・4-10 第62話:「奇妙な布陣:2」
エドゥアルドたちが国境地帯に一日に二十キロメートルも進む強行軍を続けて来たのは、グロースフルスの渡河点を抑え、大河という天然の障壁を利用して共和国軍を待ち受けるためであった。
だが、代皇帝を補佐するという名目で実質的に今回動員された帝国軍の統率を行っているヨッヘム・フォン・シュヴェーレン元帥は、どの渡河点を抑えることもせず、監視のための兵力だけを配置して、その主力を
最寄りの渡河点まで、五十キロメートル近くもある。
代皇帝には、この配置の意図がまだ読み切れなかった。
(敵が渡河を開始するのを待ってから急行し、決戦に及ぼう、という構想なのだろうか? )
代皇帝はそう思って意図をたずねたことがあるものの、全軍の統率を行っているプリンツ・ヨッヘムは、あまり多くを語ってはくれなかった。
すべては、彼の頭脳の中にのみある。
それはまるで、若き指導者であるエドゥアルドのことを試しているようであった。
アントンを中心として参謀本部の将校たちが何通りもの作戦案を立案してくれており、代皇帝はそれらを熟知していたが、帝国元帥のやり方にぴったりと符合するものはなく、理解するためには自身で考えなければならない。
(なかなか、手厳しい)
ヨッヘム公にとっての弟子、アントンのそのさらに弟子とでも言うべき、つまりは孫弟子にあたるエドゥアルドの出来栄えを、見極めたいのかもしれない。
見返してやりたいものだ、と、招集された兵力の結集を待ちながら代皇帝はじっくりと思考を巡らせていた。
(確かに、現状の兵力ではすべての渡河点を守ることは困難だ。兵力を各地に割いてしまうと、戦力の分散となって個別に撃破されてしまうだけだ)
ただでさえ、こちらは想定される敵戦力よりも数で劣っているのだ。
それを、いくら天然の要害があるからとはいえ、各地に分散配備してしまったらどうなるか。
敵はそのどこか、あるいは数か所に対し、そこに展開していた兵力を容易に撃破できるだけの戦力を集中して攻撃を実施してくるだろう。
そうなれば、なす術はない。
各地に部隊を派遣すれば確かに広範囲を防御できるが、互いに距離が開くために迅速に連絡を取り合うことができなくなり、敵に襲われてから慌てて救援を求めても援軍は間に合わない。
グロースフルスはタウゼント帝国とアルエット共和国の国境線を形成し、複数の国家に接しながら流れていく国際河川だ。
その全長は一千キロメートルを超え、バ・メール王国が共和国の支配下となっている現在、緊張状態にある両国はその内の四百キロメートル以上もの長さで国境線を接している。
大軍の通過に適さない地形を流れている個所もあるから、そのすべてを防御する必要性は薄かったが、それでも、十五万の兵力を数百キロメートルの範囲に分散配置してしまっては互いに連携も取れないまま敵軍に撃破されてしまうだろう。
だから、グロースフルスには警戒のための最小限の兵力を派遣し、主力は後方でしっかりと温存しておく。
そうして敵の主力を捉え、一丸となって打ち破る。
———そこまでは、エドゥアルドにだって読めている。
実際、ヨッヘム公が帝国軍の本陣として定めた場所は、複数の街道が集合する交通の要衝であった。
ここならば別々の街道を通って急行中の帝国軍の諸部隊を集合させやすく、後方、前線のどちらに対しても連絡が容易で、補給線も複数確保できているから長期の対陣になっても問題が起こりにくい。
そしてなにより、共和国軍が渡河を開始したという報告を受けたら、いち早くその場所に突進して戦闘に持ち込むことができるのだ。
だが、そうだとしても、河から遠すぎる。
参謀本部が立案した作戦の中には、類似する構想もあった。兵力の分散を避け、一か所に集中させておいて敵の渡河を待ち、急行してこれを撃破する。
その作戦案では、自軍が布陣しておく場所は渡河点のひとつ、とされていた。
というのは、いくつも想定される渡河点の候補をあらかじめ抑えておくことで、その場所にだけは絶対に敵が攻めてこないだろうという状況を作り、少しでも敵の選択肢を削ろうという意図があってのことだ。
一般的に、攻撃側と防御側では、攻める側が作戦の主導権を握る。
守りに転じるということはそもそも積極的な攻勢に出るだけの力を有していないというのと同じであるから、より地形的に有利な地点、あるいは経済・軍事上重要な場所、たとえば都市などに陣地を築き、受け身に回る。
すると自然と、攻撃側は、どの経路で進撃するか、いつ攻撃を開始するかなどの選択権を手にすることとなる。
戦闘がどのような形で始まるか、推移するか。
こうした選択権を有している側が主導権を握り、決定権を得ることができるのだ。
守る側としては、あまり自由に動かれても困る。
だから先んじて渡河点のひとつを抑えておき、この戦いで主導権を握ることとなるアルエット共和国軍が保有できる選択肢を少しでも潰しておきたかった。
なにしろ敵軍を率いているのはこれまで何度も常識はずれな勝利を獲得して来た英雄的な名将、アレクサンデル・ムナール将軍だ。
今回の出兵に当たり、議会から元帥号を授けられたという彼が、優勢な兵力を持って侵攻して来る。
なにをしかけて来るのか、分かったものではない。
その手腕を警戒したアントンは、敵の奇策を防ぐためにあらかじめ選択肢をできるたけ少なくしておこうと、用意周到な作戦を練っていたのだ。
ただ、どうしてその作戦を採用しないのかとヨッヘム公にたずねたところ、一人でボードゲームに興じていた彼から返って来たのは一言だけであった。
「小賢しい、ですな」
良い意味の言葉ではなかった。
帝国元帥からすると、三部曹長が立案した作戦には重大な欠点があるらしい。
エドゥアルドには、わからない。
(あのムナール将軍に、自由な行動はさせない方がいいと思うのだが)
直接対戦し、手酷い敗北を経験しただけでなく、ここ数年着実に共和国の周辺を征討したムナール将軍の卓越した手腕を見聞きして来た代皇帝には、できるだけ相手の選択肢を減らそうとするアントンの構想は誤りではないように思えてならなかった。
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