・10-6 第152話:「意外な対案:2」

 ヴィルヘルムの主張は推論を多く含んでいたが、ナッジャールが示した意外な対案の裏にある真の狙いを、かなり正確にとらえているように思えた。


 近世のままストップしてしまっているサーベト帝国を改革し、作り変える。

 エドゥアルドがタウゼント帝国で行おうとしていることと同じ、いや、それ以上の大事業を行おうとしている———。


 そのために立ち塞がるもっとも強大な敵は、外にはいない。

 内にいる。


 伝統的な体制の中で権力を振るって来た既存の勢力。

 彼らは自身の既得権益を侵されることには断固として反対するだろうし、皇帝が強行しようとしてもそっぽを向き、最悪、反乱を引き起こすのに違いない。


 そうした抵抗勢力を排除し、黙らせるには、今しかない。

 ヴェーゼンシュタットをめぐる攻防戦のおり、改革に反対するであろう臣下たちが大勢、討ち死にした。

 それを危機ではなく機会チャンスと捉え、改革を断行する。


 そのためには、旧権力の象徴であるサリフ八世は、邪魔にしかならない。

 だから、帰還は許さない。

 異国の地でひっそりと、老いさらばえていってもらう。


 それがたとえ、実の父親であろうとも。


「ヴィルヘルム殿のご意見をうかがっている内に、ナッジャール殿が、サーベト帝国側がこれほど広大な領土を割譲かつじょうしようとしている理由が、分かった気がいたします」


 ルーシェに用意してもらったお茶とコーヒーで一息入れていると、じっと悩みこんでいたハインリヒ公爵が口を開いた。


「どうぞ、続きを。

 ぜひ、おうかがいしたい」

「もちろんです、陛下。

 ルビーセア、ロアーチク、ロスベニー、テネモンログ、マドニーア。

 これらの地域は長くサーベト帝国の領土ではありましたが、いずれも、元々は征服した土地でございました。

 それぞれの地域には固有の言語と文化を持った民族が居住しております」

「余は、ハインリヒ公爵ほどにはヘルデン大陸南部の事情には詳しくない。

 詳しくお聞かせ願いたい」

「はい、陛下。

 これらの五つの地域は、かつてはそれぞれ独立した国家であったのです。

 しかしながら、勢威を誇っていたサーベト帝国によって順次攻め取られ、その支配を受け入れざるを得ませんでした。

 といってもそれは、彼らにとってはやはり、不本意なことであったようなのです。

 まったく異なる文化を持った国の支配を強制される。

 それは彼らにとって不名誉な事であり、また、異なる風習にはどうしても馴染めぬ様子でした。

 このため、長年、再独立を求める声が根強くあり、サーベト帝国の勢力が衰えている近年になって、その動きはますます活発なものとなっているのです。

 ———そうした地域を制圧し続けるため、各地へ軍を駐屯させる。

 そのことが、国力の弱まったサーベト帝国にとっては大きな負担となっているのではないでしょうか。

 おそらくですが、セリム四世陛下は、こうした統治上のマイナスとなる地域を、この際大胆に切り捨てて、身軽になってしまおうとしておられるのではないかと。

 近代化を目指しているのではないか、というヴィルヘルム殿の見解をうかがううちに、そのような考えに至りました」

「ハインリヒ殿のおっしゃることには、説得力がある」


 うなずいたエドゥアルドは、テーブルの上に両肘をつき、前かがみになって顔の前で組んだ手の指をもてあそぶ。


 統治上の大きな負担となっている地域を切り捨てる。

 それを受け取ったタウゼント帝国の側は喜ぶのに違いないし、国内で改革を進めるのに当たって足手まといになる要素を排除できる。


 ずいぶん思い切った譲歩をして来たな、と思っていたが、サーベト帝国にとっては、一石二鳥とも言える策なのだ。


「とすると……。

 仮に、これらの地域を我が国が受け取ったとして。

 かなりの負担になりそうだな……」

「おっしゃる通りであろうと思います」


 エドゥアルドの疑念を、すぐさまハインリヒが肯定し、補足してくれる。


「この五つの地域で独立運動が盛んであるのは、元々、自立心が高いからです。

 支配者が我々に代わったところで、彼らにとってはやはり外国。

 反発は続きましょう。

 それらを抑え込むためには、多くの兵力と費用がかかります。

 また、同地は、我が国ほど開発が進んではおりません。

 サーベト帝国で国政が長く停滞していたために、産業化が遅れているのです。

 交易商人たちから聞いた話によりますと、街道こそ石畳で舗装されてはいるものの、維持管理は行き届いておらず老朽化する一方。

 産業も旧来の牧歌的な手工業が主で、我が国にあるような近代的な蒸気機関や水力を用いた工場は、ゼロではないものの非常に数が少なく、規模も小さい、ということです」


 領土が増える! と喜び勇んで飛びついたりしなくて良かったと、代皇帝は内心でそう思っていた。


 確かに領土が増えれば、長期的には得になることが多いかもしれない。

 人口が増えるし、税収も拡大する。

 資源も確保できるだろう。

 現状でさほど開発が進んでいない貧しい地域なのだとしても、手を加えて産業を育成すれば、やがては豊かな土地になるはずだ。


 しかしそれにはいったい、何年かかるというのだろうか。

 十年? 二十年?

 いや、もっとかかるだろう。


 しかもそこに暮らす人々は、自立心が旺盛おうせいで、外国による支配を喜ばないという。


 将来的に利益が見込めるのだとしても、短期的には不利益になる。

 大きな負債を抱え込むと言ってよい。


「この交渉……。

 一筋縄ではいきそうにないな」


 現状を把握したエドゥアルドは、溜息ためいきをついていた。


 破格の講和条件?

 とんでもない!


 大幅な譲歩をしていると見せかけて、サーベト帝国側はしっかりと自国の利益になるように考えていた。


 統治上の負担になる地域を押しつけることで、タウゼント帝国には恩を売り、自分は楽をできる。

 うまくすれば近代化のための支援も受けることができ、国内の改革を加速させられる。


 失った領土は、そうして力をつけた後にまた、取り戻せばいい———。

 そうした見通しさえつけているのかもしれない。


 ナッジャールと会った時、「油断のならない相手だ」と感じていたが、その印象はまったく、正しいものであった。

 彼もまた優秀な政治家であり、狡猾こうかつな策謀家だ。


 領土が増える、などと喜んではいられない。


 そうして、問題のある地域を抱え込んだが最後。

 反乱を抑え込むために多額の出費を強制され、多くの人材を浪費した挙句。

 国力を消耗している間に力をつけたサーベト帝国による巻き返しを受けることとなる。


 エドゥアルドの世代は、大丈夫かもしれない。

 しかしその子供や孫の世代は、どうなることか。


 なんとも悩ましい、難題を突き付けられた格好であった。

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