・10-3 第149話:「ヴェーゼンシュタット会談:2」

 ヴェーゼンシュタットはズィンゲンガルテン公爵家が代々本拠地として来た都市だ。

 タウゼント帝国の南部地域の中枢でもあり、政治・経済の中心地として栄えてきた。


 人口は二十数万で、産業革命期を迎えてから増加傾向にある。

 何度も市域を拡大してきた影響で何重かの城壁を持ち、いくつもの防御塔を有するその姿は、古くからここが豊かな都市であったことを示している。

 現役の防衛線となっている外縁部の城壁は一部が近代的な星形要塞となっており、数年前に攻防戦の舞台となった際には敵軍の侵攻から防御するのに役立ってくれた。


 少し戦況が違っていたら、勝者として君臨できていたかもしれない都市。

 そこにサーベト帝国の全権大使としてやってきたナッジャール・タージュは、かなり若い。

 青年だった。


 事前にかき集めることができた情報によれば、二十二歳。

 まだ成人していないエドゥアルドからすれば年長ではあったが、衰えたとはいえ大国の全権を任され、皇帝に代わって外交を行う人物としては、どうにも未熟過ぎるのではないかと不安になってしまう。


 不確かな情報ではあったが、決め手となったのは、先の戦いで現役の皇帝であったサリフ八世がタウゼント帝国の虜囚となってしまったために急遽きゅうきょ即位した、セリム四世の親友であるから選ばれた、らしい。


 セリム四世も二十代前半の青年であり、ナッジャールは彼と幼い頃からの親友で、特に信頼されている。

 サーベト帝国の特権階級出身で教養も身に着けているだろうし、他に任せられる人物はいない、との考えなのだろう。


 もっとも、それを迎えるタウゼント帝国側の主要人物も、若いのは同じだ。

 代皇帝・エドゥアルドは十九歳になったばかりだったし、ズィンゲンガルテン公爵・ハインリヒも二十一歳になったばかりだ。


 こうした次世代同士による会談は、異例のことであるだろう。

 だが、双方が背負っている責務は、どちらも重大だ。


 到着して早々ではあったが、さっそく、エドゥアルドはナッジャールと会うことになっていた。

 まずは長旅の疲れを癒してもらうために数日はゆっくりとし、友好ムードを作るために歓迎のもよおしなどを開くつもりでいたのだが、相手側がすぐに交渉を開始することを求めてきたので、それに応じた格好だ。


 数段にカールを重ねた長く美しい金髪を持ついかにも温厚そうな外見をしたハインリヒ公爵に案内されてやって来たナッジャールは、ソファから立ち上がって出迎えたエドゥアルドの姿を見つけるとヘルデン大陸流の礼儀作法にのっとって一礼をした。


 ハンサムな男性だ。

 肌は浅黒くヘルデン大陸の人々とは異なっているが、その顔立ちは左右の均衡がとれ整っており、鼻が高い。

 髪の色は黒曜石のように黒く、肌の色の濃さに負けていないが、ひげは体質なのか、はたまた理由があって剃っているのか、生えていない。


 そしてなにより、スラリとした引き締まった印象の長身で、立ち姿に見栄えがする。

 ヘルデン大陸の社交界にデビューしたらきっと、多くのご婦人方の目を奪い、多くの殿方からの嫉妬と対抗心を集めることだろう。


(聞いていた通りに若い……。そして、手強そうだ)


 口では「よく参られました。さぁどうぞ、遠慮なく腰かけていただきたい」と言いながらも、内心では警戒心を強めている。


 物腰が、堂々としている。

 実質的な交戦こそ停止しているとはいえ、公式には未だに戦争状態の相手のふところ、いわば敵地に乗り込んできている、というのにも関わらず、恐れや怯えはどこからも感じられない。

 ましてや、異文化の、言語・風習がまったく異なる、彼らの[常識]が通用しない相手を前にしても、その礼節を完璧に再現して見せている。


 きっと、高い教養を持ち、頭の回転も速く、狡猾なのだろう。

 穏やかではあるものの、鋭さを合わせ持つ、どこかギラついた覇気を感じさせる双眸そうぼうからも、ナッジャールが単に皇帝のお気に入りだから選ばれた貴族のお坊ちゃんなどではない、ということがわかる。


 油断ならない相手だった。


「この度は、代皇帝陛下と直接、交渉できる場を得られ、誠に感謝しております」

「これは、驚きました……。

 こちらの言葉がお分かりになるのですか? 」

「はい。

 実は幼い頃より、勉強しておりました。

 わたくしも、我が皇帝・セリム四世も、ヘルデン大陸諸国の進んだ科学技術に興味を持っておりまして。

 常々、我が国にも取り入れたい、教えを受けたいと願っていたのです」


 口を開くなりまた驚かされる。


 通訳の者がいないな、とは思っていたのだが、ナッジャールは流暢りゅうちょうにこちら側の言語を使いこなすことができるのだ。


「大変、驚きました。

 こちらは、貴方たちの言葉は話すことができません。

 その努力、大変素晴らしく、見習うべきものであると感じます」

「恐縮です、代皇帝陛下」


 互いにソファに腰かけ、軽く言葉を交わす。


 会談の席は、丸テーブルを囲み円形にソファを並べる形でセッティングされていた。

 というのは、どちらが上座・下座、という序列でめたくはなかったからだ。


 互いに対等な立場での交渉ということになっている。


「失礼いたします。

 お飲み物は、いかがなさいますか? 」


 その時、うやうやしく一礼して退出していったハインリヒ公爵と入れ違いになって、メイドのルーシェがコロコロとカートを押して入室して来る。

 その上には赤と白の上等なワイン、そしてエドゥアルド用のコーヒー、そしてチーズや果物、お茶菓子などが乗せられている。


「その銀のポッドの中身は、コーヒーですか? 」

「はい。そうでございます」

「でしたらわたくしは、その、コーヒーを」

「ナッジャール殿、どうか、ご遠慮などなさらず」

「いえ、代皇帝陛下。

 わたくしは、我が国の宗教上の理由で、アルコールは飲まないのです」

「なんと、そうだったのですか……」

「ええ。国民も多くはそうです。

 その代わり、我が国ではコーヒーが盛んにたしなまれています。

 かく言うわたくしも、好んでいます」


 エドゥアルドは内心で、(しまったな……)と後悔していた。


 彼自身は信仰心が希薄であるために、宗教的な視点を持つことがなかなかない。

 だが、ナッジャールは自国で信じられている宗教をあつく信仰し、大切にしている様子だ。

 そんな相手に、もてなしにはつきものだろうという先入観で彼らの宗教では禁じられている酒を用意してしまったのは、配慮が足りていないことだった。


「これは……、良い香りです」

「おめいただきまして、光栄です!

 お砂糖とミルクは、いかがなさいますか? 」

「では、どちらも少しずつ。

 しかし、これは貴女が淹れたのですか? 」

「はい。そうでございます」

「感心しました。ずいぶんお上手ですね」

「えへへ~。光栄です~」


 エドゥアルドはさっそく背中に冷や汗をにじませていたが、ナッジャールは機嫌を損ねた様子もなくにこやかにメイドと話している。


 そのことにほっとしつつ、お互いにコーヒーを楽しむ。

 どうやら香りだけでなく味わいも気に入ってくれたらしく、サーベト帝国の全権大使は満足そうだった。


「それでは、さっそく。

 我が国の方から提示する講和の条件について、お話をさせていただきます」


 カップをソーサーに戻し、メイドが「ご用がございましたら、いつでもお呼び下さいませ」と一礼して去っていくのを見送ると、代皇帝は早速、こちら側の条件を切り出した。

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