第26話 水無家の夜風

 宴会が始まると、場は祭りのようになった。

 つまり、無礼講で騒がしく、皆が楽しそうというわけなのだが――いや、それにしても当主の頭をぱしぱし叩きながら飲むというのはどうなんだろうか。

 叩いているのは奥さんだから良いのだろうけど……、いや良いのかも分からなくなってきた。


 とにかく混沌だ。

 部屋のそこかしこから笑い声と歌声と……嬌声なんかも聞こえてくる。

 使用人だとか職場だとかを超えて、人間と人間とが感情をぶつけあっているようだ。


 母親は酒を飲む人だったけれど、大抵は俺との食事の時だけに飲んでいたし、病気になってからは当然飲まなかった。

 だから、こうして皆でお酒を飲んでいる姿というのは、どこを切り取っても新鮮なものだった。


 料理が運ばれ、料理が消える。

 お酒が運ばれ、お酒が消える。

 皆が俺やリオを含めた上座の人間に挨拶に消えては去っていき――リオが俺の耳元でささやいた。


「リイチ様。少し、夜風にあたりませんか」


 それはどこか作られた台詞のようで、俺の心はざわめいた。


   ◇


 二人が誰にも気づかれずに抜けだすというのは普段であれば困難なように思えるが、酔っ払いばかりの空間では関係がないようだった。


 気がつかれなかったというわけではない。

 むしろ二人で外へ出るときに、皆に手を振られて見送られた。

 ようするに二人で抜け出すことに誰も疑問を抱かなかったというわけだが……、なんだかそれは大人たちの壮大な計画のうちであるようにも思えた。


 だが酔っ払いの赤ら顔を見る限りは幸せそうで、仮にそれらに大人の事情が絡んでいたとしても、俺にとっての不幸ではないのだろうと思う。


「リイチ様、こちらです」


 リオが館内を迷いなく歩き、その後をついていく。

 突発的な誘いにしては、行先は決まっているようだった。

 夜風にあたる――というのだから、外へ行くはずなのだが玄関とは逆の方向に進んでいる。

 

「どこ行くんだ、リオ」

「ひ・み・つ」

「声に抑揚がないぞ……」

「てへっ」

「さらにひどい」

「うるさいですね、リイチ様は」

「一番感情こもってる……」


 俺の言葉どおり、リオの言葉は固く、のっぺりとしている。

 夜風にあたりにいくだけだろ?――そう言いたいところだが、リオの背中から立ち上るような違和感が、それを否定していた。


 でも、こんな夜に何があるっていうのだろう。

 今までの流れを考えれば、どこかでリオのちょっかいが掛かるということも考えたものだが……、さすがに両親滞在中にそんなことは起きないだろう。


 ……起きないよな?


 リオの足は館内の奥へ奥へと進む。

 使用人の方だけが入るような通路を抜けると、台所に出た。

 もちろん大きな建物のそれなので、旅館並みの規模のものだ。


 そこに木製の裏口があった。

 脇には古びた靴用の棚などが設えられている。


 リオは共用のサンダル――裏が木になっていて歩きづらいやつだ――を、二人分取り出す。

 手には戸の脇にぶらさがっていたLEDランタンのようなものをぶら下げていた。


「ご主人様、都会と違って外は真っ暗ですからね。リオにきちんとついてきてくださいよ。大切なお体なんですから、傷ひとつついただけで大問題です」


 随分と気遣ってくれている。

 そこからも今から“何か”が始まる予感がした。


「ありがとう。夜目はきくほうだから、大丈夫だとは思う」

「そうですか。では、ここから外へ出ましょう」

「わかった。ついてくよ」

「ちなみにこの裏口がどこへつながっているかわかりますか?」

「え? この先?」

「はい。わかりますか……?」

「うーん……裏庭とか?」

「ハズレです。シんでください」

「さっきまでの気づかいはどこへ!?」

「ふんっ。当てりゃいいんですよ、当てりゃ」

「一気に口が悪いんだが……」


 どういうメイドなんだよ、と思いつつも、今のリオの恰好は和服であり、メイドの仕事中ではない。

 黒髪はメイド服にも似合うが、和服にはなおさら合っていた。

 

 カラン、と音が鳴ったのは、つっかけにリオの足が入ったからだ。

 もう一度、カランと音が鳴る。


「ほら、行きますよ、不正解者」

「ひどすぎる……」


 とはいえいつも通りのリオとも言えるので、むしろ俺はこっちのほうが安心しているのも事実だ。


 俺もつっかけに足を入れる。

 やはりカランと音が鳴る。

 木製の履物の鳴らす高い音は、どこか懐かしい気持ちを呼び起す気がしたが――それは煙に巻かれてつかめなかった。


 電池式のランタンが灯る。

 ドアが開き――暗闇が口を開いた。

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