・4-4 第56話:「動員令」

 さすがに、フライングなのではないか。

 急に夜中に宮殿に戻って来た代皇帝から、直ちに帝国に対して軍隊の動員令を発するように、その手続きを開始する準備をせよと命じられた官僚たちは、クラウスからの手紙のことを知らされてもみな、半信半疑といった様子であった。

 ただでさえ、連日の深夜までの勤務で疲れ果てているのだ。

 これまでの帝国の制度を大きく変えるという事業は多くの仕事を生み出し、それをできるだけ短期間に成し遂げようとした結果、国政に関わる者たちの長時間勤務という状態が生まれていた。

 国家元首であるエドゥアルド自身も夜遅くまで働いているし、その志すところには賛同できるからなんとか自分たちも耐えて来ていたが、まだ不確実としか思えない事態に対し大げさに対処しなければならないとなると、さすがにうんざりした気分にもなるだろう。

 そういう官僚たちの内心は痛いほどエドゥアルドにも伝わって来たが、それでも彼は強く命じ、帝国軍の動員を開始させていた。

 クラウスからこのような手紙が急いで届けられたということは、情報の確度としては相当に高いはずだった。

 加えて、この情報はアルエット共和国に潜り込ませている諜報員、あるいは協力者からもたらされ、オストヴィーゼ公国に帰還していたクラウスの手を経由してからエドゥアルドの下に届けられている。

 つまり、タイムラグが大きい。

 出兵案が共和国の議会で議論され、可決される見込みとなってから、その報告が自分の手元に到着するまで、おそらくは何日もかかってしまっている。

 今頃はもう採決も完了し、ムナール将軍は満を持して、共和国軍に対して動員を下令しているかもしれず、すでに軍隊が戦時体制に移行し始めている可能性さえあった。

 部隊の編制が完了したらすぐに、進軍は開始されるだろう。

 この半年以上もの間、ムナール将軍が黙って不遇を受け入れていたはずがない。

 きっと、何度も、何度も熟考し、帝国を打倒するための作戦を考え抜いていたのに違いない。

 攻撃は即座に開始され、その時、こちらの準備がまだ整っていなければ少なくない地域の占領を許してしまうこととなるだろう。

 だが、今すぐに臨戦態勢を整え、国境地域に軍を展開しておくことができれば、そうした事態を防止することができる。

 最も理想的な結果になれば、防備が強固なのを知ってもはや帝国につけ入る隙は無いのだと理解し、共和国軍は帝国への侵攻を中止してくれるかもしれない。

 そうなれば、エドゥアルドにとっては完全勝利と言ってよかった。

 一兵の損失も出さずに、国家の防衛という目標を達成することができるからだ。

 仮にそこまでうまくことが運ばないのにしろ、準備が整っていた方がより有効な対処ができることは確かだ。

 こうして動員を急ぐのは、共和国軍をできるだけ国境に近い場所で迎え撃ちたいからという思惑もあってのことだった。

 参謀総長のアントンらが、参謀本部に所属する参謀将校たちと様々な迎撃作戦を考えてくれていたが、その中で最初に考慮するべきものが国境地帯での防衛とされていた。

 というのは、領内深くへの敵の侵攻を許せば、略奪などが大々的に行われなかったとしても少なからず弊害へいがいが生じ人々の生活に影響が出てしまうし、なにより、タウゼント帝国とアルエット共和国の国境線ともなっている大河、グロースフルスという天然の防壁を有効活用したいという狙いがあるからだ。

 軍事作戦において、渡河、というのは一般的に難しいものとされている。

 陸続きの場所と違って進軍経路が橋や浅瀬、あるいは工兵によって建設された仮設橋などに限られてしまうため、どんなに大軍であっても一度に渡ることができない。

 ムナール将軍が共和国軍をグロースフルスの河岸に進軍させてきたとき、エドゥアルドも帝国軍を反対側の岸辺に展開させることができたら、渡河して来る敵を各個撃破できるという、絶対的な優位を確保することができるのだ。

 そういった事態に陥ることを懸念して、共和国軍が渡河を躊躇ためらってくれるのならば、それでもよかった。

 タウゼント帝国の体制を刷新する改革はまだまだ進行途上にあったが、それでもいくらかの部分は機能し始めている。

 特に、兵站の面では、明確に共和国軍よりも有利となっているはずであった。

 こちらは事前に国境地域での防衛を考慮して物資の集積を進めており、長期間、グロースフルスを挟んで対陣することとなったとしても十分に補給を行うことができる。

 しかも、策源地となる後方との連絡も行いやすいように各所に中継基地を設け、前線と後方の集積地とを円滑に結ぶ制度を整えてある。

 まだまだ運用に不慣れな部分や未完成なところはあったが、兵士たちは無理のない範囲で交代と休息ができるし、負傷したり病気になったりしたら後送して療養させることもできる。

 おそらく、対峙している期間が長くなればなるほど、情勢はこちらにとって有利なものとなっていくことだろう。

 共和国軍がどれほどの兵站能力を持っているかは未知数な部分があったが、あちらはこの半年間、ムナール将軍の躍進を警戒した議会の意向によって、満足のいく戦争準備はできていないはずだった。

 その差が、時間が経つほどに効いて来るのだ。


(だが、あまり長陣したくもないな……)


 仕事が増えてしまったと内心で不服そうな臣下たちにあらかたの指示を出し終え、それが無事に履行されたとの報告を待つためにツフリーデン宮殿の執務室に待機しながら、エドゥアルドはそう思っていた。

 というのは、戦争となればやはり自分も出征しなければならないだろうと思うからだ。

 今さら、戦場に立つのを嫌だとは思ったりはしない。

 ただ、前線にいる間は、帝国で進めている体制の刷新が滞ってしまうだろうなと、その点が残念でならないのだ。


(役人たちには、申し訳ないな……)


 ふと、自身の指示を受け、動員の準備という新たな仕事に疲れ切った様子で向かって行った官僚たちの姿が浮かんでくる。

 戦争ともなれば、彼らの仕事も多忙になる。

 エドゥアルドの不在によって帝国の改革が滞るからその点では業務が減るのだが、軍隊を活動させるための予算の確保、物資の調達、兵士を集めて訓練したり、補充や休養のために交代させたりと、様々な手続きのための仕事が増える。

 こんなに働き詰めでは、たまったものではないだろう。


「国家宰相にお願いして、役人たちにはこれまでの慰労金を出し、交代で、まとまった休みを取れるようになんとか、取り計らってもらおうか」


 自分はきっと、官僚たちから鬼か悪魔のように思われているのに違いない。

 真剣にそう心配になってきたエドゥアルドは、そんなことを呟いていた。

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