第24話 水無家の夕食風景

 風呂あがりに大広間のような場所を通りかかると、使用人の方々が忙しく動いていた。


 申し訳なかったが、顔馴染みの男性使用人を呼び止めて話を聞くと、今夜の食事はだだっぴろい部屋での会食という形をとるようだった。


 席数を見る限り、俺と水無家の当主たち――つまりリオとその両親ということになるのだろう。


「こんなに広いのに四人だけか……皆で同じように、食べれないのかな」


 それはただの呟きだった。

 しかし俺は自分の立場を考えるべきだった。


「……っ。かしこまりました」


 なんだか嬉しそうな表情をした使用人が、頭を下げて作業に戻っていく。


 俺はそのとき『なにをかしこまられたんだ?』なんて疑問に思う程度だった。


 俺は自覚するべきだった。

 自分はまぎれもなく鬼炎家の血をひいているのであり――求めれば、ここでは全てが手にはいるということに。


   ◇


 夕食の予定時間を少し過ぎた頃。

 一人で待機していた部屋にノック音が響くと、直に『使用人らしき人』が入室してきた。


 予定していた時間より少し遅れていたのが少し気になってはいたが、用意してもらってるのに文句もなにもない。


 

「リイチ様。夕食のご用意が整いました」

「ん?」

「どういたしました?」

「あ、リオか」

「リオです」


 リオは着替えていた。

 浴衣……というか、なんていうんだろう。普段着のような質素な藍色の着物を身に付けている。

 来るときはメイド服姿だったので、認識が追い付かなかったらしい。

 

「一瞬、別人かと思ったんだよ」

「ひどいです、リイチ様……裸にして、シワの一本一本まで確かめてくる日々なのに……」

「してねえよ! ていうか、毎回見てくんのはお前だろうが!」

「お背中にホクロが一つ増えてましたね」

「そこまでじっくり見せてない!」

「あ、ご心配なく。あとから写真で確認してるので」

「そのデータについては、帰ってから話すからな」

「はーい」


 なんでもないように、リオは返事をしてくる。

 避暑地にまできて、日常変わらずといった感じ。

 それにしてもこんな会話を、リオのご両親に聞かれたら俺はどうなってしまうんだろうか。

 家柄とか、そんなこと関係なく刺されるんじゃないだろうか。


 得たいの知れない恐怖に怯えていたら、リオが『そういえば』と頬に手をあてた。


「リイチ様も、なかなか粋な計らいをされますね」

「ん?」


 計らいってなんだ?


「血も涙もない鬼炎家のイメージ払拭キャンペーン中ですか?」

「いや、まて。なんの話だ」

「宴会の話ですよ」

「宴会?」

「あれ? 本当に何もご存知ない様子ですね?」


 その時、俺の脳裏に、1人の男性使用人の顔が浮かんだ。

 今日、宴会に関係する話をしたのは彼だけだ。

 確か名前は、石山とか、そんな感じ。


 あれ?

 もしかして、あの時の会話で何かを指示したことになったのか……?


 憶測を続ける俺をよそに、リオは結論づけたらしい。

 どこか面倒そうに、そして冷淡に、言葉を落とした。


「となると、石山の嘘でしたか。見抜けませんでした。用意してしまった料理は破棄するにしても……、処分をどうしましょう。とりあえず、石山には拷問部屋に連行して、意図を聞いて、言わなければ指を――」

「ちょっと!? よくわからないけど、ちょっと待て!?」


 拷問!?

 指!?

 こいつ、頭がどうかしてんのか!?


 リオの表情がスッと冷えた。


「しかしリイチ様。あなた様は命令されたことを知らぬとおっしゃいました。そして我々は石山から、リイチ様の依頼として、言葉を預かっていたのです」

「い、いや! 覚えてる!」

「ですが、先ほどは宴会のことなど知らぬと仰いました。しかし石山は、皆に『リイチ様のご要望』として触れ回っていたのです」

「それでいい! 宴会の話だろ? それ、俺の命令だから!」

「でも」

「嘘じゃない!」

「嘘なら一つ言うこと聞いてくれます?」

「聞くから、石山さんを疑わないでくれ」


 なぜこんなに焦っているのかは不明だが、鬼炎家の歴史を学ばされていると、馬鹿げたワードも無視できなくなる。


『拷問』なんて口にするのも嫌だけど、たしかにそんなこともやってきたような、流れを肌で感じてきた。

 鬼炎家や火消しの一族は、どこか、闇を感じる。


「本当にリイチ様のご命令だと? 石山は嘘をついていないと?」


 冷えきっていた仕事モードのリオの頬に、若干、熱が戻ってきたのを俺は見逃さなかった。

 攻めきるのは、ここしかない。


 正直なところ、なんの命令かは知らないが――話や流れをまとめてみれば、夕食を宴会にしたいとか、そんな感じの命令に違いない。

 確かにそんなこと、言ったし。


「ああ! 俺の希望だ! だから、石山さんは悪くない」

「そう、ですか……?」

「ああ。間違いない」

「なら、わかりましたけど……本当にリイチ様のご希望なのですね……?」


 よし。

 リオが戻ってきた気がする。


「ああ! 俺の希望だ!」

「では女体盛りの件ですが――」

「全部ウソだ!」

「女性を集めて、女体盛りをしたいなんて、さすが鬼炎家のぼっちゃんですね……」


 内腿を擦り合わせてもじもじと恥じらうリオの表情はすでに、暖まりきっている。


「ちょっと石山さん呼んでこい」

「? でもリイチ様のご要望では?」

「ぜんぶ嘘でいい」

「嘘をついたのですか」

「それでいい」

「ならリイチ様が一つ言うこと聞いてくれるんですね。やった」

「え?」

「それも嘘だというなら、リオはいまここで叫びます」

「やめろ」

「盗撮犯だーって」

「お前だよ、それは」


 やばい。

 リオの表情が生き生きとしている。


「まさか……、はめられた……?」

「ちょろすぎご主人様ですねー」

「こ、こいつ」

「石山からは、私が相談されました。『リイチ様が、広いお部屋で四人は寂しいらしく、皆で食事をとりたいらしい』と」

「なるほど……」

「ですので、私の判断で、今日の会食は中止、使用人含めての宴会へ変更です」

「大丈夫なのか? お父さんとかに相談しなくても」


「あら。リイチ様。それはいささか誤解されておりますよ」


 リオは、妖しげな笑みを浮かべた。


「われらは火消しの一族、水無家。お仕えする鬼炎家のお言葉ならば――わたしは、女体盛りでもなんでも、せねばなりません」


 リオの言葉は、どこか冷たかった。


「目が笑ってないぞ」

「します? 女体盛り。母はまだ30前半ですし」

「するわけないだろ。そんな命令、吐き気がする」


 人の気持ちを無視して何かを求める――そんな風にして生きていかねばならないのなら、俺はいっそ、仙人にでもなる。


 リオと俺はしばらく、睨みあうようにして視線を合わせていた。


 ふっと、それが緩む。


「だから、リオはリイチ様のことをお慕いしているのです」

「なら、覗きと盗撮をやめろ」

「だから、リオはリイチ様のことをお慕いしているのです」

「聞こえないふりをするんじゃない」


 リオは突然、くるりと半回転して、俺に背中を向けた。


「さ、リイチさま。使用人たちがお腹を空かせて待っていますよ。皆、リイチ様と席を並べられることを喜んでおりますから」

「確かに、みんなと食べるの初めてだな」


 いつも長いテーブルに俺だけ。

 増えてもリオと二人だけ。

 母親との生活でも、そんな感じ。


「楽しそうですね?」

「ん。そうかも。俺、こういうの初めてだから」

「それは良かったです――では、覚悟してくださいね」

「なにを?」

「水無家は使用人含めて、みな、うわばみですから」

「うわばみってなんだっけ?」

「酒豪ってことですかね」

「まじかよ……」

「ふふ。リオはまだ飲めませんが、きっとすごく飲めるはずです!」

「お前、それ逆に弱そうだぞ」

「なっ……侮辱ですよ! リイチ様こそ弱そうですけどねー? 酔っぱらっても、お母様のおっぱい、貸しませんからね!」

「借りねえよ!」

「リオのもダメですからね。でも命令なら脱ぎます」

「真顔の提案を止めろよ!?」

「早く行きましょう。毎日、騒がしい人ですね」

「毎日お前のせいなんだよ!」


 叫びながら、二人で部屋を後にする。

 毎日お前のせいなんだよ――言いつつ思う。

 毎日、そんなに悪くないよななんて。

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