第32話 うざったいほど、からまれたい。

「連れ出すって……?」


 リオの気持ちに反して、俺の言葉は乾いていた。

 誰にあてたものでもないヒビ割れた言葉は、壁にぶつかると粉々に砕け散ってしまった。 


 リオは動じない。

 俺の思考は動かない。

 

 どれほどの時が経っただろうか。

 俺の気持ちは部屋の中を、右へ左へ動いてはまた元の場所に戻ってきた。


 結婚とか。

 子供とか。

 鬼炎家とか。


 口にすることすらなかった単語が、同じ年齢のリオから当たり前のように発せられている。


 母親が死んでからずっと、半強制的に一緒に過ごしてきたリオ。


 メイドなんていう非現実的な存在。しかしそれこそが、俺が俺のままでいられる理由だったとも言える……と思う。


 鬼炎家の圧力に屈しそうなときも。

 喪失感に押しつぶされそうなときも

 自分がどの道を歩いているのかわからなくなったときも。


 リオの存在は――まるで子供の手を引いて道を正してくれる母親のように、そっと寄り添ってくれていたように思うのだ。


 だから。




 ――リオを連れ出してはくれないのですか。




 その言葉の真意を、俺は計りあぐねている。

 

 リオと俺と、俺の母親と。

 鬼炎家や水無家を交えて、何かが起きているのは確かだ。

 でも何かがわからない。


 人は過去へ戻ることはできない。

 人は人の記憶を探ることはできない。


 そんな中で答えを出そうとすれば――自然、今に目がいく。


 過去ではなく。

 今を。


 鬼炎家とか、母親とか、そういうことなんてまったく関係のない――今、目の前にいる一人の少女がただ一つの答えだった。


『がんばりな……リイチ』


 どこかから、忘れかけていた母親の声が聞こえた気がした。


「リオ」

「……はい」


 俺の声に何かの変化を捉えたのだろうか。

 リオはいつの間にか下がっていた視線を上げた。


 俺をしっかりと――いや、しかし、どこか弱々しさの見える瞳で、捉える。


 そっと押しただけで倒れてしまいそうだ。

 こんな弱々しいリオは初めて見た。

 

 まじめなリオ。

 ふざけたリオ。

 おもわせぶりなリオ。

 

 コロコロと変わっていくリオのイメージ。

 目の前のリオは――何番目の存在なのだろうか。


 そして。

 彼女は。

 俺にとって。

 何番目に大事な存在になっているのだろうか――。


「本心をいえば……、俺にはリオの言っていることが、まったくわからないんだ」


 リオの瞳が揺らいだ。


「そう、ですか。何も思い出さないのですね……?」

「思い出す――っていっても、いつの、何を思い出せばいいのかすら、見当がつかない。この場所が関わっているのか? 悪い。仮にそうだとしても、決定的な何かにはたどり着きそうもない」

「……はい」


 リオは頷く。

 それから視線を下げた。

 

 いけない――そう思った。

 もしも、今、彼女を掴まなければ、今の弱々しいリオは、他のリオの陰に隠れて、逃げてしまう。

 そう思った。


「リオ!」

「っ!?」


 突然の大声に、さすがのリオも肩をびくりとさせた。

 意図せず上がっただろう瞳は、まだ――弱々しいリオ。

 

 何もわからない俺。

 母親との接点を離さないリオ。

 俺たちは、なにを土台に立っているのかすら、わからないが――それでもわかることが、俺にはあった。


 俺は大きく息を吸い。

 吐いた。

 それは、母親との思い出が詰まった、アパートを引き上げるときにした行為と同じだった。


「俺は正直、リオの気持ちがわからない。何を考えているのかも――母親と、何があったのかも。鬼炎家と水無家のことも、まったくわからないし、政略結婚だの、なんだのと言われても、正直、実感すらわかない」

「……それが当然です」

「いや、でも、わかることもある。わかったことがある」

「それは……なんですか?」

「それは――」


 俺は、窓辺に立つリオに近づいた。

 狭い小屋内。

 それでも歩けば、距離は狭まる。


 近いと思っていた場所でも、まだ離れている。

 きっと俺とリオもそんな感じなのだろう。

 色々と聞かされてこそ、気がつく気持ちがあるってことだ。


 リオの前に立つ。

 メイド服姿ではない、それこそ純日本風のリオは、今日初めて出会った華奢な女の子にしかみえない。

 

 俺を脅し、

 バカにし、

 それでも側から離れない――信じられない性格だと思っていたメイドの面影は、ここにはない。


 だからこそ、俺は気がつく。

 弱々しいリオを見て、やっと気がつく。


「――俺は、リオにバカにされるのも悪くないと思ってる」

「……いじめられるのがお好きなんですね」

「ああ。そうみたいだ。でもな、なんでそう思ったかというと、今気がついたことがある」

「……?」


 いちいち挟まれるリオの間を待ちながら、俺はそれでも、俺のタイミングで言葉を放った。


「俺、他の奴にとられたくないみたいだ」

「……?」

「リオを、とられたくない」

「……え?」


 リオの表情が驚きに染まる。


「鬼炎家とか、母親とか、俺の結婚とか子供とか――リオの口から色々と出てきて……でも、実感なんて正直、わかなかった。きっと母親とリオの話を聞かされても、そうなるんだろうなと思った。だってもう、過去のことを言われても、どうにもならないしな」

「それは、どういう……」


 リオは困惑していた。

 俺たちは二人、見つめあった。

 遠くから、何かの音が聞こえた気がした。

 それは夜が呼吸する音なのかもしれなかった。


「変えられない過去の話は、俺にはわからない。でも、未来の話――リオが誰かと結婚するって聞いたら、なんだか、すごい、嫌だったんだ」

「ほ、ほんとうですか……?」

「うん。俺は、リオとの……これまでの、ああいった時間が、めちゃくちゃ好きみたいだ、事実、助けられてたんだ。気を緩めたら落ちてしまいそうな世界で、リオだけが、俺の手を引いてくれた」


 言いながら、やけに恥ずかしくなる。

 なんだこのセリフは――否定したくなった瞬間。

 しかし目の前のリオの顔が、真っ赤に染まっていることに気がついた。


「リイチ……くん――」


 様、ではなく。

 くん、と続けたリオの顔は、まるで子供のようにあどけない。

 これは――また違うリオだ。


「――リイチくんが、色々と思い出さなくて、それで、わたしはもう諦めようって思ってた」

「そう、か」


 思い出す? とは聞かない。

 何を思い出せばいいのかすらわからない俺の質問に、意味はない。


「リオは、ずっと、考えてた。リイチくんがどうすれば幸せになれるんだろうって――お母さんが亡くなってしまって、一番、悲しいのはリイチくんだから」

「ああ、そうか……」


 思い出される日々。

 母親との過去の日々。

 だが今、それはうっすらと色を失い始めていることに――俺は気がつく。


 子供が駄々をこねるように、リオは静かに言葉を放つ。

 

「だから、リイチくんが思い出してくれなかったら――この部屋に来ても、なにも思い出してくれなかったら、リオは他のお家のメイドになろうって決めてました……でも――」


 嘘だろ、と呼吸が止まる。

 でも、と続いて力が抜ける。


「でも、リオは、やめました。だって、今、昔のことを思い出してもらえるよりも、もっと大切なことを教えてもらいましたから……」

「大切なこと?」


 俺は思わず聞き返してしまった。

 すると幼いイメージのリオは、ぷうとほっぺたを膨らませた。


「自分で言っておいて、数分で忘れるって、ひどい」

「い、いや、どれのことを指してるのかがわからなくてだな。でもなんとなく、わかるぞ」

「わかる? ほんとですか」

「あ、ああ」

「じゃあ、もう一回言って」

「え?」

「やっぱりわからないんだ。ひどい」

「い、いやわかるぞ――ただ俺は記憶力が悪くてな」

「知ってるから」

「はい、すみません」


 心から謝罪を入れて、俺はふっと息を吐く。

 やっぱり俺はバカだ。

 正直、リオが待っている言葉がわからない。

 だから、何も考えず、思ったことを伝えることにした。


「リオ」

「……うん」


 頷くリオの表情はすでに落ち着いている。

 もちろんあどけなさが残っている感じもするが、極端なものではない。


 今までのリオを思い出しながら――俺は言った。


「ずっと俺に、からみつづけてくれよな。うざくてもいいからさ」

「……なんですかそれ」


 リオは不満そうに言う。

 でもそれが嘘だってことは、なんとなくわかる。


 だってリオはこう続けたからだ。


「ま、いいですよ。この水無リオ。どMでマザコンのリイチくんのために、一肌脱ぐ日々を今しばらく続けましょう――お母さんのこと、気にならないくらいにね」


 彼女の瞳がうっすらと輝いて見えるのは月明かりのせいってことにしておこう。

 でないと、俺のほうも言い訳がたたないだろうからな。


   ◇


 さて。

 そろそろこの話も終わる。

 そのまえに――事の顛末を話してから、幕を引こうと思う。


 俺とリオが小屋で見つめあったあと、なんていうか、正直なところ、変な雰囲気になった。

 リオが黙って、俺を見上げ、それから目を瞑った。

 それから聴覚だけを頼りにするような雰囲気で、何かを待った。


 俺はそんなシーンがどんな意味を持つのかを知っていた。

 ようするにそれは――ドラマなんかで見たことがある、キスを待つシーンにそっくりだったのだ。


「ちょ、え!?」


 突然のことに焦る俺。

 リオは、ゆっくりと瞳をあけると、にっこりと笑った。


「リイチくん」

「お、おう」

「いえ、リイチ――様」

「え?」

「童貞くそ野郎なご主人様がリオは大好きですが――今はそうではありません」

「な――」


 メイド服をきていないはずのリオが、メイドに見えた。

 絶句する俺をよそにリオは、一人すたすたとドアのほうへ歩いていってしまう。

 いや、違った。

 進んだのは、入り口の近くに置いてある――なんだろうか、下駄箱というか、小さな収納スペースのあたり。


 リオはしゃがみこむと、何かを確認するかのように、体を傾けた。

 それから言った――ではなく、叫んだ。


「盗聴器をしかけるお父様なんて、絶交だからっ!!」

「盗聴器!?」

「ええ、迂闊でした。リオともあろう人間が、こんなものに気がつかないなんて」


 立ち上がって窓辺に戻ってきたリオの手には、何かから引きちぎられたようなコードがぶらさがった小さな四角いマイク。

 どうやら本当に盗聴器がこの小屋にしかけられていたらしい。


 でも。

 なんで?


「なんで、じゃありませんよ、リイチ様。リオの父親は、そういう心配性の人間なのです」

「な、なるほど」


 心配性っていうレベルなんだろうか。


「きっと、リオの唇にリイチ様が触れていたら――」

「いたら……?」

「撃たれていたでしょうね」

「当主!?」


 過保護にもほどがあるだろうが、なんとなく嘘ではないような気もした。


「それにしても困ったものです――」


 そういうリオの口元は笑っている。

 なんだかんだ言って、父親のことを信頼しているのだろう。


「――ほんと、困ったものです。こんな小屋に美少女と二人っきりなのに、押し倒さないご主人様ってのは」

「俺のことかよ……」


 お父さんのことかと思っただろ……。


「そしたら既成事実ですぐにゴールだったのにね?」

「『ね?』じゃねえよ。俺の人生がゴールしちゃうだろうが」

「一緒にしましょうよ、ゴール」

「まだ、やだよ」

「えー? なんでですかあ?」


 そういうリオの顔は、いつの間にか、二番目のリオに戻っている。

 どこか人をバカにするような表情。

 不安げに揺れていた瞳は失せて、唇がつんと、生意気そうに尖っている。


 だから言ってやる。


「俺はまだ、リオとずっと一緒にいたいからな。ゴールなんて早い早い。まだまだ一緒にお風呂に入ってもらって、俺の裸の写真を撮っていくんだろ? ぜひ、脅してくれ。俺はそんな時間が大好きだからな」

「なっ――」


 一気に赤くなるリオの顔色。

 どうやら、これからは俺も少しは反撃できるらしい。

 喜んでいると、リオはさらに顔を赤くして、言った。


「――なんてことを言うんですか!!」

「ふふん」

「勝ち誇っている場合ですか! まだ、あるのに!」

「ある? なにが?」

「盗聴器! まだ、3個ほど、気配がするじゃないですか!」

「……まじ?」


 じゃあなに。

 今のセリフ、父親に聞かれたってことか?

 窓辺に立っていたら、危なくないだろうか……。


 バゴーン、とどこかで爆発音がした……気がするのは、気のせいだよな。


 なんだろう。

 今、俺は新たな道に歩を進めてしまった気がする。

 いや、自業自得だけど。


「もう、仕方のない人ですね……」


 だって、リオがいつだって、俺の手を引っ張ってくれるだろう?


 もちろんその後のこと――小屋から戻った後のことは、想像通りの展開だ。


 色々とあったけれども、最終的には『リオを守る』という約束でことなきを得た。

 でないとリオの父親が日本刀を持ってきかねなかったからだ。父親は怖い。


 けど、正直、リオのお母さんがもってきた薙刀の刃先がお父さんの頚動脈にぴたりと合わさっていたあたりから、何事もないことは確定していたのだけど。母親はもっと怖い。

 

 それから一晩を過ごし、俺とリオは二人で屋敷に残ることになった。

 何をするでもなく、二人で小屋に食料を持ち込んで、話をした。

 どうということもない世間話だ。


「これから何がしたいか」とか。

「将来なにになりたいか」とか。


 まるで友達のように、1歳年下のメイドは、俺に笑いかけてきた。


 そんなときリオは「様」を忘れて「リイチくん」とか「だもん」とか、幼い言葉を出すようになった。


 道を歩いているときに転んでしまいそうになったときも、「きゃっ」なんて可愛い声をだして、俺にしがみついてきた。

 

 いつもなら一人で解決するはずなのに。

 俺の腕にしっかりとしがみついた。

 

 俺が驚きとともに見ていると、「……別に?」とかなんとか、クールなリオを出して先を言ってしまったのだけど――うん、俺は確信したが、リオってのは、もしかしなくても甘えん坊タイプなのかもしれない。


 これからはそういったところを気にして接してみようと思う。


 そう。

 これから――だ。

 というわけで、非日常という名の日常は、再び始まっていくようだった。


 きっと俺の人生には色々な道の分岐がある。

 ある、ではなく、実際にありもした。


 そんなとき俺は、いつも苦痛だったけど。


 過去のことなんて、いつか薄らいでしまう。

 大事なのは今と未来だ。

 それを知った俺は、今よりもずっと楽に道を選べるんだろう。


 どんな悪路でも、笑って前に進むことができるんだろう。

 

 だって――どの道をゆけども。

 隣にいるメイドが、うざったいほど絡んでくるんだろうからさ。



   ◇


 蛇足の話というか、後日談を少しだけ。

 リオは相変わらずの性格で俺のことをおちょくってきては、一人で悶絶したりしている。


 お屋敷では「リイチ様。お背中をお流しするので、わたしのお背中も流させてあげましょう」とか学校では「先輩。学食であーんをしてほしくないなら、二人だけで食べられる秘密の場所であーんをしてあげましょう」だとか。


 何がしたいんだか分からないが、そんな態度は元々なので今更気にしたところでどうしようもないことだ。


 それにこの話の主題はそういうことではない。


 リオは相変わらずだが、俺の屋敷での境遇が少しだけ変わった。

 どうも鬼炎家なんていうファンタジーみたいな一族として、俺の人生は次のステージに上がるらしい。


 ある日、当主の住まいである屋敷に呼ばれた俺は、専属メイドであるリオと共に当主の元へと出向いた。


 威圧感なんて言葉じゃ形容しきれないほどの老人――今年で齢80にもなる鬼炎家当主は、依然として衰えぬ声帯を震わせて、こう言った。


「嫁を用意した。時期を見て、妻とし、子をなせ」


 ――は?


 つまり、どういうこと?

 これは、あれか。

 お金持ちの家のドラマで見る、許嫁というやつか。

 そして俺はその相手と結婚して、子供を作れと。


 ――いやいやいやいや。


 なにがって、背後に立つリオから、なんとも言えないオーラが立ち昇っている気がするのだ。


 耳をすませば、ほら。


「……よし。許嫁はヤっちゃいましょう」


 なんて恐ろしいセリフが飛び出している。


 はぁ。


 なんていうか。


 俺の人生はまだまだ、誰かに絡まれ続ける人生らしい。





 おわり






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【作者あとがき】


ということで、うざったいクール系メイドのお話、終了です。

本作品はカクコンにもエントリーしているので、応援していただけたら嬉しいです


その際の一次審査には ★ 評価なども影響するため、

最後によろしければ ★ 評価よろしくお願いいたします。


それではまた別の作品でお会いできましたら・・・・



――斎藤ニコ・天道源

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高校の後輩でクールで完璧な専属メイドが、ふたりきりの時だけウザがらみしてくる件 斎藤ニコ・天道源 @kugakyuu

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