・4-9 第61話:「奇妙な布陣:1」

 タウゼント帝国とアルエット共和国の国境を成している大河、グロースフルスへと至る行軍は、異例な迅速さで行われた。

 軍隊の移動というのは一日に十キロメートル程度進めれば順調で、強行軍を行ってやっと十五キロメートル進む、というのが一般的だ。

 だが今回、エドゥアルドはなんとしてでも共和国軍の渡河が開始される前に国境地域に到着したいと、一日に二十キロメートル近くもの強行軍を実施させた。

 これは、手元にある軍隊が皇帝の親衛軍だけで六万名弱で、数十万といった大軍ではなく、しかもここが自国の国内で、沿道で様々な支援を潤沢じゅんたくに受けられるという強みがあったからだ。

 一度に動かす兵力が多くなると、一日に進める距離は短くせざるを得ない。

 先頭を進んだ部隊はすでに目的地に到着しているのに、最後尾はまだなん十キロも先にいる、などということが起こり得るからだ。

 全軍が散り散りになることなく無事に到着できるようにするためには、統率する側の管理が行き届くよう、隊列が伸びすぎないようにしなければならない。

 しかも、数十万もの人数が一度に動くと、宿泊場所の確保も困難だった。

 途中の街や村々で屋内を借りて宿泊することは不可能ではなかったが、数十万人が寝泊まりできるだけの総面積の屋内を持っている場所など一部の巨大都市を除けば存在し無かったから、毎日夜が来る前に野営の準備を整える必要がある。

 簡易的な野営地の設営でも相応に時間をかけなければならなかったし、なにより、ある程度の土地の広さが必要であり、その適地を探し出さないといけない。

 加えて、軍隊と一緒に移動させなければならない物量も膨大なものとなるから、それを輸送するのにもまた時間がかかる。

 だから、十キロ進んでは後続とはぐれないように合流し、一泊するために宿営の準備を整え、大量の物資を運び、と、のろのろと進むしかないのだ。

 だが、現状の数万程度の規模で、しかも十分な支援を道々で得られる見込みがあれば、行軍の速度を速めることができる。

 後続の到着を待つ必要がないし、宿泊場所の確保も容易、物資も進軍途上の補給拠点に頼ることができるので、自前で輸送する量を最小限にすることができる。一日に人間の十倍以上も食べる馬の糧秣を運ばなくて済むだけでも、大助かりだ。

 特に、国内であるから詳細な地図を保有しており、しかも安全が確保できているため警戒に必要な手間をかけずに複数の街道を利用できるという点が大きかった。

 手元にある部隊をさらに細分化し、別々の街道を通行して目的地周辺で合流するように調整しておけば、途上での宿泊場所の確保がさらに容易になるし、沿道から得られる支援の質と量も充実し、一日の行軍距離を延ばすことができる。

 とにかく、早く。

 ムナール将軍に率いられた共和国軍がグロースフルスの渡河を開始する前に。

 エドゥアルドは手元にある軍隊を複数の街道に分散させて、一路、国境地域へと驀進ばくしんした。

 事前にアントンが主導して、参謀本部で様々な状況を想定した対応案を策定してあったのも奏功した。

 帝都から国境まで急進するというシチュエーションは当然検討されており、どの街道を利用するか、どこで宿泊しどの諸侯に命じて支援をさせるかなど、事細かに決められていたからだ。

 あらかじめ詳細に行軍計画が定めてあるのだから今さらなにかを考える必要もなく、ただ突き進めばよかった。


(鉄道があればなぁ……)


 愛馬として何年も一緒に戦場を渡り歩いてきた青鹿毛の馬の背に揺られながら、エドゥアルドは建設に着手したばかりの大量輸送機関の完成を待ち遠しく感じていた。

 一日に二十キロのペースを二十五日、四週間近くも続けると言えば、兵士たちにとってはとてつもない労苦だ。

 身軽な個人の旅人であれば一日に三十キロメートル、条件が整えば四十キロメートルも進むことも問題ではなかったが、兵士は数十キログラムの重さのある装備一式を背負って歩いている。

 午前に十キロ、大休憩を挟んで午後に十キロ、夜は事前に手配しておいた宿泊先で休むことができるとは言っても、過酷なことであるのは間違いない。

 だが、鉄道さえ通っていれば。

 数万の人員と物資を動かすためには、何十両も車両を連ねた列車を何十本も走らせなければならないだろうが、兵士たちは疲労することなく楽ができるし、しかも、一日に移動できる距離は徒歩の何倍にもなるに違いない。

 帝都・トローンシュタットから、グロースフルスまで、およそ五百キロメートルある。

 そこを二十五日かけて兵士たちに消耗を強いる強行軍を続けるのと、鉄道を利用してほんの数日で到着するのとでは、どちらが便利なのか比較するのも馬鹿らしくなるほどだ。

 なにより時間が惜しい今のエドゥアルドにとっては、鉄道の迅速さは喉から手が出るほど欲しいものだった。

 もどかしい思いに胸中を焦がされながら、辛抱強く進み続ける。

 幸いなことに、代皇帝に率いられた帝国軍は、共和国軍がグロースフルスの対岸に姿を見せるよりも早くに目的地に到着し、集結予定地点に距離が近いことから先に到着していた近隣の諸侯の軍隊と合流することに成功した。

 これは、クラウスがいち早く共和国の動きを知らせてくれたおかげで、こちらが早くから動き始めることができたおかげだろう。


「うむ、ここでよい。……ここがよい」


 しかし、帝国軍元帥として軍を統率しているヨッヘム・フォン・シュヴェーレンがそう言って布陣する場所として指定した位置は、少々、奇妙だった。

 グロースフルスの流れから距離が離れ過ぎているように思われるのだ。

 もっとも近い場所にある渡河可能な地点にさえ、数日かけないと到着できない、それほど離れている。

 予定では二十五日間、進み続けるはずであった。

 だがそれより早い二十三日間で行軍は打ち切られ、プリンツ・ヨッヘムはそこに本陣を張り、全軍を集合させるように指示を出した。


「プリンツ・ヨッヘム。なぜ、河畔に布陣なさらないのですか? 渡河点は他にも多くあるからすべてを抑えることなど不可能だというのは分かりますが、その内のひとつを抑えておけば、敵の選択肢を狭めることができ、我が方にとっても有利なのでは? 」

「フフフ……。まぁ、それがしにお任せくだされ」


 こちらが先に河畔に布陣し、渡河点のひとつを抑えておけば、共和国軍が渡河点として選択することのできる場所が減り、その活動をより正確に予想しやすくなって良いのではないか。

 エドゥアルドはそう考えてヨッヘム公にその意図を問いかけたが、しかし、彼は不敵に微笑みながら、本営の天幕に用意された元帥専用のイスに腰かけたまま、自信ありげにそう言うだけであった。

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