・4-7 第59話:「プリンツ・ヨッヘム」

 ヨッヘム・フォン・シュヴェーレンが活躍していたのは、エドゥアルドが生まれる以前の話だ。

 意識不明のまま、生誕地であるアルトクローネ公国で療養を続けているカール十一世の、先代の皇帝の御世。

 帝国軍の将校として徐々に頭角をあらわしていった彼は戦歴を重ね大将にまで上り詰め、当時の帝国の顔とも言える将帥となった。

 その経歴は、縦横無尽。

 南はサーベト帝国と戦い、西へ向かってアルエット王国と戦い、時にはフルゴル王国にさえ転戦して戦功をあげた。

 彼は常勝ではなく、時には敗北することもあった。

 それでも帝国にとって最良の将校であり、負けよりも遥かに多くの勝ちをもたらし、その名はヘルデン大陸にとどろき、各国の軍事関係者に恐れられ、尊敬されていたのだ。

 その経験や知略を後身に託すべく度々帝国の士官学校で度々教鞭をとり、カール十一世に代替わりしてからは現役を退き、士官学校の校長に就任して次世代の教育に集中。

 そして年齢を理由に引退してからは自領に退き、時折門地を引き継がせた息子に助言をしたり、孫たちに昔語りを聞かせたりしながら、功臣に対して帝国から下賜かしされる隠居料で悠々自適の暮らしを送っていた。

 それがなぜ、にわかに現役に復帰することを決意したのか。


「今の帝国には、人材に厚みがありませんからな」


 ひとまずクラウスと共に軍議に出席してもらった後、折を見てその真意をたずねてみたところ、そのような返答があった。


(まるで、僕やアントン殿など、いないかのようではないか)


 エドゥアルドは少し、ムッとする。

 自分が若く、未熟であるという点は自覚していることだったが、ノルトハーフェン公爵として行って来た自領の統治には成果があったと思っているし、従軍した戦いでも、人からそしられるようなことはなかったと思っている。

 ヨッヘム公の戦歴に比べれば微々たるものではあったかもしれなかったが、「人材がいない」などといわれることはないはずだった。

 ———だが、帝国元帥が言いたいのは、そういうことではないらしい。


「もし誰か一人でも欠けたら、たちまちのうちに歯車がかみ合わなくなって、瓦解してしまう。隠居したそれがしが出向き申し上げたのは、誰かが誰かの代わりを務められるよう、互いに経験を積む機会を作りたかったからなのです」


 国家元首としてはエドゥアルドがおり、その下で、国家宰相のルドルフ・フォン・エーアリヒ以下四人の大臣たちがいて、軍事面では参謀総長としてアントンがいる。

 それぞれの能力としてみると、これほどのものはそうそういないだろうと、そう自負している所だ。

 ヨッヘム公が危惧しているのは、まさにその点であった。

 替えがいない。

 もし、この中で誰かが欠けてしまったら、その穴を埋めることのできる人材が現在の帝国にはいないのだ。

 そしてエドゥアルドはこれから戦地におもむこうとしている。

 アントンも参謀総長として共に出陣するつもりであったから、ヨッヘム公が現役に復帰してくれなければ、二人とも前線に立つことになっていたはずだ。

 相手がムナール将軍であろうとも、負けるつもりなどなかった。

 勝つつもりでいたし、そのために何度も作戦計画を練り直し、より勝率を高めるために準備をして来たのだ。

 だが、うまく勝てたとして、それで、無事にエドゥアルドやアントンが生還して来られるとは限らなかった。

 二人のうちのどちらか、あるいは両方が倒れることだってあり得てしまう。

 もしそうなった時に、なにが起こるか。

 エドゥアルドが倒れれば、それは、まだ始まったばかりの帝国の改革が完全に頓挫とんざしてしまうことを意味している。

 それだけで済めば、まだいい。

 最悪、次の皇帝位を巡って再び内乱に突入し、その結果として、国家が滅亡に至る可能性さえある。

 アントンが倒れた場合も、その影響は大きい。

 彼は参謀本部を設立した後、多くの将校に参謀教育を施して人材を育成していたが、まだ彼の思想を理解し、参謀総長としての役割を代わって十分に果たせるだけの知識と経験を持った人材はそろっていない。

 新しい時代に即した先進的な帝国軍の建設という事業は停滞してしまうし、今後も起きるかもしれない諸外国との戦争において困難が生じるのは明らかなことだった。

 だから、二人が同時に失われるような事態は避けなければならない。

 そのためにヨッヘム公は現役に復帰することを決心した、ということらしかった。


「失われた際の影響は、代皇帝陛下の方が大きい。しかしながら、それがしで代役が務まるのは、アントンの方であって、陛下ではない。ですから、どうか、代皇帝陛下。お体には気をつけなされよ? 」


 リスクを分散させるという意味ではまずエドゥアルドを安全圏に置くべきであったが、内乱の覇者として現在の地位に就いた彼の代役が務まるほどの存在は、帝国のどこにもいない。

 ヨッヘム公は自分にも役が務まる範囲で少しでも帝国のためになることをしようと、安楽な隠居生活を捨てたのだ。


「プリンツ・ヨッヘム。帝国を代表して、感謝申し上げます」


 その真意を知った少年代皇帝は、ただ、頭を下げながら感謝の言葉を述べる以外にはなかった。

 すると帝国元帥はニヤリと不敵に微笑み、「なんの、なんの」と、人のいい好々爺のように手を振ってみせる。

 どうやら年齢を重ねた分、相応に丸く円熟した部分も持っているらしい。


「年寄りのおせっかいですからの、どうぞ、ご遠慮なさるな。そして、それがしから得られる知見がもしおありでしたら、どうか、うまくご活用を。そうしていただけることこそ、それがしの至上の喜びとするところなのです」


 エドゥアルドには、ヨッヘム公が最後に続けた言葉が特に印象に残った。


「それがしが天命を使い果たした後も、帝国は続いて行くのですからな。そこに、なんらかの形で役に立てるのなら、言うことなしですわい」


 自分がいなくなった後も、帝国は続いて行く。

 そこに暮らしている人々の生活は、続いて行く。


(考えたこともなかったな)


 エドゥアルドは、若かった。

 彼の眼前にはまだなにも描かれていないまっさらなキャンパスだけがあり、そこにどのようなものを描くかを試行錯誤し続けている段階だ。

 だから、自身の絵を、ひとつの物語を描き終えようとしている者の心情などこれまで、想像もつかなかった。

 ———歴史は、重なっていく。

 代皇帝はその視点を、決して忘れないようにしたいと、強くそう思っていた。

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