・10-5 第151話:「意外な対案:1」

 来た時と同じようにハインリヒ公爵に案内をしてもらい、ナッジャールを宿泊所に送り届けてもらった後。

 エドゥアルドはすぐさま、ルーシェに頼んでいた。


「ルーシェ。

 すまないが、すぐにヴィルヘルムと、ハインリヒ殿を僕の部屋に呼んで欲しい。

 ナッジャール殿が提示した対案について、二人の意見を聞きたいんだ」

「か、かしこまりました! 」


 代皇帝と共に、サーベト帝国の全権大使が示した、広大な領土割譲の提案を見ていたからだろう。

 主の内心の深刻さを理解しているのか、メイドは急いで向かって行った。


 ———そうしてエドゥアルドの部屋には、彼を含めて四人の人物が集まっていた。


 一人は、ズィンゲンガルテン公爵・ハインリヒ。

 かのフランツの嫡子で、内乱の際には民衆の苦難を避けるためにエドゥアルドの軍にいち早く降伏し、その功を持って家名の継承を認められた人物だ。


 もう一人は、ヴィルヘルム・プロフェート。

 今さら紹介の必要もない、代皇帝のブレーン。


 そして三人目は、メイドのルーシェ。

 彼女は給仕するのが役目だから、国家を左右するような重要な議題について直接的に関わり合いは持たないはずだったが、たまに良い発想をもたらしてくれる。


「———以上が、ナッジャール殿からご提示いただいた講和条件になる」


 会談の場で使用していた地図をそのまま持ち込み、説明を終えた時、ハインリヒは険しい顔を、ヴィルヘルムはいつも通りの柔和な笑顔を浮かべていた。


「あまりにも、破格に過ぎる条件であると思えます」


 まず口を開いたのは、ズィンゲンガルテン公爵。


「これでは、サーベト帝国側の全面降伏に等しい。

 いくら先の戦争での結果があるからと言って、これほどの領土を失うのは、大げさに過ぎましょう。

 かの国の有力者たちも、民衆も、これで納得するのかどうか……。

 なにより、向こう側からこれを提案してきた、という点が、非常に疑わしく思えます」

「と、いうと? 」

「あの、ナッジャール殿が、本当にサーベト帝国の全権大使であるのかどうか。

 わたくしには、信じ難く思えて来てしまうのです」


 そんな、バカな。

 そう笑い飛ばす気には、エドゥアルドもなれなかった。


 もし、自分がこれほどの領土を失うこととなったら。

 国内においては諸侯から見限られるだろうし、民衆からも「暗愚な皇帝」「失地帝」などと蔑称べっしょうされ、バカにされることになるだろう。


 代皇帝という地位を失うだけでは済まない。

 良くて失脚されられた上に、幽閉。

 悪ければ毒殺か、縛り首か。


 殺されてしまう。


 それは、サーベト帝国のセリム四世も同様であるはずだった。

 国体や権力構造が異なるのかもしれないが、絶対君主であっても、臣民の信望を一挙に失うようなことはできない。


 臣民が一斉に離反し、命令しても聞き入れなくなったら、皇帝の名など意味を成さない。

 所詮しょせんは、皇帝も一人の人間に過ぎないのだ。

 強大な権力を有していたはずの専制君主であろうとも、臣下の反逆によって失脚し、命を落とした例など、歴史を探せばいくらでも例が出て来る。


 果たして、そんな危険のある譲歩をするのだろうか。

 いや、そもそも、できるのだろうか。


 ———たばかられているのではないか。

 そう疑いたい気持ちになるのも、当たり前だろう。


 第一、「皇帝の一族の親族だ」などというのは、怪しい。

 よくある言い回しで、「友達の友達は、他人」などというのがあるが、それと似た雰囲気がある。


「その点に関しては、疑わなくともいいだろう。

 ナッジャール殿はサーベト帝国の正規兵に守られ、国旗を掲げてやって来たのだ。

 かの国と何度も折衝せっしょうを行い、あちらの中枢と取り決めた日程通りに訪れてもいる。

 第三者が狂言を企てている可能性は、無視して良いはずだ」


 しかしエドゥアルドはそう結論付けていた。


 偽の全権大使がやって来るなど、あまりにも荒唐無稽こうとうむけい

 彼は堂々とサーベト帝国の国旗を掲げ、二百騎もの騎兵に守られた馬車によって到着したのだ。

 そんなことができる者はそうはいないし、互いに協議した日程通りにやってきたことからも、公的な使節であることを疑うべき点はないと思える。


 それに、直接ナッジャールと対峙したからか、彼の凄みはよく理解していた。

 教養もあるし、頭も切れる。

 サーベト帝国の皇帝の一族に連なる、タージュ家に属する者としての品位がある。


 提示された条件があまりにもこちら側に有利であるためについ疑いたくなってしまうが、冷静に考えてみると、信用せざるを得ないのだ。


「ヴィルヘルムは、どう思う? 」

わたくしとしては、サーベト帝国側の思惑が気になるところです。

 特に、サリフ八世の返還を断ってきた、という点」


 話を振られたエドゥアルドのブレーンは、相変わらず表情を変えずに淡々と話す。


「軍の近代化のために我が国の協力を受けたい、というのは、非常に分かりやすい要求です。

 サーベト帝国は目下、ザミュエルザーチ王国と戦争中。

 れ聞こえて来る情報によれば、戦況はあまり思わしくない、とのことです。

 まして、陛下も、ハインリヒ殿下もご存じのように、かの国の軍隊はあまりにも旧式です。

 ヴェーゼンシュタットの決戦の際には、銃さえなく、長槍を備え、鎧を身に着けた兵が大勢おり、剣を尊重し大事にしている様子でした。

 こうした状況で、先進的なヘルデン大陸流の兵術を取り入れようと試みるのは、合理的です。

 そういった点を考えますと……、サリフ八世の返還を断って来たのも、ある程度の仮説は立てられます」

「仮説か。

 気になるな。ぜひ、うかがいたい」

「はい、陛下。

 おそらくですが、セリム四世陛下は、軍のみならず、自国全体の近代化を図りたいのではないかと考えます」

「国全体の近代化か……。

 サリフ八世の返還を断ることと、どうつながる? 」

「セリム四世陛下が国政を大胆に改革しようとした時、最大の敵となるのは、国内の、旧来からの権力者たちです。

 我が国にも多くの諸侯や発言力を持った有力者、聖職者などがおりますが、形は違えどかの国もそれは同じ。

 そうした勢力を黙らせるためには、それらをまとめていた前皇帝であるサリフ八世は、邪魔なのでございましょう。

 加えて、先の戦いでは、大勢の臣下が我が国の攻撃によって討ち取られています。

 物理的にも旧権力が弱体化している状況ですので、改革を実行するには絶好の機会、と捉えているのでしょう」

「実の父親でも、か……」


 サリフ八世が虜囚となったことで即位したセリム四世は、嫡子だ。

 実の息子だ。


 それなのに、国家の改革を行うために、父親の帰郷を拒む。

 人の情とは相反する行為に思え、あまりの冷徹さに、エドゥアルドはそれ以上の言葉を失ってしまう。


「茨の道でございます。

 ……ですが、陛下。

 だからこそ、わたくしとしては、セリム四世陛下は侮れぬ相手であると存じます」

「父親を見捨てるほどに冷血であるからか? 」

「いいえ。

 徹底しているからです。

 時間はかかるでしょうが、セリム四世陛下は、サーベト帝国の、タウゼント帝国よりもさらに旧態依然とした体制を、必ず改革いたしましょう。

 まして、我が国の助力を得るのです。

 数十年後には、ヘルデン大陸の諸国家と肩を並べる、列強の仲間入りを果たすかもしれません。

 この件、軽々しく受け入れるのは難しいかと。

 よくよく熟慮しなければ、将来に災いの種を残しましょう」

「なるほど、な。

 よくわかった」


 エドゥアルドはうなずきながら、あらためて、今回の外交交渉の難しさを実感させられていた。

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