・4-5 第57話:「来訪者:1」

 タウゼント帝国軍の動員は、エドゥアルドが意図した通り、夜明けとほぼ同時に開始された。

 兵営に詰めていた兵士たちは起床するのと同時に命令を受け取り、出兵のために装備や物資を整え、兵器の準備を始め、休暇に出ていた者たちは出兵を告げて回る伝令が通りを駆け抜けて行くのに気づくと、それぞれの原隊に復帰するため、溜息を吐いてから身支度を始める。

 役所では戦争に必要な物資を調達し、輸送する手配が始まり、関係各所に対する連絡や必要な書類の作成のために大忙しとなっていく。

 帝都・トローンシュタットの近郊に駐屯している諸部隊だけならば、三日。

 帝国全土についても、連絡の行き届く速度も考え合わせると十日から二週間以内で臨戦態勢が整えられるだろう。

 帝国軍が現状で動員できる最大兵力は三十五万ほどだ。

 エドゥアルドはその内、内乱で手酷い損害を負った諸侯、たとえばヴェストヘルゼン公爵家やズィンゲンガルテン公爵家については出兵を免除するつもりであった(仮に兵を出させたとしても練度が十分ではなく役に立たない)から、実数は三十万程度になる。

 戦場に連れて行くのは、その半数。およそ十五万の兵力を予定していた。

 できるだけ多くの戦力を引き連れて行きたかったが、それでは戦争が長引いた時に交代の人員がいなくなってしまうし、後方の警備、他の国境の防衛など、必要な仕事ができなくなってしまう。

 皇帝直轄の親衛軍の各部隊の再編制はなんとか完了し、エドゥアルドとアントンたち新しい軍の首脳部にとって扱いやすいものとなっていたが、数、という点では十分ではない。

 徴兵制については、実施されるのは今年の春からとなっていたのだ。

 徴兵された兵士たちが最低限使い物になるだけでも半年はかかるはずだったから、戦力として期待できるようになるのは、今年の年末まで待たなければならない。

 それまでは、編制をあらためられただけの、旧来の軍隊で戦うこととなる。

 ただ、ここ数年来くり返されて来た戦乱の生き残りであり、傭兵主体の職業軍人的な性質を持った、何年も軍務についた経験豊富な熟練兵が多かったから、個人の練度という点ではなんの問題もなかった。

 作戦は事前に何通りも取り決められていたもののなかから応用され、迅速に遂行されるだろう。

 急速に臨戦態勢を整えた兵力を進軍途上で徐々に吸収しながら、国境地域へと進出。

 グロースフルスを天然の防壁と見なし、共和国軍の渡河を迎え撃つ。

 敵が一度に全軍で河を越えることができないという点をうまく活用すれば、兵力で劣勢であろうとも活路は見いだせるはずだった。

 帝国軍が出兵の準備を着々と進めて行く中、エドゥアルド自身も出陣の用意を整えている。

 代皇帝、実質的な国家元首であるのだから、本来ならば後方から戦争を指揮した方が良いのかもしれない。

 しかしムナール将軍に率いられた共和国軍はこれまでに対決して来たどんな軍隊よりも強力であり、エドゥアルドが前に出て兵たちを鼓舞しなければ満足のいく戦いをできない恐れがあった。

 それに、実のところ現在の帝国の政治体制は盤石ばんじゃくとは言えない。

 内乱の勝者となった代皇帝に表立って逆らえる者は誰もいなかったが、内心では次々と打ち出される改革を快く思っていない者たちもおり、その不満がいつ表面化して来てもおかしくはない。

 エドゥアルドには、勝利が必要であった。

 この国を導いていくことができる旗手は自分しかいないと示し続けるための、象徴が。

 十年も経てば、そんなものは必要なくなるのかもしれない。

 これまでに打ち出した改革が実を結び、やはりこのやり方が正しかったのだと証明することができれば、誰もが代皇帝の統治を認めざるを得なくなる。

 だが、それまでの間は。

 改革の成果があらわれるまでは。

 エドゥアルドは勝者の側であり続けなければならなかった。


(絶対に、負けられない……)


 心から、そう思う。

 敗北はすなわち、タウゼント帝国の終焉、衰亡の始まりを意味するかもしれず、それは同時に、エドゥアルドの転落につながっていくかもしれない。

 これから始まる戦争に負けることはできなかった。

 だから代皇帝は、帝都を指揮下の軍と共に出発する間際まで、できるだけのことをやろうとし続けた。

 作戦の精度を少しでも上げるために何度もアントンやヴィルヘルム、参謀将校たちを集めて会議し、懸念される点や対策を考えなければならない点を共有し、みなで知恵を出していく。

 起こりえる様々な状況を想定し、そうなった時にどう対応するかについても、徹底的に突き詰めて先に想定を作っておきたかった。何パターンもそうしたシミュレーションができていれば、どんな事態に直面してもなんらかの形で応用できるものが残るかもしれず、そういったたたき台があった方がなにかと便利だったからだ。

 意思決定が早ければ早いほど、状況が悪化する前に手を打つことができるのだ。

 傷が浅いうちに手当てをすることができれば治りやすいし、重症化もしにくいのと同じで、問題は小さなうちに処理することが一番楽な方法だ。

 想定に基づいていくつかの基本計画を定めておくだけでも、実際に事態が急変してもその応用が効き、対応を素早く行えるようになる。

 念には念を入れて、できる限りのことを考え抜く。

 ———共和国の国内で突然出兵が決まる見込みとなったという報告をもたらした張本人、クラウス・フォン・オストヴィーゼが、作戦会議中のエドゥアルドたちの前に姿をあらわしたのは、動員令を発布してから二日後のことであった。


「おうおう、おう! やっとるなぁ、エドゥアルド殿! いや、陛下、でしたな! 」


 クラウスは、出陣を明日に控えて最後の最後までより詳細な作戦を練ろうと会議室に集まって軍議を開いていたところにずかずかと踏み入って来ると、陽気に、気さくに笑ってみせた。

 エドゥアルドたちは呆気に取られてしまっていたが、少しも気にせず、堂々としている。

 何段にもカールがかかった銀髪のかつらを被り、前公爵としての威厳を感じさせる銀糸を使った清々しくも豪壮な肋骨服に身を包んであらわれた彼は、御年六十一となった彼の顔には以前よりもしわの数が増えていたが、その肌艶はだつやは実に健康的で、生命力の強さを感じさせる。


「クラウス殿? どうして、ここに? 」


 代皇帝は目を丸くしていた。

 オストヴィーゼ公国から帝都までは馬車を使っても何日もかかるはずで、クラウスが姿を見せるとしてももっと時間が経ってからだと思っていたからだ。


「代皇帝陛下はツレないことを申すのう。共和国の内情について、手紙では伝えきれんこともあったから、ワシが直接お伝えせねばと、早馬を飛ばして、その後すぐに馬車を走らせて来たんじゃよ」

「そういうことでしたか」


 エドゥアルドはその説明を聞くと、呆然としていた状態から立ち直り、うなずいてみせる。

 クラウスからより詳しいことを聞ければ、共和国に対抗する策の精度をより高めることができるだろう。

 なによりその知略は、頼りになる。


「それと、実はな。……古くからの友人に、直近で戦争が起こった際にはどうしても陛下に紹介して欲しい、共に出征させて欲しいと、頼み込まれてしまっておりましてな。その方を連れて来ておるんじゃ」

「クラウス殿の、旧友? 」

「そうじゃ。……ワシよりもさらに年が行っとるが、気骨があって、しかも、有能な男じゃよ。きっと、陛下のお役に立とう」

「ぜひ、会わせていただきたい」

「うむ。……さ、さ、ヨッヘム殿、入って来られよ! 」


 立ち上がって丁重に一礼して見せるエドゥアルドに満足そうなうなずきを返すと、クラウスは背後を振り返って声をかける。

 すると入って来たのは、行っていた通り、白髪を持った年長者だ。


(どなただろうか? )


 代皇帝にとっては、見覚えのない人物だ。

 しかし、参謀総長のアントン・フォン・シュタムは、その人物を知っていた様子だった。


「プリンツ・・ヨッヘム!? 」


 普段から温厚で冷静沈着なアントンにしては、実に珍しい。

 動揺し、席を蹴るように立ち上がったアントンに、プリンツ・ヨッヘムと呼ばれた男性は、ニヤリ、と不敵な笑みを返して見せた。


「やぁやぁ、元気そうじゃな、ワンパク小僧めが! 」

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