・4-16 第68話:「河畔の戦い:1」

 今回の戦争で帝国側が立てていた作戦は、持久戦を基盤としたものであった。

 代皇帝であるエドゥアルドも、参謀総長のアントンも、グロースフルスという天然の障壁を利用して短期決戦に持ち込むという構想を抱いていたが、半ば強引に司令官の座に収まった帝国元帥、ヨッヘム・フォン・シュヴェーレンはそれを変更し、敢えて敵を引き込み、そして長期戦に持ち込むことを考えている。

 敵は大軍。

 それゆえに強く、それゆえに弱い。

 正面から決戦を挑めばその数の優位、そしてアレクサンデル・ムナール将軍の高い指揮能力によって、帝国側の勝算は低いものとなってしまう。

 だから、時をかける。

 大軍であるために共和国軍は多くの物資を必要としている。

 それなのに彼らは敵地に乗り込んできており、物資の追走には多大な労力とコストがかかり、現地調達にも限度があるから、対陣が長引けば長引くほど困難な状況に陥っていくこととなるだろう。

 まして、彼らの補給線は、グロースフルスという天然の障壁によって分断され、制限されている。

 その点、帝国側の体制は強固だった。

 本国の防衛戦であるから民衆からの支援に期待が持てるし、事前に兵站システムを整備し、物資集積所と中継基地を経由した円滑な補給を可能としていることから、時間をかけてもその戦力はほとんど減衰しない。

 今年の春には徴兵も開始され、秋ごろには実戦にひとまず耐えられるだけの基礎訓練が終わり、戦列に加えられる見込みでもある。

 彼らを前線に送り出すには心もとないが、様々な事情で後方に配置している熟練兵と交換させれば、エドゥアルドが率いている軍隊を増強することができる。

 時間が長くかかるほど、共和国軍と帝国軍の戦力差は埋まっていくのだ。

 長期戦は帝国側にとって有利と言えた。

 ただ、この作戦では帝国領の一部を長期にわたって敵の占領下としてしまうことから、そこに暮らす人々の生活に多大な影響が予想される。

 こうした点もありエドゥアルドたちは短期決戦を意図していたのだが、乾坤一擲けんこんいってきの戦いに臨むリスクをヨッヘム公から指摘されてしまった今となっては、賭けの要素を強く持ったその作戦をあらためて採用するつもりにはなれなかった。

 出たところ勝負、戦術能力の勝負で、ムナール将軍に勝てるとはどうしてもイメージできなかったのだ。


「さてさて。まずは、敵の一部を削り取らせていただきましょう」


 一時的に敵軍の占領下におかれる自国民のことが気がかりであったが、エドゥアルドはそのヨッヘム公の言葉で顔をあげ、気持ちを切り替えると、帝国軍に対して出撃命令を下していた。

 ———帝国元帥が進言したのは、三つに分かれて渡河を試みて来る共和国軍の中央ではなく、その端、もっとも上流側の一軍を攻撃する、というものであった。

 作戦として最大の効果を望むことができるのは、中央の敵軍を撃破することであった。

 そうして右か左に旋回し、左右どちらかの敵軍を襲って打ち破り、最後に残した敵軍を攻撃すれば、こちらは時間差を設けて順番に、効果的に敵の全軍と戦って勝利することができる。

 だがこれは、中央の敵軍を攻撃している間に左右の敵軍が援軍として到着しない、という前提条件で初めて成立する作戦だ。

 もし手間取れば、こちらが逆に、包囲・殲滅されてしまうのである。

 そしておそらく、敵将、ムナール将軍は、帝国側がこのような積極的な攻勢に出ることも十分に想定して作戦を考案しているはずだった。

 そういったことに思い至らない迂闊うかつな敵将であれば、帝国軍はかつてラパン・トルチェの会戦で敗北しなかったであろうし、現在のようなアルエット共和国にとって盤石な情勢ができているはずがない。

 ヨッヘム公の見立てでは、敵の中央軍はムナール将軍自身が指揮しているはずであった。

 帝国元帥であれば確実にそうしているし、それは、敵も同じであろうと。

 敵将の高い戦術能力があれば、帝国軍が全力で襲いかかっても、他の渡河点からの援軍が到着するまで持ちこたえてしまう可能性は十分にあった。

 こうした理由で、最大の戦果をもたらすはずの野心的な作戦は不採用となり、より消極的だが安全な作戦を採用したのだ。

 三つの渡河点の内、上流側から、上流軍、中央軍、下流軍と、仮に敵のことをこう呼称した時、中央軍ではなく上流軍を攻撃することに決めた理由は三つある。

 一つめは、もっとも距離が近く、最短時間で駆けつけることができること。

 二つ目はそこが架設橋を必要とする渡河地点であり、完成までに時間がかかり、一度制圧して破壊すれば再度敵が渡河して来る可能性を小さくできること。

 そして三つめは、仮に敵を撃破するのに手間取って他の場所から渡河して来た敵が来援したとしても、包囲される危機を安全に脱することができるということだった。

 距離が近ければより早く到着でき、敵が完全に渡河を終える前に攻撃を開始できるかもしれない。

 もしも敵の他の軍が駆けつけて来ても、そのままグロースフルスの上流側、すなわち南側か、帝国領内、つまり東側に後退すれば、包囲される心配をせずに撤退することができる。

 理想は、敵の上流軍を完全に捕捉し、撃滅できることであった。

 だがそうできなくとも、とにかく数を減らしておく。

 そういう狙いでの軍事行動だ。

 ———帝国軍はノルトハーフェン公国軍の第一師団を先鋒として、五十キロ西方で架橋を開始した共和国軍目指して進軍を開始した。

 ペーター・ツー・フレッサー中将に指揮された同師団が選ばれたのは、彼らがもっとも経験豊富で信頼できる部隊であるのと同時に、現在の編制での戦い方に特に習熟しているからであった。

 それに、強行軍にも長けている。

 元々ノルトハーフェン公国軍は他の諸侯の軍隊よりも歩調が早く、行軍ペースが速いことで知られていた。

 だから他の部隊よりも素早く進んで行けると期待できる。

 敵の態勢が整わない間に敵地に到着し、攻撃を開始するために選ばれたのだ。

 ペーター中将にはこの他に騎兵部隊が割かれて指揮下に置かれ、小さな軍団が編成されている。


「よぉし、みんな、進め、進め! エドゥアルド陛下ともっとも長く一緒に戦って来た部隊がどの部隊だったか、大陸中に示してやろうじゃないか! 」


 先鋒という重要な役割を任されたペーターは張り切ってそう号令し、歓呼の声と共に、勇んで戦場へと向かって行った。

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