・4-11 第63話:「奇妙な布陣:3」
ヨッヘム公は、参謀総長のアントンが立案していた作戦案について、「小賢しい」という評価を下しているらしい。
そこには確かに一定程度の知恵が込められている。
だがそれは小さなもの、本来の賢さ、
(わからない……)
グロースフルスから五十キロメートルも帝国側に入り込んだ場所に本陣を置いてから、数日。
遠隔地から招集された諸侯の軍が続々と参集し、頼みとするノルトハーフェン公国軍も到着して、予定した動員兵力が整いつつある時になっても、エドゥアルドには[正解]が見えてこなかった。
こうしている間にも、共和国軍との対決の時は迫りつつある。
帝国の諜報網を統括している前オストヴィーゼ公爵・クラウスからの指示で、共和国内に放たれている諜報員は報告を帝都に送る途上で帝国軍の陣中にも知らせていくのだが、ムナール将軍はすでに軍団の編制を終え、グロースフルスに向けて進軍を開始しているのだという。
その数は、三十万。
以前に動員された五十万という大軍勢に比べればずいぶん減りはしたが、それでもこちらの倍の兵力を保有している。
ムナール将軍が焚きつけた新聞報道によって共和国内の世論が沸騰し、議会も動かざるを得なかったのだが、国家的な英雄に無制限の軍権を認めることには警戒心が働き、全力での動員は行われなかったらしい。
これには、近年くり返される出兵の度に兵士として招集されていてはたまらないという、民衆側の事情もある、という報告も受けている。
予備役とはいえ、一度軍を離れてからはそれぞれの生業について働いている。
短い間隔で招集されて現役に復帰させられるのではそういった仕事に支障が出て来てしまうし、経済にも混乱が生じて来てしまう。
帝国に徴兵制を導入しようとしているエドゥアルドにとって、予備役を短い間隔で再動員できないというのは今まで失念していたことであり興味深い教訓ではあったが、今はこの、三十万という兵力にどう対処するかということの方が大切であった。
だが、自分がなにか意見をしようにも、ヨッヘム公はまだこちらの実力を認めてくれたわけではなさそうだったから、現状では受け入れてくれないだろう。
代皇帝に対して
そんな人物を強引に従わせるというのは国家元首としての自身の名声を傷つけるかもしれない行為であったし、他の臣下たちから、「代皇帝陛下は
なにより、エドゥアルドは個人的にそうしたかった。
考えをはぐらかす帝国元帥を見返してやりたかったのだ。
———帝国軍の本営となっている天幕の中で、前線に配置した警戒監視の部隊からの「異常なし。未だ共和国軍は見えず」という内容の定時報告を受け取っていた代皇帝がちらりとヨッヘム公の方をうかがうと、彼は、気難しそうな表情でイスに腰かけ、目の前に用意されたテーブルの上に広げられたボードゲームを独りで楽しんでいる。
ここのところずっとそんな感じだ。
何者も容易には寄せつけさせない雰囲気をまといながら、じっと、盤上の駒の動きを考え込んでいる。
ヘルデン大陸で広く楽しまれているボードゲームだった。
先手と後手に分かれ、ボード上の自陣営に配置された駒を交互に動かし、取り合って、最終的に相手の王の駒を[詰み]にさせれば勝ち、というものだ。
エドゥアルドも遊び方は良く知っているが、ヨッヘム公と対戦してみたところ、「なんとか勝負らしい格好にはなる」という程度の実力で、帝国元帥の方がずいぶん強い。
今帝国軍の本営に詰めている将校たちの中でもまともに相手になるのは少数しかおらず、唯一、代皇帝のブレーンであるヴィルヘルムが「あと一歩」というところまで肉薄している。
そういうわけで、ヨッヘム公はずっとひとりで悩んでいる。
まともに相手になる者がほとんどいないのだ。
「あの、ヨッヘムさま。コーヒーのお代わりはいかがでしょうか? 」
そんな彼に、おずおずと声をかけたのはメイドのルーシェだった。
手には暖かなコーヒーが入ったポットや、角砂糖、ミルクなどの入った銀製の容器が乗ったトレーを持っている。
「……ん? おう、代皇帝陛下のメイド殿か。なら、お願いしようかの」
「はい、かしこまりました。お砂糖とミルクは、先にご用意した時と同じでよろしいでしょうか? 」
「いんや、今度はミルクを少し強めにしておくれ。そういう気分なんじゃ」
「承知いたしました」
おそらくはエドゥアルドに勧めるために持ってきたものであったのだろうが、主から「僕よりもまず、帝国元帥におうかがいするようにしてくれ」と指示を受けていたから、忠実にそれを守っているのだ。
メイドとしてすっかり洗練された、丁寧でかつ優雅な仕草でコーヒーを注ぎ直すルーシェの姿を、ヨッヘム公は物珍しそうな顔で見ている。
というのは、彼からすると「戦場にメイドがいる」というのは、不思議なことであったからだ。
タウゼント帝国の諸侯の間では、出征に際して使用人を引き連れて来るのは当たり前のことであった。
貴族というのはどんな場所でも相応の生活水準を保っていなければならない、そうでなければ体面を保てないと考えられており、そこに、使用人の存在は必要不可欠であったからだ。
だが、その場合、引き連れられてくるのはほとんどの場合、男性の使用人であった。
勝敗がどうなるのか、なにが起こるか分からない戦場に婦女子を引き連れて来ることははばかられると考えられていたからだ。
戦場にまったく女性の姿がないかといえばそうではなく、実際にはむしろ、つきもの、と言っていいほどなのだが、そういった目的以外で引き連れて来る、雇う、といったことはまず、ない。
だから最初、ルーシェや、シャルロッテが陣中にいることに、ヨッヘム公は酷く驚いていた。
しかし、彼女たちが自らの意志で参加していること、そして戦時には傷ついた将兵を一人でも多く救うべく尽力する覚悟でいることなどを知ると、「なるほど、
「うむ、この一杯も、なかなかのもの。またお頼みしますぞ、メイド殿」
「いえいえ。なにかございましたら、なんなりとご用命くださいませ」
互いににこやかに言葉を交わす帝国元帥とメイドの姿を観察しながら、エドゥアルドは(ルーシェの意見も聞いてみようか)などと考えていた。
というのは、この本営にいる者の中で、現在、もっともヨッヘム公と自然に会話をできているのが、彼女であったからだ。
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