・4-6 第58話:「来訪者:2」

 プリンツ・ヨッヘム。

 すなわち、ヨッヘム公。

 公と呼ばれているもののそれはあくまで尊称というか貴名であり、爵位は伯爵。

 本名は、ヨッヘム・フォン・シュヴェーレン。

 年齢は、確か今年、建国歴千百三十六年で、七十歳。クラウスよりも一回り、アントンよりも二回りほども年長であった。

 その名と姿は、エドゥアルドも知っている。

 なぜなら、ツフリーデン宮殿の一画にその大きな、等身大の肖像画が飾られているし、彼の名声は帝国では(少なくとも貴族たちの間では)広く知れ渡っているものだったからだ。

 それなのに気がつかなかったのは、肖像画に描かれているのがその若かりし頃、帝国の将校として各地を転戦し、様々な戦功をあげていた時期、カール十一世のさらに先代の皇帝の時代の姿であって、現在とはかけ離れていたからだ。

 しかし、間違いなく面影がある。

 髪はすっかり白くなり、頭頂部は大きく禿げあがり、顔には多くのしわが刻まれてはいるものの、その、些細ささいなことでも見逃すことがなさそうな鋭い目つきは健在であったし、鋭いあごのラインを持った顔立ちも、若い頃の雰囲気が残っている。

 なによりその手にある、杖。

 帝国元帥の称号を持っていうことを証明する元帥仗の存在が、彼があの有名な偉人であることを如実に物語っていた。


(なんて、思い切ったことをされるお方か……)


 手にしているものが、帝国陸軍大将を経験し、比類なき戦功をあげたことを認められ、現役を引退する際に未来永劫語り継がれる名誉称号として時の皇帝から直々に与えられるものだと気づいたエドゥアルドは、度肝を抜かれていた。

 ヨッヘム公はなんと、その元帥仗を、まるでただ身体を支えるための、その辺で手に入れた木の棒でできた杖のように雑に使っていたからだ。

 そんなことをするくらいなのだ。

 もう、怖いものなどなにも無いのだろう。

 皇帝を除いては歴史上でも数えられる程しか存在し無い帝国元帥(そもそも現在の階級制度が誕生したのは千年を超える帝国の歴史の中ではほんの最近のことではあったが、歴代の皇帝には大元帥の称号が、特に功績のあった重臣には元帥の称号が追贈されていた)は、代皇帝の前に始めてお目見えするというのに軽く頭を下げて見せただけで、許可を得ることもなく顔をあげると、驚いて固まっているエドゥアルドの顔と、それから驚愕して双眸そうぼうを見開いたままのアントンの様子を値踏みするような目線で観察して来る。


「アントン殿。お知り合いなのか? 」

「は、はい、陛下。わたくしが士官学校に通っていた際の、教官を務めておられたお方です」

「教官ではない。師匠と呼べ、師匠と! 」


 年はいっているが、ずいぶんと達者なようだ。

 ひそひそ声で話していたはずなのにそれを聞きとがめたヨッヘムは、元帥仗を振りかざしてしかりつけて来る。

 するとアントンは酷く恐縮して肩をすくめていた。

 先生と教え子という関係ではあったが、どうやらそれ以上のなにかがあるらしい。


(ワンパク小僧、などとおっしゃっておられたが、アレは、もしかしてアントン殿のことなのだろうか? )


 最初は自分のことを言われたのかとも思ったのだが、面識がないし、明らかに違う。

 もう立派な大人である参謀総長が、真面目が服を着て歩いていると思われるほどの帝国軍の重鎮が、ワンパク小僧、などと呼ばれるとは、想像もできない。

 アントンとヨッヘムの過去に興味をかき立てられたが、しかし、今はそれどころではなかった。


「クラウス殿。僕にご紹介いただけるお方というのは、ヨッヘム公のことなのでしょうか? 」

「うむ、そうじゃ。見ての通り、元気でぴんぴんしておるお人じゃ。軍歴も長く、才覚も豊か、ちっとも衰えてはおられぬ。共和国軍と戦うのに当たって、必ずや役に立つであろうと思うてな。ヨッヘム公も、今回の出兵では陛下と共に陣頭に立ちたいとお考えなのじゃ」

「それは、ありがたいことです。でしたら、参謀本部に加わっていただいて、アントン殿と共に僕を支えていただければと……」

「いやいや、それはいかん。いかんぞ、代皇帝陛下」


 いくら達者であるとはいっても、七十歳にもなる人物だ。

 クラウスの紹介という手前もあるし、帝国元帥の称号を持つヨッヘム公の申し出を無下にするわけにもいかず、ならば参謀部に入ってもらってその知恵を絞ってもらおうと考えたエドゥアルドだったが、それを、当の本人が遮る。


「今回、ついていくのはそれがしの方で、アントンには帝都に残ってもらいたい」

「プリンツ・ヨッヘム!? そ、それは、なぜでございますか? 」


 お前は残れ、と言われたアントンは、表情を青ざめさせる。

 まるで「役立たず」と言われ、ショックを受けているかのようだった。


「いやいや。それがしも、お主がこれまでにどれほどのことを積み重ねてきたのかは、よくわかっておるわい」


 するとヨッヘムは軽く首を左右に振ったが、「しかし」と言葉を続ける。


「毎回毎回、お主が戦地に出ておったら、いつまで経っても次世代を担う帝国軍の建設という大業が進まぬではないか。その組織づくりができるのは、それがしではなくお主しかおらん。それに、お主には後方から全体を見通して戦争を支えるという経験を積んでもらわねばならぬと思うてな」

「は、はぁ……」

「陛下の統治が始まってからまだ日も浅い。それゆえ、陛下には共に立っていただいて、兵士たちや他の諸侯を鼓舞していただかなければならぬ。だが、アントン、お主は後方に残って、その戦いを支えるのだ。そうしてやり残している仕事をすべて済ませてしまえ。それに、長期戦となることも覚悟しておるのだろう? そうなった時には、お主のように先を見通せて、細かいところまで管理することのできる人材が後ろにおった方が良い」


(なんだか、話が一方的に進められているな)


 後方からアントンが支援してくれるというのならばそれは確かに心強いことではあったが、これまで共に戦い、苦楽を共にして来た優秀な参謀総長が隣にいないというのは、エドゥアルドにとっては不安なことだった。

 できれば、隣にいて欲しい。

 それが本音だったが、どうやらヨッヘムは少年代皇帝と愛弟子に対して、それぞれの意見を述べさせるつもりがない様子だった。


「そういうわけじゃ。アントンには後方から全軍の活動を支えさせ、新しい帝国軍の組織づくりも進めさせる。陛下には旗頭となっていただき、前線での指揮は、それがしが取らせていただこう。我が経験と知恵のすべてを駆使して、帝国を勝利へと導きましょうぞ」

「おお、ようおっしゃられた! さすがはプリンツ・ヨッヘム! 」


 堂々と言い切ったヨッヘムを、クラウスが実に良いタイミングで、なんともわざとらしく称賛する。

 おそらく、この二人の年長者たちの間では談合がなされ、ノリと勢いで押し通すと決めているのだろう。


(これは……、逆らっても、無駄だな)


 エドゥアルドはそんな諦観ていかんと共に、この、突然の来訪者たちの思惑通りになることを受け入れていた。

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