・4-15 第67話:「三か所同時」

 共和国軍が渡河を開始した。

 それも、三か所で同時に。

 その報告がもたらされたのは、敵軍がグロースフルスの対岸にあらわれてからさらに二週間以上が経過した、三月十一日のことであった。

 ムナール将軍は既存の作戦構想を変更し、その下準備にこれだけの期間を要したらしい。

 彼が渡河地点として選んだのは、グロースフルスの上流側から、流れが緩やかで架設橋によって渡河できる地点、川幅が広がるものの浅瀬になっていて徒歩での渡河が可能な場所、そして中州がある場所を選んでかけられた石造りの連続アーチ橋のある個所。

 それぞれの渡河地点は数十キロメートルほども離れており、最寄りの場所でもエドゥアルドたちから西へ五十キロメートルも向かう必要がある。

 共和国軍は兵力を三つに分散させ、予定を合わせて同日に渡河を開始するという作戦を選んだらしかった。

 兵力を分散させるという愚を犯した、とすることもできる。

 それでも三十万の総兵力を単純に三つに分割したとなると、どの軍も十万の兵力を保有しているのだ。

 十五万の帝国軍を集中すれば打ち破れる規模ではあった。

 だが、兵力差はあまり大きくはなく、殲滅せんめつするまで時間がかかってしまう。

 もしもその間に別の渡河点を渡って来た共和国軍に攻撃されれば、前後から挟み撃ちにされるだけでなく、兵力でも敵に優越されてしまうことになる。


「やれやれ。悩ましいところを突いて来るわい」


 情報が出そろい、概ね敵の出方が判明した時、今まで余裕を崩さなかったのにプリンツ・ヨッヘムはしかめっ面を浮かべていた。

 つまり、ムナール将軍の作戦はこうだ。

 並列して対処不能なほど距離を開いた三か所で同時に渡河を開始。それも十万という、帝国軍の兵力では勝てても容易には決着をつけがたい数を展開する。

 帝国側が思ったよりも兵力の分散が小さいことに逡巡しゅんじゅんし、動きを見せないのならばそれで良い。

 三方から渡河した共和国軍はそのまま進撃した上で合流し、二倍の兵力で決戦を挑むか、あるいは、帝国側の要地の占領を目指す。

 もしエドゥアルドが渡河中の迎撃を選んだ場合には、攻撃を受けつつ時間を稼ぎ、別の渡河地点からの部隊を急行させて挟撃する。

 古の名将に、「兵力は、多ければ多いほど上手に用いることができる」と述べた者がいる。

 まさに今回がその例であった。

 帝国軍側が待ちに徹した場合には悠々と渡河を終えた上で二倍の大兵力で正面から決戦を挑み、もし積極的に仕掛けて来たらその場で決戦に持ち込み、他から急行して来た別の軍と挟撃する。

 いずれの場合でも、共和国軍の勝算は大きかった。

 兵力で優越することを生かした作戦になっている。


(十万、というのが微妙なラインだ)


 表情には出さないようにしていたものの、代皇帝の席に腰かけていたエドゥアルドは困惑していた。

 手を出したい気もするし、出したくない気もする。

 そんな絶妙に迷うところを突いた兵力の分散具合になっているのだ。

 ———そこで、本営に詰めていた参謀の一人が血相を変えて立ち上がった。


「陛下。これは、絶好の機会ではございませんか!? 」

「機会である、と? 貴官の考えを教えてもらえるだろうか? 」

「はい、陛下。敵は三方に兵力を分散いたしました。我が方としては直ちに急進し、この内のひとつを攻撃するべきであると存じます。まずは、三つの渡河点の真ん中を進んで来る敵軍を。これを撃滅した後、我が方は素早く左か右に旋回し、残る二つの敵軍の一方を撃破いたします。そして、最後に残る一軍を攻撃するなり、退却させるなりすれば、この戦いでの勝利は確定いたしましょう。分散した敵を、時間差を設けて各個に撃破するのです。我が軍十五万で敵軍十万を順番に攻めることとなりますから、十分に勝算はございます! 」


 三方に分かれて進んで来る敵の中央をまず討ち、次いで、右か左の敵に向かい、これを攻撃する。

 成功すれば理想的な結果になるだろう。

 左右の敵軍はもっとも距離が離れているから、合流するのには時間がかかる。その時間の間に、分散した敵兵力を順番に駆逐していくことができるのだ。


(どこかで聞いたような作戦だな……)


 漠然と既視感を覚えながら、しかし、エドゥアルドはこの作戦に魅力を感じていた。

 もしうまく行けば、それは、それは、見事な勝利が得られるだろう。

 半分の兵力で、敵を次々と撃破し、壊滅させることができるのだから。

 歴史に残り、数百年、いや、千年先でも語り継がれるほどの、鮮やかで華麗な、大勝利になるのに違いない。


「発想としては、積極的で大変よろしい。しかしながら、それがしは反対でございます」


 だが、その作戦には、ヨッヘム公が異を唱えた。


「第一に、中央の軍を撃破するのに時間がかかりますと、我が方は左右に分かれた共和国軍に挟撃され、三方向から包囲、殲滅せんめつされる恐れがございます。それがしのような一軍の将ならまだしも、国家元首たるエドゥアルド陛下が直卒なさっている軍で、そのようなリスクは負うべきではございませぬ。国家存亡の危機につながりましょう。そしてなにより、それがしであれば、自らが中央の軍を指揮しております。苦戦するのは必定、というものでありましょう」


 帝国元帥は「言わなくてもお分かりになりますでしょう」といった雰囲気で明言しなかったが、エドゥアルドにはその意図がよく理解できた。


「ムナール将軍がいる、ということか……」


 この時代で随一の軍略家であるムナール将軍であれば、この、三方から同時に渡河する作戦を好機ととらえ、帝国軍が最大の戦果をあげることを狙って襲いかかって来るのを予想していてもおかしくはない。

 だとすれば、彼自身が、作戦の要、弱点ともなる中央の軍を率いているのに違いない。

 そうなると厄介だった。

 ムナール将軍が率いている精鋭の軍団を短時間で撃破できるという自信などまったくない。

 中央の軍を攻撃しててこずる間に左右の軍が到着してしまっては、帝国軍は全滅するしかなくなってしまう。

 国家元首である代皇帝が戦死するか、捕虜となるとなれば、帝国始まって以来の大敗北ということになるだろう。

 主力軍を失ったこの国は指導者不在のまま混乱し、共和国に屈服するしかなくなってしまうし、その後の建て直しに失敗すれば、この敗北をきっかけとして衰亡の一途をたどることになる恐れがある。

 帝国に次の一千年に耐えるだけの基盤を作る。

 それを成し遂げることのできる人材は、今のところエドゥアルドしかいないのだ。

 その旗頭を失うような、国家存亡の危機を招くリスクは、犯せない。

 これが新進気鋭の、自身の大望を叶えるために前に、前にと突き進んでいく一軍の将であれば、この賭けに出ることは十分にあり得たことなのだが。

 エドゥアルドは、代皇帝という立場にいるのだ。


「ただ、やはりなにもせずに手をこまねいていることもありますまい。それがしとしては、より安全に、堅実に、敵の兵力を削るべきであろうかと存じます」


 自身の責任の重さと、状況の困難さを思い知って沈痛な表情を浮かべ押し黙ったエドゥアルドだったが、そんな彼に向かって励ますように、プリンツ・ヨッヘムは代替案を提示してくれた。

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