・1-1 第1話:「内戦の終結」

 タウゼント帝国が建国されてから、千百三十五年。

 この年の七月に勃発した内乱は、若干十七歳の少年公爵、エドゥアルド・フォン・ノルトハーフェンの勝利に終わった。

 グラオベーアヒューゲルの会戦において彼に指揮された公正軍は、内乱を引き起こした二人の公爵、ベネディクト・フランツの両名に指揮された連合軍を決定的に撃ち破り、両公爵の身柄を捕縛することに成功したのだ。

 当初中立の姿勢を示し、戦いに加わろうとしなかった有力諸侯・アルトクローネ公爵家の旗が掲げられた馬車が、捕らわれの身となったベネディクトを乗せて公正軍の陣中に到着した瞬間、兵士たちはみなこの戦争が終わりを迎え、自身が勝利したのだと確信し、身に着けていた帽子を宙に投げ上げ、歓声を上げ、互いに肩を組み、抱き合った。

 ———それは、エドゥアルドも一緒だった。

 彼はその喜びを、自身がもっとも身近に感じている一人の少女……、かつてノルトハーフェンの港町のスラム街で人知れず消えていくはずだった運命から救われて以来、その恩義に報いるために、そして若い統治者がより良い世界を作り出すことを手伝うために献身的に働いてきたメイド、ルーシェと分かち合った。

 ありとあらゆる人々が、少年のことを[公爵]として扱い、そのように接する。

 そんな中で彼女だけはそうした垣根を作らず、ただ一人の[エドゥアルド]として、そして一人の[ルーシェ]として接してくれていた。だからこそエドゥアルドは、自身の喜びを共に分け合いたいと、無意識の内にそう思い、咄嗟に彼女を抱きしめていたのだ。

 だがすぐに、エドゥアルドは冷静さを取り戻す。

 喜びの余り抱き着いた瞬間、メイドは驚きの余り気絶してしまったからだ。


「す、すまない、ルーシェ! 少し、はしゃぎすぎてしまった」

「い、いえ、大丈夫です、エドゥアルドさま! ……ですが、その、次からは、ルーに、心の準備をする時間をいただけるとですね……」


 背中に回していた腕を離し、崩れ落ちそうになるメイドの身体を支え、慌ててイスに座らせてから数分後。

 どうにか意識を取り戻したルーシェにエドゥアルドがそう言って謝罪をすると、彼女はもじもじと、ツインテールにした自身の髪を指先でいじりながら、消え入りそうな声でそう答えていた。

 少女の年齢は、———おそらく、十六歳。

 スラム街で生まれ育った上に孤児みなしごであり、素性が確かではなく、年も彼女の曖昧な記憶を元にした自己申告であるためはっきりとしたことはなにもわからないが、その通りだとするとちょうどエドゥアルドのひとつ年下、ということになる。

 ノルトハーフェン公爵家のメイドとなった最初は、みすぼらしかった。

 スラム街の中でも最下層にいた彼女は半ば野ざらしの状態で、ただ、二匹の動物、猫のオスカーと犬のカイと暮らしていた。

 衣服はボロボロ、身体も同年代の良い環境で育った少女と比較すると貧相でやせっぽち。髪もボサボサでシラミが混じり、ゴミ山の中から引っ張り出して来たのかと思われるほど薄汚れていた。

 しかし、メイドとして働くようになってから三年。十分な衣食住を与えられた彼女は、見違えるほどの成長を見せている。

 やや灰色がかった長い黒髪はしっかりと手入れされサラリとした感触で艶があり、身なりも飾りっ気のないメイド服で素朴な印象だが清潔。年頃の少女らしく肌には張りがあり、血色も良く健康的だ。もっとも、今はエドゥアルドに抱き着かれた驚きからか紅潮したままだ。

 目鼻立ちや身体つきも、成長するにつれてはっきりとし、整ったものになっている。もし豪華なドレスなどで着飾らせれば、どこかの金持ちか貴族の家の娘だと紹介しても信じられそうなほどになっている。

 全体的な雰囲気は、のほほんとした、朗らかな印象。特に目元が[おめでたい]感じのおっとりとしたもので、彼女の素直で頑張り屋の性格と相まって、親しみやすい。

 特に印象深いのは、その瞳だった。

 濃い青色の瞳。落ち着いた輝きを放つ宝石のような瞳に見つめられていると、段々と心が安らぐような感覚を抱くことだろう。

 ただその魅力は、遠目からでは分かりにくいし、普段は地味なメイド服姿でいるから、ほとんどの者に、その主人にさえ気づかれてはいなかった。

 少年公爵とは、対照的だ。

 ノルトハーフェン公爵家。

 タウゼント帝国の北方にあり、冬になれば流氷が漂う凍てついた姿を見せるフリーレン海に面し、外洋からの波を遮る半島で守られた天然の良港を有するノルトハーフェンの港町を中心とした領地を有する小国。

 それを代々統治して来た、皇帝に連なる血統の末裔であるエドゥアルドは、帝国貴族らしい、見栄えのする外見を持っている。

 ナチュラルヘアに整えられた明るいブロンドの髪。灰色がかった碧眼は切れ長の目元と相まって頭脳の明晰さと意志の怜悧さを感じさせる鋭い印象で、ここ数年で一気に身長が伸びたことと合わさって、新進気鋭の若き支配者と言った風格をかもし出している。

 身に着けた軍服、戦場での正装である肋骨服がよく似合っていた。それは彼の細身だが引き締まった体躯と、改革を志し、着実に歩みを進めてきたという自負心から生まれた凛々しさのおかげだった。

 ———タウゼント帝国に、次の千年をもたらす礎を築くために。

 そのために立ち上がり、軍を率いて戦い、勝利をつかんだエドゥアルドと、彼をメイドとして支えるルーシェ。

 二人の歩む道は、しかし、前途多難なものになるはずだった。

 なぜなら、このグラオベーアヒューゲルの会戦での勝利は、新たなスタートラインに過ぎないものだからだ。

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