・10-4 第150話:「ヴェーゼンシュタット会談:3」

 サーベト帝国との交渉に当たって、エドゥアルドたちが特に注意している点がある。


 まず、大前提として、実質はともかくとして、表面的にはタウゼント帝国の側が[勝者]である、という体裁を確保すること。


 決戦となったヴェーゼンシュタットの戦いでサーベト帝国軍を打ち破り、当時の皇帝であり、親征してきていたサリフ八世を虜囚としたのだ。

 戦闘で勝利したのもタウゼント帝国であったし、国家の防衛という戦争目標を達成したのも、こちら側だ。


 もしこれで、相手側に明らかに譲歩した内容で講和を結び、国交を正常化させてしまったら。

 諸外国は、足元を見るだろう。

 勝ったはずのタウゼント帝国がこれほどまでにへり下らなければならないほどに追い詰められているのだ、と、そう解釈をされてしまう。


 それは、国際関係において著しく不利な、悪いイメージが定着することを意味していた。

 エドゥアルドたちの苦境が強調され、その弱体化が強く印象付けられる。


 今が、チャンス———。

 そう捉え、何らかの利益を引き出そうとする国家や、軍事行動に打って出る相手も出てくるかもしれない。


 そういった事態は、なんとしてでも避けなければならない。

 だから、勝者としての体裁を確保することは、絶対条件だった。


 こうしたことから、サーベト帝国の全権大使、ナッジャールに対して示した講和の条件は、以下のようなモノとなった。


 ひとつ。タウゼント帝国は虜囚となっているサリフ八世を釈放し、身柄を返還する。

 ふたつ。上記と引きかえに、サーベト帝国は国境近くの地域を割譲すること。

 みっつ。関係正常化後、両国の間で通商を速やかに回復すること。

 よっつ。以上の条件が満たされるなら、賠償金の支払いは免除とする。


 この四点の条件は、相手側も十分に飲めるはずだ、と見積もられて作られている。


 国家元首を人質としている、ということを考えれば、領土は今要求しているよりもさらに多く奪うことができただろうし、賠償金を獲得することも可能なはずだった。

 だが、あまり吹っ掛け過ぎて交渉が不調に終わっても困るし、長引いても良くない。


 だから、国境近くの領土の割譲だけで済ましている。

 あくまでどちらが勝者なのかをはっきりと示せればよい、という格好だ。


「ナッジャール殿。

 いかがでしょうか」


 条件を示され、熟慮しているのか沈黙を保ったまま組んだ手の指先をもてあそんでいるサーベト帝国の全権大使に、エドゥアルドはたずねる。


 机の上には地図が広げられていた。

 そしてそこには、タウゼント帝国が要求している領土が示されている。

 帝国の南部国境線に沿った地域で、いずれも、サーベト帝国系の人種よりもヘルデン大陸系の人種が多く住んでいる場所だ。


「我が国としては、率直に申し上げてアルエット共和国に対処することが最優先なのです。

 それは、貴国もよくご存じのことであろうと思います。

 また、現在サーベト帝国は、ザミュエルザーチ王国からの侵攻を受けている。

 我が国との一刻も早い関係改善が急務とされているのは、こちらもよく理解しております。

 ですから、このような温和な条件を示させていただきました。

 これならば、セリム四世殿にもご納得いただけると思うのですが」

「いくつか、提示したいことがございます」


 ようやく反応があった。


 ナッジャールは顔をあげ、射すくめるような視線を向けながら言う。


「第一に、ご要求いただいた領土では、貴国が得るものがあまりにも少な過ぎると感じます」

「少ない、と、おっしゃいますと? 」

「何か、書くものをお借りできますか? 」

「いいでしょう」


 うなずき、メイドを呼ぶためにベルを鳴らす。

 かしこまってやって来たルーシェにお願いをしてペンとインクを持ってきてもらうと、「ありがとうございます」と紳士的に礼を述べて受け取ったナッジャールは、地図の上に上書きをした。


「我が国としては、代皇帝陛下のご要求にあった領土に加えまして」


 大きな円が描かれる。

 その光景に、エドゥアルドもルーシェも、目を丸くしてしまっていた。


「これだけの領土を割譲したいと、我が皇帝、セリム四世は考えております」


 それは、広大な土地であった。


 こちら側が要求したのは、国境沿いの一部の領土のみ。

 前と後とを比較して、気持ち、タウゼント帝国が大きくなったかな、と思える程度の、抑制された規模の割譲のみであった。


 しかし、ナッジャールが示した範囲は、その十倍以上もの広範な地域に及ぶ。

 タウゼント帝国の諸侯の中で最大の領土を誇っているのはズィンゲンガルテン公国であったが、それが、いくつも丸々と入ってしまいそうなほどの規模であったのだ。


 それは、現在の国情を考えず、何ら譲歩せずに厳しい要求を突きつけた場合に、提示できる限界と考えられていた領土よりもさらに広いものだ。


 ルビーセアに、ロアーチク、ロスベニー、テネモンログ、マドニーア。

 数百年の歴史の中でサーベト帝国が徐々に侵食し、支配下に置いて来た五つの地域の名前が含まれている。


 その領土を獲得するために、いったいどれだけの血が流されたのだろう。

 それを、こうも簡単に手放すというのは……。


 一瞬、目もくらんでしまうような、破格の条件だ。


「ナッジャール殿。これは……」

「もちろん、これほどに譲歩いたしますのは、我が国として貴国に飲んでいただきたい条件があるからなのです」


 こんなことをして、サーベト帝国の国内はまとまるのか。

 割譲する地域で既得権益を持っている有力者たちや、見放されることになる民衆は、納得するのか。


 そう懸念けねんを示そうとするエドゥアルドを制し、言葉を続けたナッジャールがつけ加えた要求は、二点あった。


「ひとつは、現在進行中のザミュエルザーチ王国との戦争で、タウゼント帝国には明確に、我が方につく、という態度を示していただきたい。

 援軍を派遣していただくことが理想ですが、遠方でもありますし、西に大敵を抱えている貴国の状態では、難しいということは承知しております。

 ですから、武器の援助、そして、将校団を派遣し、我が軍に対してヘルデン大陸流の、最新の兵術を授けていただきたい。

 そして、もうひとつ。

 前皇帝、サリフ八世を、我が国に返還しないでいただきたい。

 このまま、タウゼント帝国で丁重に預かっていて欲しいのです」

「支援については可能だと思いますが……。

 しかし、なぜ、前皇帝を? 」

「このどちらも、欠かせぬことなのです。

 もしお飲みいただけるなら、今お示しいたしました領土をすべて、割譲かつじょういたしましょう」


 戸惑うエドゥアルドに、ナッジャールは力強くうなずいてみせる。


 彼は、———本気だ。


「これほどの条件、容易には決められそうもありません。

 ……申し訳ありませんが、いったん、我が臣下に相談する時間をいただけないでしょうか? 」


 その気迫に圧倒されてしまった代皇帝は、そう言うのが精いっぱいだ。


 サーベト帝国の全権大使は、落ち着き払っている。

 そういう答えが返って来るだろうと、あらかじめ予想できていたのだろう。


「よろしいでしょう。

 我が国としても、よくご検討いただいたうえで、受け入れていただいた方がいい。

 いくらか、お待ちいたしましょう。

 ですが、あまり長くなり過ぎますと、困ります。

 なにしろ、我が国は現在、ザミュエルザーチ王国と戦争中でございますから。

 ひと月の間、来月の、今日と同じ日付までに、ご返答をいただきたい」

「承知しました。

 なるべく早く、お返事いたしましょう」


 こうして、二大帝国による会談はいったん、お開きとなった。

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