、ナッジャール殿が示した対案、どう思う? 」


 この際、発想の役に立つならなんでもいい。

 そんな気持ちで、エドゥアルドは彼女にそう問いかけていた。

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