・4-14 第66話:「敵、来たる」

 先にムナール将軍にされたことを、そっくりそのまま、やり返す。

 なかなか小気味の良い話だった。

 成功すれば最小の犠牲で最大の戦果を挙げることができるし、うまくすれば、三十万の敵軍を一気に壊滅させることもできてしまうかもしれない。

 なにしろ、退却しようにも敵は一斉に共和国へ引き上げることができない。

 間にグロースフルスという大河があり、渡河可能な場所は限られているからだ。

 万全の迎撃態勢を構築した帝国軍に跳ね返され、逃げる共和国軍を河畔まで追撃すれば、その戦果は絶大なものとなっていることだろう。

 ———もちろん、すべてがこちらの思惑通りに行けば、の話ではあったが。


「陛下も、我が弟子も、正直に過ぎるところがございまするぞ」


 ヨッヘム公の考えを聞きすっかり感心してしまったエドゥアルドだったが、純粋じゅんすいに尊敬のまなざしを向けて来る少年代皇帝に、よわい七十歳を超える帝国元帥はやや困った様子で肩をすくめていた。


「戦争は短い方がいい。これは鉄則です。その方が民の経験する労苦が減りますし、戦費も減り、兵の損失も抑えられますからな。ですが、駆け引き、というのをもっと意識するべきでしょう。愚直に短期決戦を挑むよりも、少ない損失で、ラク~に勝てることもありますからな」


 真っ向勝負だけがすべてではない。

 押して、押しまくるのではなく、引いてみる。


(よく、覚えておこう……)


 エドゥアルドはヨッヘム公に対する尊敬の気持ちと共に、そうした視点を失わないようにしようと心に刻み込んだ。

 ———共和国軍がグロースフルスの対岸に姿を見せた。

 その知らせが届いたのは、この種明かしを聞いてから、数日後。

 建国歴千百三十六年の二月二十四日のことだった。


「いよいよ、か」


 グロースフルスの警戒監視に当たっていた部隊からの緊急の報告を受けたエドゥアルドは、来るべきものがついに来たのかと、身を引き締めていた。

 敵が出現したのは、帝国軍がいる場所から百キロメートル以上も離れている場所だった。

 一般的な行軍ペースで十日、無茶な強行軍をやって五日といった距離。

 警戒部隊からの早馬が到着するのにかかった時間を考慮すると、昨日、二月二十三日には共和国軍の先鋒が姿をあらわした、ということになる。


「まぁ、まずは様子見、ですかな」


 その報告に帝国軍の本営に詰めていた者たちはみな気色ばんだが、一人、帝国元帥たるヨッヘム公だけは態度を変えず、ボードゲームを指し続けていた。


「まずは、敵をこちらの領内に引き込むから、ですね? 」

「左様。ただ、もしつけ入る隙がありましたら、その際は積極的に攻撃を仕掛けることも考慮しておくべきでしょうな。敵の兵力を我が方の損害を抑えつつ削っておくことができるなら、それに越したことはありますまい」


 基本方針は変わらない。

 敵をこちらのテリトリーに引きずり込み、補給線を脅かすことで、一か八かの攻勢に打って出るしかない状況に追い込み、こちらが設定した地で雌雄を決する。

 どの地を決戦の場にするか。

 エドゥアルドたちはすでにその候補を数か所にまで絞り込んでいる。

 この点は、几帳面な参謀総長、アントンが事前に共和国との国境地域の正確な地図作りを行ってくれていたおかげで非常にスムーズに物事が進んでいた。

 参謀たちの手によって迅速な行軍と展開、野戦築城、その後の補給の手配の準備などが済んでいる。

 戦場に適した地形に検討をつけ、そしてその場所にいつでも陣地を構成できるように、先んじて人を集めて建築資材などの用意も進めている。

 敵を引き込んで迎え撃つ態勢は強固なものとなりつつあった。

 だが、敵があからさまにつけ入る隙を見せた時、たとえば兵力を大きく分散させた場合などは、その一部を容赦なく切り取る。

 そういうヨッヘム公の考えに異論はなかった。

 やはり敵の兵力は少なければ少ない方がいい。

 こちらの損害を最小限に抑え、受ける痛みに見合う戦果が望めるのならば、迷わずに襲いかかるべきだ。

 だがそれも、帝国元帥が言う通り敵の出方次第だ。

 まずは受け身に徹する。

 その方針を堅持したエドゥアルドは、警戒監視の部隊に連絡を密にするように、そして敵が渡河を試みてきた場合は、無理に阻止せず敵を誘引するように、と指示を出し、じっくりと腰をすえて待った。

 ———グロースフルスの対岸に姿を見せた共和国軍であったが、それ以降はなかなか動きを見せなかった。

 おそらくだが、河向こうに帝国軍が展開している、それも警戒監視の小部隊の後ろ側には代皇帝に直卒された主力軍がいるらしいことを知って、面食らったのだろう。

 この点は、タウゼント帝国が未だ皇帝を頂点として諸侯と共同統治を行っている独裁色の強い寡頭制かとうせいである、ということが役立っていた。

 共和国は、議会による議論と議決を経た上でないと大々的な軍事行動はできない。

 しかし帝国は、国家元首であるエドゥアルドが「出陣する」と決めれば、軍事行動を起こすことができるのだ。

 参謀本部を設立し、事前にいくつもの状況を想定して軍隊の動員と機動、展開の計画を練り、その準備をしていた、ということも大きい。

 これらの差が、先に出兵を決めたのが共和国側であるのに、帝国側の方が先に軍事力を展開できている、という現状を生み出していた。

 だがそれで、ムナール将軍は渡河を諦めたりはしなかった。

 数百キロメートルにもなる国境線のすべてを十分に守りきれるだけの兵力は双方とも持っていなかったし、先に対岸に敵軍がいようとも対処する術はいくらでもある。

 そしてなにより、三十万という大兵力を動員できた共和国軍に対し、帝国軍は十五万。

 元々国境地域を守備していた諸侯や帝国陸軍の小部隊などを勘定に入れても、兵力ではムナール将軍の方が圧倒的に上回っている。

 勝てる戦いに見えるのだ。

 さらには、世論を味方につけて出兵にこぎつけた、という背景もある。

 これで戦いもせずに帰還したら、彼の名声と信望は大きく傷つくことになるだろう。

 今さらすごすごと引き下がる理由はないし、そうすることもできない将軍は、元々の構想に修正を加えて攻勢を決行した。

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