・1-2 第2話:「帝都へ:1」

 ノルトハーフェン公爵のために陣中に用意された天幕の中で、主人とメイドがなんだか気まずそうに、恥ずかしそうに、どう言葉をかけて良いものかとやきもきしている間にも、外では兵士たちの騒ぎが続いていた。

 グラオベーアヒューゲルの会戦は、激戦であった。

 内乱を引き起こし自ら軍を招集したのにもかかわらず、その時の都合で安易な野合をし、あまつさえ物資の不足を補うために自身が皇帝として将来治めることになったかもしれない民衆から略奪を働き、多数を殺傷したベネディクト公爵とフランツ公爵からは人心が離れており、エドゥアルドに対して積極的に戦いを挑もうとする諸侯も兵士も少なかった。

 しかし、古くから両公爵に仕えていた臣下たちは、そうではなかった。

 自身の主君がどれほど卑劣な行いをしようとも、長年養われて来たという恩義や、重要な決戦の場で主君を裏切ることなどできないという自身の名誉にかけて戦い、結果、双方の陣営に多くの犠牲を生み出すこととなってしまった。

 その戦いの勝利が、今、確定した。

 内乱の首謀者であるベネディクトとフランツを捕縛したことでもはや帝国にはエドゥアルドに対抗できる勢力を形成できる者はいなくなり、実質的に、次の皇帝につくのは少年公爵で決まったのだ。

 あの戦いで流された血は、多くの戦友たちの死は、無駄ではなかった。

 そしてなにより、もう、戦わなくて済む。

 命をかけなくてよい。

 どうか敵弾が自身に命中しませんようにと必死に願いながら、恐怖心を押し殺して進み、勇気を振り絞って、銃剣をきらめかせた敵の隊列に向かい、ドラムの音に合わせて一心に向かって行かなくてもいい。

 自分たちは生き延び、勝利の栄光を手にした。

 命がけの働きが実を結び、エドゥアルドという新進気鋭の若き指導者の誕生を手助けした。加えて、その働きに対してはきっと、多くの報いが与えられるのに違いない。

 戦いの重圧から解放された兵士たちは、明るい未来を信じ、歓声を上げている。

 天幕の中は、対照的に沈黙に包まれたままだった。

 エドゥアルドはすっかり自分と彼女とでは性別が違うのだということを忘れていたことを恥じていたし、ルーシェは、抱きしめられた瞬間の感触が忘れられず、どうしてもそのことを思い出しては悶々としている。


「公爵殿下。よろしいでしょうか」


 その微妙な雰囲気を破ったのは、天幕の外からやって来た一人の男性だった。

 ヴィルヘルム・プロフェート。

 すでに仕えるようになって三年も経つのに、未だになんの爵位も、役職もなく、ただ少年公爵のブレーン、[知恵袋]として働いている人物。

 得体の知れない存在だ。

 まだ公爵としての実権を掌握しておらず、シュペルリング・ヴィラと名付けられた屋敷で幽閉同然の暮らしを送っていたエドゥアルドの元に家庭教師として、実際は彼の一挙手一投足を監視し、雇い主に報告するためのスパイとしてあらわれた彼は、どういうわけか仮のはずだった主に忠誠を誓い、ノルトハーフェン公国内で密かに行われていた権力闘争にエドゥアルドが勝利する道筋を築いてくれた。

 以来、彼は忠実な臣下として仕え、事実として、多くの貢献をしてくれている。

 いつ、どこで、どうやって身に着けたのかわからない、豊富な知識。なぜそんなつながりがあるのかわからない人脈。

 そうした能力を駆使し、重要な局面で常に適切な助言を行い、グラオベーアヒューゲルの会戦においても期待された通りの働きを示してくれた助言者。

 その行いからは[忠良な臣下]という結論しか導き出されないはずなのだが、しかし、どうにも胡散臭い部分がある。

 それは、———常に表情を変えないことだ。

 彼はどうやらその生い立ちに複雑な事情があるらしく、本心を見せない、ということを徹底している。そのためにいつも、どんな時でも、柔和な笑みを仮面として表情に張りつけ、崩さない。

 最近は、わずかに生の感情を見せたりもするようになってきたのだが、それでもほとんどの時間は仮面を身に着けており、やはり、つかみどころがない、という印象だった。


「ああ、ヴィルヘルム。貴殿の進言はいつでも歓迎だ」


 その登場に、エドゥアルドはかすかに救われた思いがした。

 自分の配慮の無さで作り出してしまった沈黙に、そろそろ耐えかねていたからだ。


「ベネディクト公爵とフランツ公爵。このご両名を捕縛したことで、この内乱における殿下の勝利は、確定いたしました。……そして、この上は、なるべく迅速に、できれば直ちに、帝都へ、トローンシュタットへと向かうべきと存じます」

「しかし、兵士たちは疲れているのではないか? 」


 自身のブレーンの言いたいことは理解できないでもなかったが、少年公爵は眉をひそめていた。

 今も聞こえてきている、兵士たちの歓声。

 自身の勝利を我がこととして祝っている彼らは疲弊しているはずで、直ちに帝都に向けて行軍を開始させるのは忍びないと思ったからだ。

 なにしろ、グラオベーアヒューゲルの会戦を戦ってから一週間も経っているが、兵士たちにまともな休息を与えることが出来ていない。

 戦場から逃亡したベネディクトを捜索し、捕らえるために軍はずっと活動を続けていたからだ。


「それは、承知しております。しかしながら、今、ゆったりとかまえていることはできません」


 主人が自身の言い分をこころよく思っていなくとも、ヴィルヘルムは言葉を止めなかった。

 ここで引き下がらず、強く進言することこそがもっとも主君のためになるのだと、そう信じているのだ。


「貴殿の考えを、聞かせて欲しい」


 相変わらず柔和な笑みは崩れない。しかし、その仮面の裏に隠された心情を、エドゥアルドも少しは分かるようになってきている。

 だから少年公爵は居住まいを正し、即座に、戦勝気分を捨てて、最後まで説明を聞く姿勢を取っていた。

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